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地域コミュニティからできること。


このまちに新たな「共通言語」をつくること。

それは、このまちを楽しむ人たちの象徴になるようなことばがいいな。そんな風にずっと考えていたけれど、それが象徴になるかどうかを決めるのはわたしじゃない。

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地元の商店街やまちを舞台にした映画に『かめじん』というタイトルがついたことを初めて耳にしたとき、すこしだけ、いや、正直に言えばかなり不安だった。

たしかに、中学生の頃から自分たちのことをそう呼んでいたし、そのアイデンティティがおもしろいなと思ってオリジナルでキャラクターもつくった。けれど、それはあくまでわたしの個人的な楽しみだったから、パブリックなものにすることに、少なからず抵抗があった。

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でも、いま思うと、それでよかったんだと思う。

映画を通して、このまちで同じようなことを考えていながらも出会っていなかった人たちと出会えたし、その言葉をネガティブに捉えていた方にとっては、新たな捉え方をするきっかけになったかもしれない。

そして、なによりも、私たちのはじめたことに名前がついたような気がしていて。


これまで、なにしてるの? とか、どうやって稼いでるの? ボランティアじゃないの? みたいなかたちで、なんとなくぼんやり認識されていた私たちが、『かめじん』という映画を通して市民権を得たような、すこし大げさにいうとそんな感覚で。なにやってるかはやっぱりわからへんけど、『かめじん』の人か! とか、お宅の娘さんこういうことやってるんか! というような。


ただ、目立ちたくてやっているんじゃない、ということもすこしずつ理解してもらえはじめたんじゃないかと思う。多分、いまでも誤解をしている人はいたんだけど(ご丁寧にそう言ってくれる方もいるので。笑)、わたしのことをきちんと知っている人は『そうじゃない』ということを知っている。

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そして、このまちで『かめじん』という共通言語によってつながった人たちと、新たな取り組みをはじめられたらと思っている。

思い描くイメージは、いろんな商材を扱う地域商社。ただ、土地にあるものをリブランディングするようなことではなくて、この土地に深くあるものを再認識したうえで、発信ツールとなるようなものやサービスをつくっていきたい。

企画書はかけてなけれど、あたまの中で構想となまえはできている。ここまできたら、やらない理由はないもんね。


先日上映会をしたからか、映画の続きを生きているような不思議な感覚。いや、登場しているからそうなのだけど、うまく言えないや。

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