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『便利さ』では測れないもの。


美山町の芦生という集落へ行ってきました。

京大の研究林にもなっているこの場所は、人と自然の距離がほんとうにちかい場所で、なんだか滞在しているだけで『生きる』ということを おすそ分けしてもらったような気持ちになるような場所。



ふと思ったのだけれど、このご時世『山とともに生きる』ってどういうことなんだろう。

文明が発達して、世の中はどんどん便利になっている。そういったまちなかの変化を知りながらも あえて山のそばで暮らすということは、時代の流れというものと正反対にあるような気がして。そういう言い方をすると語弊があるかもしれないけれど、東京や大阪に人が集中しているということは、大きな流れとしては やっぱりそういうことでしょう。

土地を耕し、山の恵みに感謝し、『共生』していくこと。言葉にするのは簡単だけれど、どのくらい理解すれば そんな生活ができるのだろう。



山とともにある暮らしは、生活に『便利さ』を求めていない。

そんな風に感じたのは、わたしが亀岡の田舎で 便利さを享受しながら生活をしているからだと思う。そして、もうしばらくの間はそれを手放せそうにない。もっと言えば、これから先も手放せるかはわからない。

だから、そういった『便利さ』という尺度で判断せず、土地とともに生きてきた、そして、生きていく人たちの『心意気』のようなものに いつも惹かれるのかもしれないな。

便利な場所で暮らすこと自体が複雑で面倒だという考え方もあるし、インターネットがあれば今はどこでも買い物ができるのだけどね。


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私たちには常に、なにを選び・なにを手放すかという選択がつきまとう。

結局、最後はじぶんが選んできた方向にしか進めないことを、どこかでわかっていながらも、じぶんの未来に期待したくなってしまう生き物なんだと思う。


拡散気味に書いてしまいましたが、芦生の森でいただいてきたエネルギーを 日々大切に使っていこうと思います。

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