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「時間」を受け継ぐということ。


きょうも、古民家の解体作業を手伝いに知り合いのところへ。

築年数はおよそ100年。壁を覆っていたベニヤ板のようなものを剥がして、天井を抜いていく。立派な梁を見るたびに、その構造を知るたびに感動し、【家】が人の手でつくられているということを改めて感じる。

最初がどうだったかはわからないけれど、家の中になにひとつ【モノがない】という状態では、以前はどんな人が住んでいたのか、どんな暮らしをしていたのか、なかなか想像するのは難しい。でも、ここにも確かに人が住んでいた。


知人から家主さんのお話を伺いながら、【家を継ぐ】ということは、その家がその地域と過ごしてきた【時間】を受け継ぐことだと感じた。

以前、田舎へ移住したご夫婦から、初めの頃は近所の方に「〇〇さんのところの」と前の家主さんの名前で呼ばれていたというお話を聞いたのだけど、もしかしたらそれも、そういうことなのかもしれない。

片付ける前の古民家を訪問したときは、本当に博物館のようだったし、うつわやおくどさん、火鉢、賞状、カセットテープ、置いてあるモノを見るだけで、語り尽くせないほどの物語があったことを想像できた。

そういった人たちの日々の生活が、地域の営みが、古民家には詰まっている。だからこそ、所有者の方は「住まなくなったから」と潰してしまうのではなくて、もう一度だけ考えてほしい(京都の方は相談してもらえたらと思います)。古民家はやっぱり、大事な地域の資源だから。



家を解体していくなかで、人の手でつくられるもののスケールに驚いてばかり。そこには昔の人の知恵が詰まっていたり、もしくは思いのほか雑につくられていたり。それでも毎回、感動することのほうが多いかな。


私たちは、100年後の人たちが驚くものをつくれるのだろうか。

古民家を解体するなかで、こんな問いをいただいたような気がした。

100年使われるモノでもいいし、文化(ないしはそこまで落とし込まれたサービス)でもいい。なにかひとつ、長く続くものをつくってみたい。じぶんがこの世からいなくなっても続く、ということはひとつの目標かもしれないな。


まぁ、達成できたかどうかは知る由もないのだどね。

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