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2020年4月の記事一覧

寝る前のメモ。

日々、花や鳥や風や月と戯れている。確かに美しい。 けれど、それだけで事足りるほどわたしの心は成熟していないし、その生活に辿り着くにはもう少し時間がかかりそう。それに、あまりうまく言えないけれど、これらを愛でる心は他者が存在してはじめて成立するものなのではないだろうか、とも思う。 仮に、世界にいる人間が自分ひとりだけだったとしても、花鳥風月のなかに風情を見出せるほど、わたしのこころは純白ではないような気がしていて。子どもの頃のような純粋さは失いたくないけれど、時はすでに過ぎ

寝る前のメモ。

あたまは疲れているのに、からだは一向に疲れない。そんな状況が続いていると、自分自身のコントロールがだんだんむずかしくなってくる。どちらかといえば、今日はそんな日に分類され、テンション高めに早口で話しているわたしは、少なからずハイの状態だったのだと思う。 ただでさえ山裾で暮らしているし、人と話す機会も多くはないのだけれど、同じ会社のちょっと上のお兄さん・お姉さん(!)たちと話せることが、なんだかうれしかったのかもしれない。目線をあわせて話してくれるものだから、ついつい話しすぎ

寝る前のメモ。

この状況下で「生きていく」ために必要とされているものと、必要とされていないものの2つが存在するのなら、わたしのやっていることは限りなく後者にあたる。あってもなくても、だれ一人として困らない(どちらでもいい)ことを、だれから頼まれたわけでもなくせっせとやっている。 わたしには、何もかもを背負えるほどのうつわも覚悟もないので、この場所に得体の知れない生きものとして「生息している」くらいのゆるさがちょうどいい。そんな考えとは裏腹に、勢いだけで動いてしまうこともあるのだけど、その衝

おうち時間をちょっぴり豊かに。心地のいい空間を共につくってくれる、亀岡で生まれたアート&クラフト。(随時更新)

地元を中心に、たくさんの方にシェアしていただいた前回の記事の更新から、あっという間に2週間が経ちました。 それ以後、私たちも移住関係のイベントをオンラインで開催してみたり、亀岡を発見するラジオをはじめてみたりと、仕事や日常のベースがこれまで以上にオンラインへ移行し、デジタルとアナログのあいだを行き来しながら、そのいい塩梅を探っているところです。(こういう時だから、どちらもの良さがわかってくる気がしますね。) わが家でも、引き続きいろんなお店のテイクアウトを楽しませていただ

建築・都市・まちづくりが目指すべき人本主義でつくるグランドレベルの世界。それでも高密度を恐れず、私たちは人間らしいまちをつくっていく。

1階づくりは、まちづくり。久し振りの投稿です。 コロナで世界中のまちは焼け野原になりはじめています。戦争時や震災時のように物理的に建物が破壊されていないので、見た目の風景はそれほど変わっていないのに、近づいて見ると1階のお店は閉まっていて、まちの人気は少なくなっています。また家に閉じこもっている人たちの気持ちは、日に日に沈んでいく。確実に、私たちが暮らす日常が“見えない焼け野原“になりつつあります。(下写真:今日の上野駅) 経済は世界恐慌以来の落ち込みと言われはじめ、メデ

それでもわたしは「旅」をしたい。

地元・亀岡でコミュニティ・ツーリズム(Community-based Tourism)の基盤づくりを進めている私たちにとっても、厳しい状況であることは変わりないのだけれど、いまは先を見据えて動いていくしかありません。 むしろ、この状況下で提供できる「旅」の要素を洗い出してプログラム化し、現地を訪れなければ得られない「体験」や「出会い」へとつなげていくことが、この1年で取り組んでいくべきことなのだと思っています。 亀岡市は、京都市の西側に位置しており、JR京都駅から快速電車

寝る前のメモ。

打ち合わせも含めて在宅となると、必然的に椅子に座る時間が長くなってくるので、いまはバランスボールに切り替えている。ちょうどいい高さの机もどきを見つけ他ので、バランスボールに座りながらゆらゆら仕事をしている。 地元の移動は極力自転車に切り替え、時間があれば遠回りして帰る。そうやって、移動のスピードや時間の過ごし方を変えながら、普段見過ごしていたであろう風景を再認識することが最近の日課になりつつある。 より近く、より小さなことに気づくようにはなってきたけれど、このまま思考の幅

寝る前のメモ。

まだまだ言語化できるまでには至らないけれど、オンラインのコミュニケーションには開拓の余地がたくさんあるな。今宵ははじめてのイベントでしたが、難しさも楽しさも両方感じられてよかったです。これから何日かオンラインのイベントが続くので、その間にどんどん改善していきたいと思います。 - 尊敬している方の一人が「健やかさ」というものを、よくキーワードに挙げられているのだけれど、この状況における「健やかさ」はどのように担保することができるのだろう。また、この状況だから気づけた「健やか

寝る前のメモ。

対外的なプロモーションが大切なのは痛いほどわかるけれど、まちの発信源となる「ひと・もの・こと」の関係性をしっかり温めていくほうが先かな。外から来た人の視点を借りることで気づけることは確かにあるけれど、地元と外を行きつ戻りつしてきた自分たちの感覚に勝るものはないと思っている。 (そう思ってずっとやってきての「いま」なので、本当にまだまだだけど、あのとき乗っからなくてよかった(あるいは、乗っかれなくてよかった)と思う瞬間はいくつかある。) これだけ自宅にいる時間が伸びていると

今日はドイツの教育者、フレーベルの誕生日。 彼は幼児教育の祖とされます。子どもの本質は神的であり、植物の種が芽吹き育つように、彼らも自然に触れ、遊びを通して自立心が芽生え、主体性が育つとしました。 彼の理念を凝縮した言葉は「Kindergarden」。日本語で言う「幼稚園」です。

寝る前のメモ。

この時間になると、1日のバロメーターがようやくゼロになる。今日もまた、無意識のうちに余白をなにかで埋めようとしていたことがわかる。こうやってnoteを書きながら、やっと平熱に戻ってきたみたい。 人命を救うスキルは持ち合わせていないので、使命感をもって何かをしているわけではないのだけれど、誰かと話しているうちに肩に力が入ってしまうようで。当初の計画だったら、海を越えられずとも4月は独りの時間を過ごすはずだったのだけれど、気がつけばそんなことはなくて。こういう日々の過ごし方は、

寝る前のメモ。

あれやこれやとオンライン化が進むいまだから、「オンラインではできないこと」についても少しだけ敏感になっていたい。突き詰めていけば、どれだけ世の中が便利になったとしても、それはきっとデジタルで代替することができないものだから。 そう考えると、人の五感を刺激する体験は、現地へ行くことでしか手に入らないものなので、そういうところに「旅」の醍醐味を感じている人たちとは、コロナが明けたらきっと再会できる。(思わず「再会」という言葉を選んだのは、2020年に共通の厳しい経験をしてきた私

寝る前のメモ。

あの頃のわたしが必要だと思っていたことを、こうしてやり続けていくうちに、自然とだれかに必要としてもらえるようになり、それが仕事になってきた。なにか特別なことをしてきたわけじゃないし、これといった高いレベルのスキルをもっている訳ではない。けれど、だれになんと言われようと、ただひたすらに続けてきた結果なんだと思う。 もうあといくつか必要だと思っていることがあって、それについてひと段落できるまでは、ひとまずここでやりきりたい(もしくは、やりきるべきだ)と考えている。今回のことで、

寝る前のメモ。

畑でアスパラガスを見るたびに、その生え方にびっくりする。「我ら直立なり!」と言わんばかりに、伸びきったアンテナのような感じがして、なんとなく宇宙を連想させる。 - 手書きの方のスケジュール帳に書いていた「→ イタリア →」という予定は見事になくなったけれど、この1週間のことを思うと、それなりに濃い時間を過ごしていたんだと思う。 何をしていたのかあんまり思い出せないのだけれど、思っている以上になんにもしてないのかもしれないな。前日のことすら思い出せなかった時期もあったけれ