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寝る前のメモ。


日々、花や鳥や風や月と戯れている。確かに美しい。

けれど、それだけで事足りるほどわたしの心は成熟していないし、その生活に辿り着くにはもう少し時間がかかりそう。それに、あまりうまく言えないけれど、これらを愛でる心は他者が存在してはじめて成立するものなのではないだろうか、とも思う。

仮に、世界にいる人間が自分ひとりだけだったとしても、花鳥風月のなかに風情を見出せるほど、わたしのこころは純白ではないような気がしていて。子どもの頃のような純粋さは失いたくないけれど、時はすでに過ぎている。

そんなことを考えていると、先日お会いした『漆 金継ぎ教室urujyu』の清水さんのお話を思い出した。漆や自然と真摯に向き合う、ほんとうに素敵な方だった。まだ、文字起こしはできていないけれど、ゆくゆく冊子にすることを見据えて、こうやって時間のあるうちにどんどん進めていこうと思う。

清水さんと話し終えて、“人間側の都合で決めていた時間軸を、自然界のほうへ戻していきたい”という気持ちがつよくなった。おおよそのことが人間中心の世の中は、それなりにおもしろいこともあるのだけれど、やっぱりここに住まわせてもらっているのは、人間のほうだと思っていて。

そんなことを言うと『ミッドサマー』みたいだね、と都会の方に言われてしまうのだけれど(何度か言われたけれど、そもそも観ていないので分からない)、田畑や川が身近にあれば、それなりに普通の感覚なのではないかな。普段から自然を相手にしている農家のおじさんと話していても、話し込めばきっと、最後はそういう話になる気がする。

毎晩、こうやって考えもせずにつらつらと文字を書いている。滑りゆく指だけが頼りで、「思考」というものはほとんど存在していない。存在していない、というと嘘になるかもしれないけれど、これをこんな風に書こう!みたいな構成はなく、誤字脱字のチェックどころか読みなおしもしていないので、内容が重複している箇所や支離滅裂している箇所もあると思う。

それでも書くことで報われるなにかがあるし、時間ができた分たくさん書けるようになってきた。文字数で測るものではないのだけれど、このくらいの文章を書くことが「普通」になる頃には、記事を書くときにおいても、多少役立つのではないかと淡い期待を寄せている。なんなら、淡い期待のまま、20年、30年経っている可能性のほうが高い。

オンラインでもオフラインでも、人がたくさんいるところはあまり得意ではないのだけれど、目の前の人とじっくり話す時間は好きだ。そういう場を設けにくくなったいまだから、「テイクアウト」を言い訳に、今日も人に会いに行く。おいしいものが食べたい!の次に、その人に会いたい!という気持ちがある。そういう人たちとの関係性を大切にしながら、どうやって次のステップを踏んでいこうか、しばらくずっと考えている。

2021年に、と思っていたことが見通せないいまだけど、次のチャレンジをするためのボーナスタイムだと思って、あれやこれやと試みる。

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