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寝る前のメモ。


あれやこれやとオンライン化が進むいまだから、「オンラインではできないこと」についても少しだけ敏感になっていたい。突き詰めていけば、どれだけ世の中が便利になったとしても、それはきっとデジタルで代替することができないものだから。

そう考えると、人の五感を刺激する体験は、現地へ行くことでしか手に入らないものなので、そういうところに「旅」の醍醐味を感じている人たちとは、コロナが明けたらきっと再会できる。(思わず「再会」という言葉を選んだのは、2020年に共通の厳しい経験をしてきた私たちが、同じ人類として「再会」するという文脈を伝えたかったのかもしれない)

偶然出会った人たちとの何気ない会話、未知の世界との遭遇、自身の背景とは異なるものごとと出会ってはじめて得られる体験は、デジタルでの代替がむずかしい。自分が旅に求めているものを書き出してみれば(もしくは、この時期にイタリアで何をしようとしていたのかを書き出せば)、案外わかってくるかもしれないな。そこに「旅」の本質が見えればいいけれど、あんまり肩肘張らずにやろう。旅のスペシャリストではないので。

ちょっとスピードが求められそうだけれど、この夏までに企画を立ててコンテンツを出していけば(当初やろうとしていたことを、オンラインの切り口から発信するイメージ)、その後のプロモーションにも勝手につながっていくと思うし、共通の経験・時間を過ごした私たちは、旅マエに友だちになれるのかもしれない。

もうひとつ思うのは、いろいろとオンライン化することにより「コミュニケーション」のスダンダードが変わっていくなかで、どれだけ所属しているコミュニティの温度感を保てるのか。

時間をかけて築かれてきた “顔が見える” コミュニティは、利便性を求める生活や、資本主義のなかでは「手間」で「面倒」と捉えられていたかもしれないけれど、こういう時に結束力を発揮しているし、このコミュニティ自体を換金することは不可能だとわたしは思う。ただ、おもしろいことに、コミュニティ内では小さく経済がまわっているのだけどね。

この辺りのことを、なかなか上手に言語化できていないのだけれど、「助け合う」ということがベースにある地域コミュニテイは、こういう時のためにあるんじゃないかな。半径数kmを想像したときに、どれだけの顔が思い浮かぶのか。「昆布を炊いたからどうぞ」とご近所さんが来てくれたり、父が近所の方と一緒に山へ取りに行ったタラの芽を天ぷらにしたり、お店の店主と話したり、近所の家具職人さんの工房へ相談に行ったり。3密の状態は避けつつも、そんな今日を過ごしていたので、わたしにとっての心地よさはここにあるのだなぁ、なんて考えておりました。


日々、やるべきことが明確になっていく。どんどん動くぞ〜〜

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