文学者・小泉進G郎の崩壊

※この文章はフィクションです。実在する団体・人物とは一切関係がありません。ご了承ください。

 小泉進G郎は自宅近くのスーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトをしていた。仕事の内容は単純だ。バーコードをスキャンして、画面に表示された値段を言う。そして清算済みを示す赤いカゴに商品を入れる。これだけだ。彼はこの仕事を3年間もやっている。熟練者である彼のレジはいつも、他のレジよりも進みが早い。しかし、彼にはこの仕事にただ一つ苦手なところがあった。それは画面に表示された値段を言うことだ。彼はこの店の商品の値段を完全に暗記していたが、いざ発音しようとすると噛んでしまったり、その前にスキャンした商品の値段を間違えて言ってしまうのであった。特に、特売の日は彼の暗記は逆に混乱の原因となった。その日も彼はいつものように噛みながらも、素早い手さばきで買い物客の行列をさばいていた。「69円、150円、169円、59円、78円、168、いや159円、166、円、153円」しかし、小泉進G郎が153円と言った時、突然客の若い男が笑った。実は小泉進G郎が153円と言った商品は本当のところ1503円のお米だったのだ。彼は二つ前の159円と一つ前の166円に釣られて、1503円を153円と読み間違えてしまったのである。小泉進G郎はすぐさま訂正したが、男性客があまりにも笑っているので、彼の声はかき消されてしまった。客はお金を払ったが、小泉進G郎がいい間違えた分のお金しか払わなかった。「1350円足りません」と小泉進G郎は言ったが、客は一向に払う素振りを見せない。「あのお米は1503円だったんです」と付け足すが、やはり客は何もないかのように振舞っている。「お願いします」と小泉進G郎が頼むと、客は彼の左胸につけてある名札を見ながら「小泉進G郎…さんが…」とまるでまだ名前のついていないものを名付けるときのように慎重に言葉を選びながら話し始めた。「…が153円と言ったんだ。もし1503円だと言いなおすのであれば残りは小泉進G郎さんが払うといい」しかし、小泉進G郎は納得できずに「値段はお店で決まっているんです。それに僕はすべての値段を暗記しているんです!」と言った。すると客はまた爆笑して「じゃあ小泉進G郎さんにはすべての物の値段がわかるんだね」と言うので、小泉進G郎は頭の中にある値段表を読み上げた。「キャベツは79円、にんじんは67円、にんじんは袋だと117円、玉ねぎは36円で、袋だと46円」すると男は手に持っていた別のスーパーの袋からレモンを取り出して「これはいくらだい?」と聞いてくる。小泉進G郎は他の例に漏れずレモンの値段を暗記していたので「98円です」と答えた。しかし、男は首を横に振って「これは別のスーパーで129円で買ったものだ」と返答した。すると突然小泉進G郎はこのスーパーそのものが耐え難いものであるかのように感じ、激しい目眩に見舞われた。全く赤の他人の冷蔵庫の中を覗いた時のような違和感はどんどんと彼を蝕んでいき、彼は最終的に発狂した。そして、レジから逃亡し、引き止める店長を殴りつけて、外に出た。

 彼はほとんど無意識的に走っていたらしく、気がつけば河川敷に座っていた。体がまだ熱を帯びており、息切れもしていることから判断しても、やはり自分は無意識的に走っていたのであった。川のそばで子供達が5人ほど集まって、遊んでいるのが遠目から見える。呼吸を整えて、じっくりと子供達を観察する。どうやら子供達は石を地面に投げつけて遊んでいるらしい。彼はゆっくりと子供達に近づいてから「君たちは石を投げて遊んでいるんだね」と言った。しかし、子供達はそれを否定し、「僕たちはおはじき遊びをしているんだ。この石がおはじきだよ」と言った。しかし、彼には子供達が何を言っているのかわからなかった。石は石であって、おはじきではないはずだ、しかし子供達は石をおはじきであると考えている。彼らはどこかで頭をぶつけたのだろうか。そうでなければ、麻薬か何かをやっているに違いない。彼は哀れな子供達に別れの言葉を一言吐いて、その場から立ち去った。しばらく歩いていると、彼の携帯の着信音が鳴り出す。これは誰かが小泉進G郎に電話をしたに違いないと思い、電話に出る。「もしもし、小泉進G郎です」と言うと電話相手は突然「君は今日から環境大臣だ」と言った。彼にはこの言葉の意味がわからなかった。いや、意味は明確にわかっている。なんなら英訳することだってできるだろう。辞書さえあればスペイン語やラテン語、ハングル語に訳すことだって可能なはずだ。しかし、その言葉の意味はわかっても、理解ができなかったのである。「誰が環境大臣になるんですか?」と小泉進G郎が尋ねる。「だから君だよ。小泉進G郎くん、君は今日から環境大臣になるんだ」
「まさか!僕は今まで自分のことを小泉進G郎であると思っていたのに、同時に君であったなんて知らなかった。さらには今日からは小泉進G郎でも君でもなく環境大臣になるらしい。じゃあ君と小泉進G郎は誰がやるんだ」
 電話が切られた。彼は自分でもいつからかわからないうちに環境大臣になっていたのである。環境大臣が途方にくれていると、どこからともなくリムジンが現れ、彼を連行した。

 環境大臣はリムジンで国会議事堂前まで連れられ、そのまま国会に参加させられた。国会は既に始まっており、彼は途中参加という形で入っていったのである。中に入ると「環境大臣」と開かれた札がおいてある席が目に入ったので彼はそこに座る。遅れてきた彼に注意を払うものは誰もおらず、何やら討論を行っている。初め環境大臣には彼らが何について話しているのか理解できなかったが、聞いていくうちになんとなく概要はわかった。どうやら首相の安部ノ心臓が何か問題を起こしており、他の国会議員たちはそれを糾弾しているらしい。安倍ノ心臓は立ち上がり、弁明を始める。
「えーですから、私は募集しましたが募ってはいないのでありまして、そもそも私というのは安部ノ心臓ではないのでありまして、安部ノ心臓は私ではないのですから、安部ノ心臓が募集したと言うのは無理な話なのでありまして、言ってしまえば募ってすらいないのです。そもそも私は私ではないのであって、安部ノ心臓は安部ノ心臓ですらないのです」
 すると他の国会議員たちは納得したような素振りを見せたが、環境大臣は安部ノ心臓の言っていたことが理解できず、口をポカンと開けていた。すると一人の国会議員が環境大臣を指差して「では環境大臣に意見を聞いてみましょう」と言い出す。周りの議員たちもそうだそうだということで、しまいには環境大臣コールが始まる。こうなると環境大臣も何も言わないということは出来ないので、席から立ち上がって発言する。
「私は私であって、安部ノ心臓は安部ノ心臓であるのではないですか?募集したなら募集したのでありますし、募っていないのならば募っていないのであると思います」
 この環境大臣の発言に対して安部ノ心臓は看過することは出来ないと感じ、「君は今日からクビだ!」と怒鳴りつけた。しかし、環境大臣は先ほど、君から「環境大臣になった」ので、クビとされた君とは一体誰なのかわからず、安部ノ心臓が環境大臣に向けて発言するのを待っていた。すると、阿部ノ心臓は環境大臣の態度はふて腐れているのだと考え、警備員を呼び出して、環境大臣を追い出した。環境大臣は環境大臣ではなくなった。途方にくれた環境大臣ではなくなった人は、先程の彼が環境大臣になると告げた電話番号に電話をした。すると先程と同じ声の人が出て「君は小泉進G郎に戻ったよ」と答えた。

 彼は自宅に戻り、部屋であらゆるものを観察していた。テレビ、エアコン、テーブル、食器棚に入ったコップ、ゴミ箱、列挙している限りあらゆるものが安定して存在していた。彼は言葉を文章にするのが怖かった。一つの単語が他の言葉と繋がるだけで、その単語はもう元の姿には戻れないように感じた。彼は恐る恐る文章を作る。テレビはテレビである。エアコンはエアコンである。テーブルはテーブルである。コップはコップである。ゴミ箱はゴミ箱である。しかし、一度「ゴミ箱には大量の紙くずが捨てられていた」と叙述してしまえば、ゴミ箱の様相は一変する。彼にはそれが受け入れがたいもののように感じた。夜中、彼の家のインターホンが鳴った。彼はほとんど眠りかけていたが、インターホンが何度もなるので、起き上がってドアを開けた。するとドアの前にはスーツを着た二人の男が立っており、「小泉進G郎さんですね」と尋ねた。小泉進G郎は小泉進G郎であったので「はい、そうです」と答えた。すると一人の男は何かの紙を彼に向けて、「小泉進G郎に逮捕状が出ています」と言った。彼らは警官だった。「小泉進G郎はこの時間にあの人を殺して、あの場所に遺棄した。」と彼らは話を続ける。しかし、彼らが言った「この時間」という時間の間、彼は国会に出ていたはずだった。彼は「自分は国会に行っていた」と弁明する。しかし、彼らは「国会には環境大臣が出ていたはずです。小泉進G郎は出ていません。」と言って彼の証言を否定した。
「とにかく、あなたは今日から犯罪者なんです!」
 しかし、犯罪者であると言われるあなたとは一体誰のことなのか、小泉進G郎にはわからなかった。さらに、時々文章に出てくる彼とは誰なのか、小泉進G郎にはわからなかった。彼は小泉進G郎と何か関係があるのであろうか。
 失敗した。僕は初めから失敗していたらしい。そもそも小泉進G郎とは一体誰なのか。僕は僕であって、僕でしかないはずなのに。

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