のんこ

パートナーとの死別を経験して、感じたこと、気づいたことを書いています。書いたことが今苦…

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パートナーとの死別を経験して、感じたこと、気づいたことを書いています。書いたことが今苦しみの渦中にある方の心の拠り所のひとつになれば嬉しく思います。Twitterでもつぶやいています。

最近の記事

遺言を叶える

昨日、全国公開になったばかりの映画 「コットンテール」。 怒涛の2月を経て あえて予定を入れないでおいた この週末は 読書&お昼寝で のんびり過ごそうと思っていましたが、 テレビで コットンテールのCMを見て 観にいこう!と 即決したのは昨日の朝でした。 リリー・フランキーさんの りきみ感のない在り方が 好きというのもありますが、 亡き妻の遺骨と遺言を胸に 妻の思い出の場所を探す というストーリーに 今触れると どんな感じがするのだろう… 怖いものみたさの 私がそこ

    • 季節に心が追いつかない<早春>

      河津桜が咲き始めました。 寒さの中で感じる 春の足音。 自分には 永遠に春がこない感覚がある時 疎外感が大きくなっていく… あの時 そんな気持ちを誰かに話せたら もう少しラクに生きれたのかもしれません。 哀しみに振りまわされる日々から 哀しみとともに生きる日々へ 身近な人を亡くし 遺された者は 哀しみの感情が身体にはり付いたようになり そこから一瞬たりとも自由になることができません。 当初、私は痛みと向き合ったり 「自分に起きていること」 「自分が思っていること」

      • 自分を語る

        ご無沙汰しております^^; 今日ひとつ決めたことがあるので 決意が揺るがないうちに ここで宣言!! なんかようやく伝えていきたいことが 整理されてきたというか 発信しなくちゃとかじゃなくて 自分の経験したことを 等身大の今の私から出てくる言葉で 伝えていきたいなと。 この一年、 グリーフカウンセリングを学びながら 感じたブレーキも含めて。 言葉になるまでじっと待つこともあるかもしれないけど、まずは自死遺族としての20年を振り返るところからはじめてみようと思います。

        • どう生きたの?

          大切な人が亡くなった当時の私は どう亡くなったのか… ばかりを考えていて 後悔の念に押しつぶされそうでした。 ある時 「彼はどう生きたとあなたは思いますか?」 とカウンセラーに問われました。 「太く短く生きたと思います」 と私は答えました。 「太くとは?」と続けて問われた時 頭によぎったのは 目をキラキラと輝かせた 彼の笑顔でした。 心の奥の方から あたたかいもの湧き出てくる感じがありました。 「楽しかったね」 「いつも優しかったね」 「一緒に生きた時間、忘れないよ

        遺言を叶える

          遺された立場になって学んだこと

          のんこです。 こういう立場になる前の私は 恥ずかしながら 無意識にやりがちだったことでもあります。 遺された立場になって学んだことは 『自分の好奇心を満たすための質問は控える』 ということ。 自分の中で湧き上がった疑問を そのまま口にせずに、 相手を思いやる気持ちに もとづくものかを 自分に問い直してみましょう。 詮索するような質問は 私はとっても辛かったから。

          遺された立場になって学んだこと

          二十年目の6月

          のんこです。 noteの更新、一年ぶりになります^^; この一年はTwitterで自分の気持ちを綴ることが多かったんですが、やっぱり6月になるといろんな記憶が蘇ってきて、Twitter+αの文章量で言葉を綴ってみたくなって、noteを久しぶりに開きました。 主に私自身のあゆみのことになりますが、グリーフケアについてや、グリーフサポートの取り組み通して感じたことなども綴っていこうと思いますので、よかったら時々のぞきにいらしてくださいね! 先週、体調をくずして、熱が下がっ

          二十年目の6月

          また会えたら

          のんこです。 突然の死。 激しい動揺と混乱の後に 繰り返される問いがある。 どうして…? あの世という世界があって 旅立った者たちが みなそこに行くのだとしたら、 私があの世に行った時 彼のもとに飛んでいって 真っ先にそう聞いてみたいと思っていた。 何か思い悩んでいたなら、どうして言ってくれなかったの? どうして、私を置いていったの? どうして、あんなことしたの…? どうして?が とめどなく溢れ出る。 けど、そんなふうに詰め寄ったら きっと「ごめん」と ひ

          また会えたら

          握りしめている糸

          のんこです。 昨日、車の中で ラジオから流れる曲に 視線が遠くなった。 哀しみの感情に 触れそうになる時 わたしの視線は宙を舞う。 歌詞のコトバは 鍵がかかった記憶の扉を 開けることもなく するっと抜けてくる。 風みたいに。 糸を握りしめているのは 離すってことは 忘れるってことに なっちゃうからじゃないかって 思っているから。 忘れないでいてあげることが わたしに残された たったひとつのできることなんだ と思っているから。 嵐の時は どこかに飛んでいって しま

          握りしめている糸

          輝いて消えていった君

          のんこです。 一世を風靡した あの曲を久しぶりに聴いた。 聴くたびに むせび泣いてしまいそうになる哀しみが どこからともなく こみ上げてくる。 聴きながら 先日白馬の山々を見た時、一緒に春スキーを楽しんだ頃の記憶が、ドバーッと蘇ってきたことを思い出した。 ふもとは燦々と降り注ぐ あたたかな太陽の光を浴びて 春めいている。 道の脇を流れる小川は 雪解けの水で水量が増し 勇ましく流れている。 厚手のコートから 解放された人たちは 身も心も軽そうに見える。 なのに、

          輝いて消えていった君

          哀しみと共に生きる

          のんこです。 あなたが哀しみを語るとき 思い浮かべるあの人がいるように わたしが哀しみを語るとき 思い浮かべる人がいる。 あなたが哀しみを語るとき 思い浮かべる景色があるように わたしが哀しみを語るとき 思い浮かべる景色がある。 思い浮かべる景色に立った時 哀しみが込み上げてくる。 変わらない景色が そこにあるのに、 わたしの大切な人は そこにはいない。 それを感じながら ここに立つ。 移り変わる季節によって 景色の色は変われども、 わたしと大切な人の 心

          哀しみと共に生きる

          本当は忘れたい

          のんこです。 一昨日は 東日本大震災から11年 ということで テレビ、SNSで たくさんの追悼番組や 投稿を目にしました。 津波の映像や 大切な家族や友人を失った方々の インタビューが流れると、 私はあの時何もできなかった 無力感を思い出して、 一昨日は食事の準備や 洗濯物をたたむ手が 何度も止まりました 自分の身に起きた グリーフ(死別悲嘆)が重なり、 自責の念がオモテに顔を出した時、 SNSで飛び交う 「この日を忘れない」 というフレーズは 私にはとても遠い

          本当は忘れたい

          書けない想い。隠したい学歴。

          のんこです。 先日、トライしてみたい職種の募集があって 何年かぶりに履歴書を書いた。 十代の頃のあの「つまづき」が その後の私の人生に 暗い影を落としたんじゃないか… 履歴書を書く度に その思いに出くわす。 同じ会社に25年もいたのは もしかすると この履歴書を書いた時の感情と 出会いたくなかったからもしれない とさえ思ってしまう。 私の学歴には 「中途退学」という文字がある。 学校で嫌なことがあったわけでもない。 友達がいなかったわけでもない。 なのに、高2

          書けない想い。隠したい学歴。

          終わりなき問い

          のんこです。 大切な人が 突然亡くなってしまうと 遺された者には、 処理しきれない疑問が 次々浮かび上がります。 どうしてこんなことをしたんだろう? 何がいけなかったんだろう? 一緒に過ごした時間は何だったんだろう? 哀しい気持ちに いろんな疑問が押し寄せてきて、 答えを見つけられない現実に 心がどんどん麻痺していく… しだいに この悲劇を止めることができなかった自責の念と 絶望感が膨れあがり 生きている感覚がどんどん薄くなる… 誰かに分かってもらいたいのに

          終わりなき問い

          わかちあいの会か?一対一か?

          のんこです。 最近、どちらからがいいですか? と聞かれることがありますが、 私は「抵抗感の小さい方から、試してみてはどうでしょうか?」 とお伝えしています。 もともとオープンな性格で 複数の人と話すことに 抵抗のない方であれば、 わかちあいの会の方が 話しやすいかもしれません。 もともと内向的な方は いきなり複数の方の前で 話すこと自体に 足踏みしてしまうこともあると思います。 ちなみに私は一対一からでした。 (しかも、グリーフケアではなくコーチングからでした…)

          わかちあいの会か?一対一か?

          突然の別れ

          のんこです。 昨日まで当たり前に続いていた 大切な人との日常が なんの予告もなく突然終わる。 これは 自死に限定されたことではない。 事故死、災害死、犯罪死 そして、突然死もある。 平穏な日常が 突然奪われた後のショックは 計り知れない。 1週間前まで 笑いながら一緒に山を歩いていた人が 書き置きを残して姿を消す。 なんで?どうしてなの? 何千回もこの問いと 向き合ってきた。 だけど、18年経った今でも 分からないまま。 私とJくん(亡くなった前夫) との別

          突然の別れ

          雨あがりの傘

          のんこです。 今朝、たまたま目にした この言葉が、 今のワタシに気持ちに ピッタリだなと思ったので ブログのタイトルにしてみました! 雨はもうあがった。 青空も見えはじめている。 雲の動きは早い。 明日はきっと晴れだ。 そして 「雨があがってよかった〜」 と空を見上げる私の手には まだ濡れた傘がある。 雨の名残りがそこにある。 noteにグリーフのことを 書いていこうと決めてから いつも頭の片隅にあった ブログタイトル。 今朝、一瞬で「これだ!」と思った。

          雨あがりの傘