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本当は忘れたい

のんこです。

一昨日は
東日本大震災から11年
ということで

テレビ、SNSで
たくさんの追悼番組や
投稿を目にしました。


津波の映像や
大切な家族や友人を失った方々の
インタビューが流れると、

私はあの時何もできなかった
無力感を思い出して、

一昨日は食事の準備や
洗濯物をたたむ手が
何度も止まりました


自分の身に起きた
グリーフ(死別悲嘆)が重なり、
自責の念がオモテに顔を出した時、

SNSで飛び交う
「この日を忘れない」
というフレーズは
私にはとても遠い言葉に聞こえました。



遺された者にとって
忘れたくないのは
彼らとともに生きた時間であり
当たり前の尊さ。

生きたくても
生きれなかった
彼らの無念さ。


そして
彼らが遺された人の記憶に
残してくれた笑顔
なんじゃないかと
私は思うんです。



私は自分の大切な人が
失踪して
変わり果てた姿を
確認するまでの時間は
あまり思い出したくありません。


生きていて欲しい
と手を合わせ、
「きっと大丈夫」と
何度も自分に言い聞かせる。


だけど祈りは届かず
「死」を突きつけられ
世界が一変してしまったから。


見える世界から
色が消えた瞬間。


こうしてブログを
書いていても
あの時の哀しみ、混乱に
触れたくない…という感覚から
心のシャッターを
おろしたくなります。



災害は
発生日時が明確なことから、

強制的に
思い出させられるしんどさを
抱いておられる方が
いることも

私たちは心に留め置かねば
ならないのではないでしょうか。



被災地域に
親類縁者もなく
離れた場所に住んでいる
私たちがすべきことは、

被災者や遺族の方の苦難に
想いを馳せながら

自分のこのおこないに
誰一人気づかなくても

社会や環境を良くしていくために
どんな小さいことでも
やり続けると決め
日々実践していくことなのかもしれません。

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