塾通いに「待った」令和の子育ては"熱中"を引き出せ!《中学受験》
皆さんは中学受験を検討していますか?
東京に住んでいると、絶対に無視できない選択肢が中学受験です。
東京にはたくさんの個性あふれる私立中学校が存在するため、公立にいくか、私立に挑戦するかで、永遠に悩むことができます(白目)。
私の住む中央線沿線地域では、私立がそれなりに充実していることもあってか、感覚値的には8~9割の家庭が中学受験を検討しています。実際に居住エリアが近い小学生の子供をもつ親とこの話題になると、ほぼ100%、中学受験をする、あるいはそうとは決まっていなくても塾には通っている、という答えが返ってきます。
そして私自身も中学受験経験者です。そのため、私立に行く魅力、中高一貫校へ行く魅力はそれなりにわかっているつもりです。
だからこそ最近興味が湧いているのは、東京にいながら中学受験を"しない"という選択肢です。
中学受験は、すべての受験の中で最も準備期間が長いと言われます。塾に通い始める標準的な時期は小3の3学期で、そこから約3年間かけて入試本番に備えます。通塾開始時期も年々早期化しているようで、SAPIXに年長さん対象の講座があることを知った時には、思わず戦慄しましたね。
準備期間が長いということは、その分だけ子供の日常をそれに捧げるということです。
リセマムの記事によれば、同じSAPIXの例だと、4・5年生は17:00~20:00を週2回、6年生は平日に17:00~21:00が2日間(後期は3日間)あり、加えて土曜日も14:00~19:00と長時間勉強します。
これを時間に換算してみると、4・5年生は約313時間、6年生は約651時間も塾で勉強していることになります(実際には夏期講習などもあるためもっと多くなります)。
3年間で1,200時間を超える膨大な時間、ビルの締切の教室で机に向かい続けることを、皆さんならどう思いますか?
考えれば考えるほど奇妙にも思えてくるこの「中学受験」という一大イベントに、鮮やかな一石を投じているのが、今回ご紹介するこの書籍です。
結論から言うと、私はこの書籍の提言にかなり共感できました。中学受験が当たり前、塾に通うのが当たり前の地域に住んでいるからこそ、必ずしもそれだけが全てではないのでは?という心の奥底にあった疑問をうまく言語化してくれ、本当の意味で子供が学びを楽しむとはどういうことなのかを知ることができました。
このnoteでは、まさに本書がターゲットとしている「中学受験は考えていないけれど子どもを塾に行かせている、あるいは行かせないことを不安に思っているお母さんやお父さん」に向けてブックレビューしましたので、試し読みの感覚でぜひ最後までご覧ください。
著者:宝槻泰伸(ほうつきやすのぶ)さん
1981年東京都生まれ。京都大学経済学部卒業。受験も勉強も教えない教室「探究学舎」代表。高校を中退し京大に進学。5児の父。
はじめに
本書は、変化の激しい「令和」の時代に、親世代が味わってきた「頭がいい=幸せになれる」という「昭和」の経験則が、本当に通用するのかという疑問を投げかけています。
今の社会のありようを観察しながら、本当にすべての子供に「塾」が必要なのかを見つめ直し、子供が自ら意欲的に学ぶようになるためのはたらきかけを提言しています。
以下のレビューは、私が実際に読んでみて特に参考になった内容をまとめていますので、本書の目次とは一致していない点をあらかじめご承知おきください。
親の不安の正体
「なぜ子供に塾が必要だと思うのですか?」
もしこう聞かれた時、皆さんなら何と答えますか。
「私立中学を受験をするから」
この理由であれば、ぜひ頑張ってください、だそうです。
残念ながら中学受験の対策において小学校の勉強はほとんど役に立ちません。私立中学校に合格する上で塾は"必要"である、というのは筆者も認めるところです。
しかし、次のような場合は「ちょっと待った」です。
「みんな行ってるし、わが子だけが行かないのはなんとなく不安だから」
「塾に行かないと勉強に後れをとるのではないかと思うから」
「学校の成績が悪く、このままではまともな学校に行けない、幸せな未来はないと思うから」
「公立の学校では私立出身の子に将来負けてしまうのではないかと不安に思うから」
このような場合、「勉強ができる=幸せになれる」という昭和の価値観があなたを不安にさせている可能性があります。
成り立たなくなった方程式
現在小学生のお子さんを持つ親御さんは、高度経済成長期に子供時代を過ごした方が多いです。皆さんのご両親は「いい学校を出ていい会社に入れば経済的に豊かになり、いい暮らしができる」ことを目の当たりにしてきた世代なので、その価値観が自然と皆さんにも植えつけられているといいます。
「勉強ができる=幸せになれる」
この方程式は、確かに当時は成り立っていました。成功のルートがそこにしかなかったからです。しかし今はどうでしょうか?
人間より優れたAIが仕事をはるかに効率的にこなし、未成年YouTuberがその辺のサラリーマンよりもたくさん稼いでいる時代です。
勉強ができれば幸せになれるという方程式は、もう成り立たなくなってきているのです。
「適合」に比重を置き過ぎている
外の世界のモノサシに自分を合わせることを「適合」と言います。
社会のルールに従う。校則に従う。正解とされる答えをできるだけ早く導き出す——。
かつては「適合」こそが幸せになるための条件でした。
学校や塾で行われていることは、この「適合」の訓練だと言います。
宿題をきちんとやり、遅刻をせず、好きなことばかりに夢中になるのではなくバランスの取れた生活を送る。
確かに子供たちは、ルールに従う練習をたくさんさせられていますね。
しかしこれからは、「適合」以上に「創造」が求められる時代だと筆者は指摘します。
「創造」とは、自分の内側にモノサシをもつことです。
何を美しいと思うか。何をするのが楽しいと思うか——。そうした自分のモノサシに従うことで、新しいものを発見したり、思いもかけない仕事に出合えたりします。
「適合」と「創造」はバランスが重要です。
かつてはすべての子供が「適合」の方に重きを置かれていましたが、中には「適合」が向かない子供にもいます。そういう子供については、もう少し「創造」の方に重きを振ってもよいのではないかと筆者は述べています。
それはつまり、「塾に行かせる」ではない選択肢をもつ、ということです。
人間の8つの知能
学歴社会の余韻が残る日本では、依然として「知識」と「思考力」で形づくられた"偏差値"というモノサシで人が評価される風潮があります。
しかし「知識」と「思考力」は、いくつかある人間の知能の一部でしかないと筆者は言います。
ここで引用されているのが、アメリカ・ハーバード大学のハワード・ガードナー教授が提唱した「多元的知能理論(多重知能理論)」です。
8つの知能の詳細は上の記事を参照していただきたいのですが、最大のポイントは、これら8つの知能に優劣をつけていない点にあります。
日本では、「多元的知能理論」でいうところの「論理・数学的知能」「博物学的知能」「言語・語学知能」あたりが優れている人が"優等生"と呼ばれる傾向にあります。これらはまさに塾が鍛えようとしている知能といえるでしょう。
しかし「多元的知能理論」では、すべての知能は横並びで捉えられます。よって、あえて"優等生"という言葉を使うならば、日本版"優等生"以外にも、さまざまなタイプの"優等生"が生まれるのです。
どれかの知能を伸ばせればよし
この8つの知能のうち、もし日本版"優等生"に必要な知能が乏しくても、焦る必要はありません。
他にも知能の種類はたくさんあるのだから、いったんそこには目をつむり、他の知能を伸ばす環境やきっかけを用意して、子供を楽しく学ぶ方向へ導いてやってはどうかと、筆者は提言しています。
塾が向く子・向かない子
さてここまでで、塾通いをしない理由づけを紹介してきましたが、筆者は塾に対して否定的かと言われれば、決してそんなことはありません。
こういう特徴がある子供には、塾は向いていると言います。
・明確な目的意識のある子
・素直な子
「行きたい中学がある」と自分の意思がはっきりしている場合、塾に行かせる価値は大いにあると言います。
また「素直な子」の場合も、勉強の上昇スパイラルに乗りやすいため、塾通いの効果が期待できるといいます。「これやってみようよ」「これをやってきなさいね」と言われた時に、素直にそれに取り組める子は、「できた!」→もっと難しい課題に挑戦する→「できた!」のサイクルに入りやすく、結果として力がどんどん伸びるそうです。
一方、塾が向かないケースもあります。
・明確な目的意識がない子
・親が不安だから塾に行かされている子
特に一つ目の「目的意識がない子」については注意が必要です。一見、子供自身が受験を望んでいるように見えていても、よくよく話を聞いてみるとそうでないケースがあるといいます。
その事例として挙げられていたのは、親が学校のオープンセミナーなどに行って「楽しそうだよね、この学校!」「行ってみたいと思わない?」とそそのかして、子供が生半可な気持ちで「うん」と答えているケースです。
その程度の意識だと、いざ塾に通い始め、大量の宿題を与えられ、テストの成績順で席が決められていくと、だんだんとしんどくなっていきます。その時に親が「あなたが行きたいと言ったんだから」と言って親子の間に不穏な空気が流れ始めるのは、珍しいことではないそうです。
なんだかこれについては私自身もいつか陥ってしまいそうな気がして、耳が痛かったです。いろいろな学校を見て回るのは重要ですが、自分が勝手に気に入ってしまった学校を子供にゴリ推ししないように気を付けないといけませんね……
熱中にも2種類ある
本書の前半では、塾通いにこだわらず、子供が真に熱中できるものを見つけようという話が続きますが、後半では何でもかんでも熱中すればよいというものでもないということが書かれています。
筆者は、熱中を「自発型」と「依存型」に分類しています。
「自発型」の熱中
「自発型」の熱中とは、その熱中状態を自発的につくり出している状態です。本書の例をそのまま引用しましょう。
興味関心が推進力となって、どんどん発想を豊かにしていっていますね。
「依存型」の熱中
一方、「依存型」の熱中とは、誰かに与えられたものに、決められた意図どおりに熱中し、それがないと熱中できない状態です。
わかりやすい例がゲームです。
用意されたレールの上を走るだけの熱中では、成長が難しいということですね。
仕事でも、具体的な業務を与えられないとやるべきことを見つけられない人は多いです。そういう人を見ていると情けなくなるので、自分はそうならないようにいつも意識しているのですが、自分の子供もそういう人にはなってほしくないですね。
「自発型」と「依存型」を比較すると、「自発型」を経験してきた子供は、自分で考える力が高いのではないかと想像できます。
「なんでこうなっているんだろう?」
「こうしてみたらどうなるんだろう?」
と考える癖がつくので、たとえまったく違うジャンルの仕事に就いたとしても、課題を発見する力や検証する力をその場で発揮してくれそうです。
まとめ
ここまでお読みいただいて、実際に塾生活がうまくいっていないご家庭には、少し安心材料になったのではないでしょうか。
確かに皆さんが思うように、近年は、教員の質の低下や生徒の学力のバラつきが著しく、公立中学校に進むリスクが高まっていることも事実だと思います。自分の子供には、いい意味で身の丈に合った教育を受けてほしい。そのために私立中学校へ行かせたい。あるいは行かざるを得ないほど、地元の環境がよろしくない。いろいろなご事情があると思います。
ただその一方で、本書が指摘するように、学校や塾の評価軸は「知識」「思考力」に偏っている節があるかもしれません。そのせいでお子さんが、本来の自分の良いところが評価されずに苦しんでいる可能性も否めません。
多元的知能理論によれば、人間の能力は必ずしも「知識」「思考力」ばかりではありません。
得意でないことを無理にやらせていないか。
本当は子供が嫌がっているのではないか。
このnoteを読んでそんな不安がよぎった方は、ぜひ一度この本を手に取っていただくとよいのではないかと思います。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
もし参考になりましたら、スキなどしていただけると嬉しく思います。
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