見出し画像

【エッセイ】noteが楽しい理由は頭の中が空っぽだから

タイトルは、僕においての話である。
しかし、共感してくれる方も、いるかもしれないと思い、綴る。

僕は普段、信じられないほど、何も考えていない。
ぼけーっとしてる。
ぼーっとしてる。
何かについて何かを思うことが全然無い。
人と居て、この人には何を言ったら喜ぶかな、何をしたら楽しいかな。
それくらいだ。

あとは、まじで何も考えていない。

そんななか、noteを書く時、否応でも何かを考える。
普段全く何も考えていないなか、何かを考えだす。
その、頭の天変地異が、楽しい。
note(あとTwitter)を書く時だけ、頭を働かせる。普段頭を使ってないからだろうか、頭を働かせたらとても楽しい。まじで何も考えていないから、突然脳に栄養が渡り、元気になるということだ。

しかし、普段何も考えていないのに、何故、何かを書こうとしたら一応でも何かを書けるのだろうか。
それは、多分、高校生の時に大喜利にはまっていたからだ。
僕の考える脳のベースは大喜利で出来ていて、ほとんど大喜利の要領で文章を書いている。
先の事は何も考えず、前の一文をお題と捉えて、次の一文で答えを書く。そしてその一文が今度はお題となり、次の一文が答え。その繰り返しで書いている。
あとは寝ている時に夢を見るがそれを起きながらやってる感じか、或いは誰かに共鳴して憑依して心情を書くとか。
とはいえ、普段なんも考えていないのに、いざ書くとなると何か出るのは不思議だなーと思う。

エッセイは日常の事を書くもの、と気付いてから三連続で自分の事だけを書いてるので、次からはまた自分以外の事を書こうかなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?