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【エッセイ】noteでChatGPTやAIを使った事が無い

タイトル通りです。
なぜ使ったこと無いかというと、僕は自分が楽しいから書いていて、その楽しさが「自分が何かを生み出している」という興奮から来ているからです。
書く内容は、まずエッセイとか詩とか短編小説とか、その時の欲望でジャンルを決めて、そのあとは自分の奥底にある無意識にアクセスしてそこから生み出てくる文章を後先考えずに書くという方法で書いていて、それが楽しい。
書く時に、自分と一致している気がする。
自分の無意識がいつもおざなりになっていて、そこを浮かび上がらせる事で自分と一致して、本当の自分がその時は生きている気がして、それが楽しいのだ。
ChatGPTやAIは、まあ使ったことないからわからない所はあるが、自分が自分の無意識に侵入するのを拒まれそうで、頭で書く事になりそうなのと、何か取っ掛かりがある中で書くと半分は自分じゃなくなる気がするのだ。自由が好きなのだ。

文章を書く事は、自由になる事だ。
言葉は、何かを規定する。限定する。
「これ」と「これ」を区別するのが言葉だ。言葉を使う事で、そのものが、そのものでしかないものになる。
しかし、言葉の連なりの組み合わせをおかしくする事で、本来「これ」でしかない物が、別の何かにもなりうる可能性が生まれる。それも楽しい。のではないだろうか。これも自分の無意識にアクセスして浮かんで来たことを書いてるが、果たしてChatGPTやAIは、この文章を書く事は出来るだろうか。こんな抽象性と個人性を持った文章を。

僕のnoteみたいなの、ChatGPTもAIも書けないだろ!!ヘイヘイ!何故なら一般化せずに個人性の高い物を書いてるからだ!ChatGPTやAIが僕みたいな文章を書く頃には、その事実が無意識にアクセスされ、僕はまた別のフェーズの文章を書く。てめえらは着いてこれねえよ!ヘイヘイ!!

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