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884 期待値を下げる

こんにちは!
(一社)全日本ミニマリスト協会です。

【期待値を下げる】

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人が落胆する原因は、何だと思いますか?

過去に誰かに裏切られた、後輩が言うことを聞いてくれない、子どもが時間通りに動いてくれない、駐車場が空いていなかった、LINEの返事が遅い。

日常にある小さな落胆から大きな落胆まで、全てにあてはまるのは
『期待』なんですね。
しかも厄介なことに、この期待というのを自分が勝手にいつの間にかしていて、その期待通りにならなかったから『落胆』という表現で自分に突き付けられるのです。

ミニマリズムは、この『期待』さえも手放してしまう。
あらゆることに期待をせず、起こることのありのままを受け入れられるようになったら、実はそこに生きることが楽になるヒントが隠されているのです。

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人は慣れる生き物なので、そういう意味では実に儚いです。
例えば、今でこそテレビの地上デジタルでものすごく高画質な映像がどこでも見れますが、あれが昔のブラウン管の画質だった場合、もう見れないでしょう。

地デジに目が慣れてしまったからです。
しかも、それが当たり前になっているので日本以外のどこかの国で地デジじゃない画質のテレビを見たらおそらく見られたものじゃないと思ってしまうはずです。

まだテレビに関しては優しいものですが、これが生活水準レベルで当たり前になってきたらでどうでしょうか。
たまに食べる高級寿司だからより美味しいと感じるのに、これが毎日になって大手チェーン店のお寿司屋さんが不味いと感じるようになったら、これってある意味では不幸だと言えませんか。

すべては『期待値が高くなったから』と言えます。
期待値が高ければ高いほどに、その差があったら勝手に落胆してるし、
むしろ期待値を下げに下げてて思っていたより期待値超えの結果が得られたら、それって幸せだったりします。

・高級寿司だから期待して行ってみたら値段の割に美味しくなかった
・チェーン店だからと言って見くびっていたら、思っていたより美味しかった

この二つだと、果たしてどちらが自分の心にプラスに働くでしょうか。

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これが自分に対する期待値ならば、それは発破をかける意味もあるので時にチカラになるかもしれません。

《自分なら、これくらいできる》

そういう期待値は、自分が考えているはるか向こうに連れて行ってくれる原動力になることもあるでしょう。
その期待が裏切られたとしても、裏切ったのも自分だから自分以外を責めることはない。
責めるならば、自分をもっと高めて自分の期待に自分が応えるようにすればよいだけなのです。
外的なことに期待値を勝手に高めて、期待どおりにならなかった時ほどの落胆ぶりはないし、それが対人であるならばなおめんどくさいことになりかねません。

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ただその期待値は、時に必要な場合もあります。
例えば職場の新人君が小さなミスをしたときに先輩から
『あなたはもっとできる。期待しているよ』
という掛け声は、人によっては原動力になるでしょう。

もしかしたら中には「勝手に期待すんじぇねぇよ」と思う人もいるかもしれませんが、そう思う人は考えを改めるきっかけになれたら嬉しいです。

すべての期待が決して悪いわけではないでのすが、
厄介なのは勝手に人に対して、物事に対して期待値を高めてしまっていること。

期待値こそ低めでいて、それを超えたときのほうが心が豊かになるのは間違いありません。

初めて食べるフルールが見た目に比べてはるかに美味しかったら幸せになれるでしょう。
そんなイメージです。

日常にも《当たり前》が増えてしまって、期待値も高まってしまっている現状です。

極端ですが、お天気が晴れより雨のほうがイヤだったとして、今の季節は梅雨時期ですので雨がたくさん降る傾向にあるでしょう。

連日の雨予報の中でも、たまに晴れたら嬉しいものです。
そんな小さなこともある意味では「期待を裏切られた」、「期待値を超えた」と表現することもあり、普段から晴れが当たり前になっているから雨がイヤになる。

期待値を下げるということは、当たり前に疑問を持つことであり、
当たり前に感謝することにも繋がってきます。

・今日が起きれてよかった
・毎日仕事ができて幸せ
・家族が元気で幸せ
・楽しいことばかりで最高
・ご飯が美味しい
・ワクワクできることがある

小さなことの期待値をグンと下げて、ありのままを自然に受け入れられるようになったら、小さな幸福の気付きが大きな心のエネルギーに変化していきます。

この心のエネルギーに、多くの物は必要ありません。
大事なのは、

【心の持ちよう】
【自分の在り方】

だけなのです。

無限に溢れる物に期待を寄せると、次から次へと期待値の下をいくものも期待値を超えるものも出てきます。
物に期待すると、どんどんと物を手に入れて自分の勝手な期待に物に応えてもらおうとする。

物欲と同様に物に対する期待値も際限がないため、
どんどんとレベルアップしてその分必要なお金もどんどん増えていくでしょう。

そうして終わりのないレースに身を委ねるのです。
永遠に満たされることのない物欲と、物に対する期待値が存在するならば、その物欲と期待値をグンと低くしてみる。

すると、満足への到達点が低くなるので、すぐに満足することができ自分の心が充足されるでしょう。

期待値を下げることは、自分にしかできません。
期待値をどれだけ下げるのかも、自分にしかわかりません。
はるか高みにある物欲と期待値があるならば、そこに到達するまでに一体どれだけの物を手に入れ、どれだけのお金を費やし、どれだけの時間を浪費すればよいでしょうか。

小さくジャンプして届くくらいの充足感が、生きる喜びのハードルを下げてくれます。

日常に溢れる小さな喜びがたくさん溢れる時間を、過ごしていきたいものですね。

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