828 自分で決断すると、愚痴が出ない
こんにちは!
(一社)全日本ミニマリスト協会です。
【自分で決断すると、愚痴が出ない】
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『決断とは断ることを決める』
という言葉が好きな僕ですが、まさしく断ることをしていかなければ、あれよあれよといらないことに巻き込まれるのです。
・これはもうしないと断る
・これ以上関わらないと断る
日常生活は自分の選択で成しているけれど、すべて自分か主体性を持って決断していることは、実は少ないかもしれません。
過去の経験や憶測から、なんとなく決めていることはあるし、流れで決まってしまっていることもある。
だけど、人生の主導権を握るには、小さなことから大きなことまで自分で決断、つまり断ることを決めなければならないのです。
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例えば僕は消防士を辞めて起業しました。
それは、消防士以上にやりたいことがあったからです。
その決断に対して、果たして愚痴や文句が出るでしょうか?
いやむしろ、愚痴や文句を言える立場でしょうか?
そう考えたとき、【自分で決めたこと】だと文句も愚痴も出ないはず。
自分で『やる』と決めたから。
僕の場合は起業というある意味では特殊ですが、僕か消防士のとき、それはそれは愚痴も文句も言っていました。
組織の歯車になっている人は、誰だって文句や愚痴のひとつはあります。
おそらくこの先、僕だって文句や愚痴はきっと出るでしょう。
でも、結論としては『自分で決めた』のだから、すべては自分の責任になるのです。
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ではこれをミニマリズムで考えてみたらどうなるでしょうか。
もし物をたくさん持っていて、お気に入りの物を失くしたから探さないといけなくなったとき、なかなか見つからないとイライラしますよね。
その物を『持つ選択』を『決断』したのは、いったい誰でしょうか。
『物を手放さない』という『決断』をしているのは誰でしょうか。
物を手放す時、きっと少なからず『よし、捨てよう』という決断をしていて、その決断によって物を少なくし、徐々に楽になっていく。
でも、手放さなかったときは『手放さずに残しておこう』という決断をしているのです。
手放す決断は目立つけど、手放さない決断は目立ちにくいので気付かれにくいです。
何事も人の判断や決断に委ねることは、責任を誰かに取ってもらうことなのでとても楽です。
でも、それでは人の言いなりになってしまい人生の手綱は自分で持っていない感覚もきっとあるはず。
1日に人が決断・判断できる数には限界があり、夜になればなるほどにその《決断体力》は削られていきます。
だから、大切な決断をするときには朝や午前中にすることがオススメなのです。
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物を手放すときに、誰かに言われて手放した物は後々に喧嘩になったり、根に持たれたりします。
だから、ミニマリズムは他人に強制してはいけないのです。
物を手放すことさえも自分でしっかりと決断し、
何を持ち、何を手放すのか。
主体性を持って『これがいい』と決断していけば、きっと手放した物への後悔は少ないし、手放す器が少しずつ形成されていきます。
決断力があるとかないとか、優柔不断な性格とかそうじゃないとか、それは行動しない決断を肯定したい言い訳でしかなくて、大人になった今、物を残すのか手放すのかぐらいは自分でしなければなりません。
『手元に残す』という決断ができた物はきっと大切に扱うし、残していても忘れることはないでしょう。
それよりも、何も考えずに手元に残している物や使いもしない物を持っているのは、手放すことより後々に後悔する要素になります。
なぜ後悔するのかは、そのときになったらわかるはず。
今すぐに不要な物を持っているこのリスクや影響力はわからないのです。
『手放す決断』
この力を手に入れることができたら、人生は楽になっていくでしょう。
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