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恋だの、愛だの、結婚だの

結婚とは日常であり、恋愛は非日常である。
愛の有無はまた別の話な気がする。
この人となら生活を営むことができそうと思うならば、結婚相手としてそれで良いのだと思う。
やれデートがどうの、プレゼントがどうの、非日常のそれらは結婚とは関係ない話だ。

私は日常を共に過ごすパートナーが欲しい。今付き合っている彼とは、そんな関係になれるだろうか。それはおそらくノーだ。
恋愛と結婚はちがう。前にも書いたが、恋愛の延長に結婚があるとは思えない。所詮、今は恋愛ごっこをしてるようなものである

他者との関係から、日常を共にする共同体という関係への変化がいかにして起こるのか、という問題はやはり難しい。想像がつかない。
ついこのように考えてしまうのは、両親も私の姉も学生のときに付き合った人と結婚しているからなのだが、不思議である。私にとって恋愛と結婚は全く別物だ。

こうなったら、結婚を前提にお付き合いすることがスムーズだ。非日常としての恋愛関係ではなく、日常としての関係を気づいていきたいですよというお互いの了承から交際がスタートするのならばよいわけである。

しかしこれまた難しい。
結婚はしたいけど、私には出産して子育てしたいという気持ちがない。今のところは。
子供を出産するということはもちろんそれでしか味わえない幸福があるのだろうけど、一方でまた人生の選択肢が狭めることのようにも私は感じてしまう。女だけしか出産できないように人間の体を設計した神をうらむほかない。

世間では、子供を持たないという選択肢はまだ一般的ではないように思われる。少なくとも、私の家庭ではそうだ。
親には子供を産めと言われる。
この歳になると盛んに子供を産め産めと言われるようになる。このとき感じる女の気持ちは男性には一生わかるまい。この虚しさや、困惑や、情けない複雑な気持ちが。

もしも結婚して、同じ日常を営むという認識の中に子育てという要素が一般的に含まれているようならば、日常としての関係を築く上で、私は子育てにはあまり関心がないということを共有し、相手のご両親にそれを受け入れてもらうことが必要になる。これがまた厄介だ。

相手との関係性が希薄な初期の間柄で、出産や子育ての話をすれば引かれるだろうし、それでダメだったらそもそもそれ以降関係は成立しない。
あと、(これが偏見であることも、想像にすぎないよも、主語がデカすぎる発言は控えたほうがいいというのも自覚しているが、)個人的には出産や子育てに対する男性の認識はゆるゆるだと思っている。
私は「子供欲しい〜」という男性が大嫌いだ。たしかに女性が行っている場合もあるけども!なぜ「育てたい」と言わないのか?言えないのか?
それは育児の大半を女性が行う今の世の中そのものを反映しているように思う。

こんなことを考えてると、自分はもしかすると生涯独身なんじゃないかと不安になる。
一人で過ごすのが好きな自分ではあるが、ここで不安という感情を抱くということはやはり結婚はしたい、日常生活を共にする相手が欲しいということの裏返しだと気づく。

客観的にただこじらせてるだけなのでは?という気持ちになりつつも、ここまでうだりうだりと偏見の入り混じった諸々の考えを記録する。
さて、これからどうなることやら。

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