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僕が指導者を志したわけ 後編

 おはようございます。ここ最近年度末の追い込みで全然休みがないのですが、1週間に1回noteをアップするという、自分にプレッシャーを掛けているので、サボらずいきます!

 でも今回は少し楽、そういえば先週、前編のテーマを書いたので、今回は後編を書けばいい!という(笑)先週の自分に感謝。前編の方は下のリンクに貼り付けておきます。

https://note.com/allegria0525/n/n3e852f9ca150

 前編では、自分のスポーツやサッカーに対する想いを綴りましたが、後編では自分自身の生い立ちについて書いていこうと思います。

 今まで自分の生活、人生の中心にサッカーがあり、なにひとつそこに疑いなくこれまで生きてきました。ただ、社会に出て、いろんな人たち、いろんな人の生き方を見て、またこれまで一緒にサッカーをしてきた仲間たちも、スポーツ関係以外の職に就いている人の方がほとんどで、時には客観的に自分と向き合うことも大切なのかと思っています。

 自分は5歳の頃からサッカーを始めました。たまたま通っている幼稚園が年中から男の子は週一回、全員サッカーをすることになっていました。自分はただ楽しんでいましたが、周りにはサッカークラスの時間中ずっと泣いて、端っこに座っている子もいたのを覚えています。それから、幼稚園の休み時間も友達とずっとサッカーをしていた気がします。確か火曜日と木曜日が、自転車の日(園にある自転車で園庭を走り回ってOKな日)だったので、安全面のことからサッカーは禁止されていのですが、僕たちは新聞紙をガムテープでぐるぐる巻きにして、それでサッカーをしていました。

 小学校に上がると、その幼稚園のOBでそのままサッカーチームが出来上がっていたので、自然とそのチームでサッカーをしていました。そのため6年生まで残ったメンバー(15人くらいいたかな)は幼稚園の時と合わせて9年間の付き合いでした。今でもそのメンバーとは、毎年の初蹴りで顔を合わせて近況報告をする仲です。

 小学生の頃はただただ、小野伸二、ロナウジーニョ、マラドーナが大好きで、とにかく彼らのようにボールを扱えるようになりたいとサッカークラスがある日もない日も家でも、どこか旅行先でも年中ボールと戯れていました。

 そして小学校チームを卒団するときに、各自のユニフォームに先生(幼稚園の先生がそのまま小学校チームも見ているので、僕らはコーチではなく、先生と呼んでいました)や仲間同士でお互いにメッセージを書きました。その時にある先生から書いていただいたこと、言われたことを今でも覚えています。

「ずっとサッカーを続けてな!!」

 最初、自分は何を言っているんだろうこの人はと思いました。多くの人たちが、「中学でも頑張って」「今までありがとう」的なことを2行、3行と書いていたのですが、この先生だけは一言「ずっとサッカーを続けてな!!」でした。当時サッカーが大好きな自分でしたので、

「何言ってるんですか〇〇先生、当たり前じゃないですか!」

と言うと、

「これが結構難しいんだなあ実は、けどおまえなら出来ると思ってる」

そんな会話のやりとりでした。当時あまりピンときていなかった自分ですが、年齢を重ねるにつれ、社会に出て、少しずつその言葉の意味がわかるようになってきました。きっと僕が今感じているように、ずっと一緒にサッカーをやってきた仲間も、大人になってサッカーから離れている人がほとんどであるという寂しい気持ちもあったのかもしれません。同時に「おまえなら出来る」と言われことも、何か自分を信じて言ってくださったような気がして嬉しく思うようになりました。だから別に、その言葉に縛られて自分はサッカーを続けなければという呪縛を感じているわけではなく、自分を信じる後押しの言葉となっています。そうした中で、サッカーを続けていくための選択肢の一つとして指導者という道を選んだのかもしれません。

 中学、高校時代はここでは省きます。(指導者を志したこととあまり関係がないので)高校生の時に前十字靭帯断裂と長いリハビリという自分のサッカー人生においての爆弾出来事があったのですが、それはまた改めて綴ろうと思います。(よし、これでまたnoteのテーマひとつストックできた)

 大学はスポーツ系の学部のある大学を調べて、受験しました。今考えると視野が狭かったなと思うこともありますが、スポーツ系の学部があるのに、それを目指さない自分が自分じゃない気がしましたし、実際4年間めちゃめちゃ充実していたので、スポーツ系一択で受験勉強して良かったと思っています。

 大学に入って、そこで本格的に指導者というのを意識するようになりました。というのも、自分が所属しているそのスポーツ学部が運営するサッカー団体(サークルでも体育会でもないという位置付けで周りからは不思議がられてました)があり、そこでは、プレーヤーとして社会人リーグに属しながら、地域貢献として、週に一回、幼児、小学生低学年のスクール指導が出来る環境がありました。

 こちらはボランティアであり、会費も年間で1万円とかなので、今就いている職に比べたらそんなにクオリティが求められるわけではありませんが、初めて現場に立った時は、このぐだぐだはやばい、見学している保護者の方どう思っているんやろうと思うと、保護者の方は一切見れなかったのを覚えています。ただ、純粋に子どもたちって、いいな、すてきだな、この純朴なままスポーツや運動が好きでいて欲しいなと思うようになりました。そう思ってから、大学時代はコーチングについて学んだり、こどもと関われるイベントに参加したり、日本サッカー協会の指導者ライセンスを取りにいったり、また親戚のつてを使い、長野県の小学生キャンプの引率をしたり、とにかくたくさん、こどもと関わる機会を持ち、指導者について学ぼうと思って行動していました。

 大学3、4年生時には、Jリーグチームのスクール指導やアカデミー指導に携わらせていただくようになり、より指導者という職を身近に感じるようになりました。大学3年生のとき、自分が携わっていたJリーグチームとはまた別のチームにはなりますが、そこで出逢い、お話をした指導者が強烈な印象だったのを覚えています。「指導者ってめちゃめちゃ奥が深いんだな」「指導者ってものすごく価値ある仕事なんだな」と思うようになりました。

 また大学の先生も少し語弊のある言い方になってしまいますが、先生が仰っていたのは「一番簡単な指導者は誰かわかるか?それは代表監督だよ。自分の好きな11人を選んでそれを後は1-4-4-2だとか1-3-5-2だとか並べるだけだから。本当に大変なのは、その11人を育ててる育成年代の指導者たちなんだよ」という言葉でした。これまた育成年代の指導に携わっている自分を後押資するために言ってくださったのだとは思いますが、こどもに携わるって本当に価値のある職なんだなと思うようになりました。

 そんな大学生活を過ごしていたので、自然と就職活動もその路線で探すようになり現職に至ります。

 実際に指導者を仕事とすることは、やりがい以上に思うところ、壁に感じるところ、多々あります。しかし、サッカーを続けていくこと、こどもと関わること、この点に関しては、初めてサッカーと出逢い、新聞紙を丸めてまでも夢中になった5歳の頃や初めてスクール現場に立ち、あたふたしながらもなんて子どもたちってなんて純粋なんだろう、このまま成長していってほしいと感じた想いは大切にしていきたいです。


 

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