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不安の正体

生きていると不安になることもある。ただ漠然と考える不安、具体的な不安。取り越し苦労の不安。現代を生きていくには、不安とうまく付き合えるかが重要になる。

僕の場合、暇な時間ができると不安に襲われる。「大丈夫かな」「この時間どうしよう」というように。


小学生の頃から野球をしてきて、大学生になるまでほとんど休みがなかった。平日は学校と部活、土日は1日部活。部活休みがあっても、課題や勉強に充てられる日々。「どこがゴールデンウィークやねん、デッドウィークやないかい」と憤りながら必死に耐える連休。

高校生まではある意味やるべきことがたくさんあった。時間があれば勉強か自主練に充てればいい。いかに時間を効率よく使えるかの勝負。そんな高校生活を過ごし、大学生へ。

大学生になると、休みが増えた。授業が1日あるわけではないし、部活は週3・4回。「あれ?時間はあるけど、何をやればいいんだ?」と、時間があることで、考える時間が増えた。今まで野球と勉強しかしてこなかったから。

そこで登場するのが不安くんである。

大学時代は幾度となく不安くんに苦しめられた。僕はこれまでの経験上、暇への耐性がなかった。最初は不安の正体が分からなかったし、どう解決していいか分からなかった。本当に厄介な存在。



試行錯誤を重ね、不安の正体が「暇」であることを突き止めた。そして最終的に至った結論は、自分で予定を作ること。何か趣味を見つける、新しく勉強する、人と話す、などなど。

予定があることで、無駄に考える時間がなくなった。やるべきことをやるしかないし、悩んでいる時間がもったいない。


ただ、不安が悪いわけではない。考え方によっては原動力になり得る。僕はかれこれ2年以上筋トレを継続できているのだが、モチベーションはあまりない。「ここでやめてしまったら、これまでの努力が水の泡になる。筋肉が落ちるのは怖い」という不安によって、ジムにいくことに成功している。怖い・不安だからこそ、解消するためにジムに行く。

発信だって同じ。noteはいつでもやめれるけど、やめてしまったら何か大きなものを失う気がする。文章を書くことは僕のアイデンティティの1つ。書きたいという気持ちもあるけど、失う怖さ・不安から書いている側面もある。


これからも不安に駆られることはあると思う。そんな時は自分に問いかけてみる。「最近暇なんじゃない?何かやれば?」というように。僕の不安の正体は暇であることが分かっているので、その都度自分の胸に問いかけるようにしたい。

怪我の功名ならぬ不安の功名で、今日から新しいことを始めるつもり。noteを活用した取り組みになるから、自分でもワクワクしている。どうなっていくかな。人それぞれ、行動源はなんでもいい。僕は不安を行動の燃料にして動いていきたい。




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