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逃げるって悪いこと?

 嫌なことがあるなら逃げた方が良いって言う人がいれば、ある程度のことは我慢した方が良いって言う人もいる。苦労は若いうちにしておいた方がいいよと言う人がいれば、できることなら苦労は避けた方がいいよねと言う人もいる。どっちやねんという話。

 それぞれ立場が違って、人によって見えている世界が違うから両極端な意見が出てくる。どんな意見にも良い面と悪い面があって、どう取り入れるかは自分次第。相性もあると思うし。



 僕は嫌なことや明らかに苦労するのが分かっていることからは避けてもいいと思っている。”苦労したかどうか”、”苦しんだかどうか”は人生において、必須項目ではないから。

 みんな何と戦ってるんだろう。苦労するのが美徳なのか。苦労とか努力とか我慢とか、個人的になんか引っかかるんだよな。もちろん、僕の場合はの話。



 たぶん、自分も苦労とか努力とかしていると思う。でも、今のところは楽しいことをやっているから、苦労とか努力とかを感じていない。この感覚をすごく大事にしたい。

 noteを書くことだってそう。他人から見ると、すごく大変な作業かもしれない。でも、僕にとっては楽しいことでしかなくて。だから、毎日書くことになっても、頑張ってやっている感覚はほぼないに等しい。


 人それぞれ、努力とか苦労とか気にならないことがあるはず。それをいかに見つけられるか。だから、あえて苦労するようなことをするのはちょっと違う気もするんだよな。言葉にしようと思うと結構難しい。



 自分に向いているものを探したいなら、いろいろなことから逃げたっていいと思う。たくさん挑戦して、いっぱいやめて、その中から自分に合うものを探せばいい。今までにどれだけのものをやめてきたことか。

 物事を途中で投げ出すのは良くないことかもしれない。しかしその反面、自分に合わないものに関するデータが溜まり、自分に合うものを探す精度がどんどん高まってくる。これは、逃げることによる1つのメリット。



 やめるとか逃げるとかはどうしても悪だと捉えられがち。全然そうじゃないよと。頑張らなくても生きられる世界があるなら、その世界の中で生きていけばいいじゃないか。環境を与えられたら、みんなある程度は頑張るはず。日本人は勤勉だから心配しなくても大丈夫。


 のらりくらり色々な世界を見ながら生きるのも1つの手。挑戦したけりゃ挑戦すればいいし、気が乗らないなら挑戦しなくてもいい。「周りが言ってるから」というのだけはやめておこう。


 自分のペースでボチボチ生きていけばいいんじゃないかな。




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