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「光る君へ」のその後をめぐる宇治陵巡礼  その2 「見張塔からずっと」

京都市内の自宅を出たのが7時前。こんなに早起きをして街を歩くのは久しぶりだった。少し肌寒い初夏の朝。ふと、中学のときの夏休みの登校日のことを思い出す。当時気になっていた女の子がいた。ふだん学校で毎日顔を合わせていたその子が、その夏休みの登校日のときだけ、なぜだかすこし大人びて見え、まるで初めて会った転校生のように感じたことを覚えている。

15分ほど歩き、最寄り駅近くのコメダコーヒーでモーニングを食べて腹ごしらえ。モーニング、これもずいぶんとひさしぶりのことだった。高校を卒業してニート(当時はプー太郎とかいってたっけ)みたいにブラブラとアルバイトをしていたころ、夜勤の工場で働きながら映画学校に通ったり撮影所に潜り込んで手伝いをしたりしていた。よく仕事終わりに朝陽に目をこすりながら近くの喫茶店(店のドアを開けるとカランとベルが鳴るタイプの店)でモーニングを食べてから、当時一人暮らしをしていた太秦のアパートに帰って、年老いたカバみたいに眠ったものだった。

そういえばここのコメダは扉を開けたらカランと鳴るベルが取りつけられていたな。思いのほかパンが美味しかった。もう少しパンが食べたかったな。ふつうにトーストとコーヒーを頼めばよかったかも知れない。目の前の席では常連っぽいおばさんが熱心に新聞を読んでいた。近ごろの世情を鑑みるに、それほど熱心に読むような記事があるだろうか?とも思ったが、まあそんなことをその人に言ったってはじまらない。歳をとると世の中の退屈にも少しずつ慣れてくる。少し混んできたのでそそくさと店を出た。

さて、そこからJRを乗り継いで黄檗駅に着いたのが8時20分ごろ。降りるといきなりちょっと寄り道することに。なにしろ長丁場になるので、どこかの木陰で休憩がてら食べるつもりで中路ベーカリーさんで「フランクデニッシュ」を買っておこうと目論んでいたのだけれど、ゴールデンウィークということで残念ながらお休み。仕方なく自動販売機でお茶を買って歩き始めることにした。ちなみに中路さんは創業70年近い老舗で、子どもの頃からなじみのおいしいパン屋さんだ。近所に有名なたま木亭もあるのだけど、ぼくはだんぜん中路さん派だ。そして中路さんも「響け!ユーフォニアム」のいわゆる聖地のひとつである。

閉まってたので昨年訪れた際の写真を。店先に座ってるのはうちの次男坊。

さてふたたび府道へと戻り、宇治小学校(いまは小中一貫校になっている!)のほうへとわたる、府道にかかる歩道橋を大股の「一段飛ばしでサーっと駆け上がる。歩道橋に上がると縦長の風景が一変してパーっと横に広がる。

ぼくはどうにもこの瞬間が好きだ。そのためだけに歩道橋を見つけたらそっちを使うくらいである。まだ朝の涼やかな風が額を打つ。むこうに煉瓦造りの自衛隊の見張塔が見える。ぼくはAll along the watchtowerを口ずさんでみる。

見張塔からずっと 王子たちは眺めていた
女たちが裸足の召使を従え 行ったり来たりする様子を。
外側の、遠くの方では ヤマネコが唸り
2人の馬に乗った者が近づいて来て 風がざわめき始めた。

ボブ・ディランが半世紀以上前に書いた不思議な魅力と響きを持った歌詞だ。ボブ・ディランはこの詩によってアメリカの崩壊を歌ったのだと思うけれど、見張塔というのは立場によって、その評価が180度変わるものでもある。見張によって監視される人にとっては不安と疑心暗鬼に苛まれるものだが、見張によって護られる人にとっては安心をもたらすものでもあるからだ。世界というのはずいぶん身勝手で脆いものだということを思い出させる。そういえばこうやって歩道橋の上に立って街を見下ろしていると、なんだか自分が見張塔に立って、来るはずのない敵襲の気配を感じながら警戒にあたっている兵士になったような気がしてくる。

とまあ、そんなことを考えながら萬福寺へと向かうなだらかにカーブした道から左に折れ、急な坂道を登っていく。登った先にあるのは東宇治図書館。ここにはよく本を借りにきた。また、そのころに短編の自主映画をつくった際も、ここの館内で撮影させてもらったりもした。いまだったら絶対に許可は降りないだろうな。司書の方だったパートのお手伝いさんだったのか、ともかくそこにいたおばさんがまるでサイズの合わない服をムリヤリ着せられた子供みたいな顔で「いいですよ」と言っただけだった。いまよりいくぶんかは平和で素朴な時代の思い出だ(そういえば、あの作品のビデオはどこへ行ってしまったのだろう?)。

向こうに見えるのが宇治駅方面かな。府道をわたって少し坂を上っただけでこんなに高低差が。
ここには何度もやって来た。ほんとにいろいろお世話になった図書館。

東宇治図書館を回り込むようにさらに坂を登り北上すると、三叉路が現れる。その真ん中の道を進み、小さな川をわたる。朝の光が川面にキラキラと反射して美しい。この木幡の山から流れ出る小さな川は、すこし先で宇治川の大きな流れに合流し、やがては大阪湾へと流れ込んでいく。自然の摂理としてそれは当たり前のことではあるのだけど、それでもまだ若く名もなき自分がこの街で少しずつその小さな思いを育て、やがてその勢いは激しくなり、ようやくにして広い世界と視野を獲得して緩やかな凪にいたったことと、どこか重なるように思った。

川の始まりはまだ何者でもない若者の人生がこれから迎える激流の前の不安を思い起こさせる。

そこからしばらくわりに急な坂道が続く。10分ほど歩いたところで、いたって静かでありふれた住宅地のなかに、突如としてとても大きな陵墓が姿を現す。「宇治陵15号」と呼ばれるそれは、ネットなんかの写真で見るよりもずっと立派な前方後円墳だった。次回からいよいよいくつかの代表的な宇治陵とその周辺について語っていく。

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