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【ショートストーリー】人生最大の失くしもの(続・一番大切なものを抱えて生きている)

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小淵沢の山を降りて東京に戻ったのは,
去年の初春のことだった。
なぜか”出戻り”のような気がして,
もう実家には住めないと思い,
私は雑司ヶ谷辺りに部屋を借りて,
一人暮らしを始めた。

カルチャースクールの陶芸教室で
週に3回講師をして,
他の日は知り合いがやっている,
夜はバーになるカフェの手伝いをしたり,
自分の陶芸作品をつくったりしている。

先生はたまに東京の展示会にも来るので,
その時は自分の作品を見てもらったりもしている。
先生のつてで私も
展示会に出品させてもらったこともあった。

先生とは多分,
この先も師弟関係を続けていくだろう。
今でも私は先生のことを尊敬しているし,
多分まだ愛しているのだと思う。
だが私の心の傷が癒されることは一生ないだろう。

私は小淵沢を後にしてから無口になった。
人と話すのが億劫になったし,
昔の友達から電話やメールがきても,
近況報告をしなければならないと思うと
吐き気がして,心臓が口から飛び出しそうに
なるので,無視しがちになった。
当然人と会う回数はめっきり減った。
今では友達もほとんどいない。

先生と別れてもまだなお生きている自分を,
想像したこともなかった。
そんなことができるとは思ってもいなかった。
そしてこれでも私は,一応前向きに
生きているつもりでいるのだから,
なんだかおかしい。

陶芸家への夢も捨てたわけではないし,
出品すればそこそこの評価はもらえるので,
地道に続けていけば将来自分の窯と店を持ち,
自分で焼いた陶器の雑貨や食器を売りながら,
暮らしていくこともできるのではないかと,
何となく考えている。

ただそんな夢も,
もはや先生と一緒に生きてこそ
叶えたい夢となっていた。
自分一人で叶えられたとしても,
それはそれで満足はするだろうが,
その場所に先生がいないことを思うと,
失くしたものの大きさを実感する。

もう私にはこれ以上失くすものも,
求めるものもない。

そう思えれば少しは気がラクだが,
30歳になったばかりの若さで
余生を送っているような気分の自分を思うと,
やはり虚しさは隠せない。

だがもう私は何も怖くない。
人生で一番大切なものを失くした女にとって,
一体何が怖いというのだろう。
もう私には失くして困るものなんて何もない。

求めるとか,期待するとか,
そういうことと無縁になった。
そして愛するとか,愛されたいとか。
それから絶対とか,永遠という言葉も…。

私はこのまま淡々と時間を重ねて
生きていくのだろうか。
死が私を迎えに来るまで。

もしも花屋にずっと勤めたままで,
学生時代につきあっていた人と結婚していたら,
感動こそあまりない人生でも,
これほど悲しい思いは味わわなくて済んだだろう。

それでもきっと,これでよかったんだと思って
私は今も生きている。
こんなにつらくて,どうしようもない毎日でも。

©2023 alice hanasaki

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