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『スターになった少女。vol.1』

私は高校に入学して
1年2組になりました。


クラスには、
Oさんという
明るく元気な女の子がいました。


Oさんの夢は
『ミュージカルスター』。
中学からバレエを学び
高校を卒業したら劇団員になりたいと
みんなに話していました。



高校に入ったら
演劇部に入るつもりが
演劇部が無かったのです。


しかし、
彼女は諦めません。
持ち前の行動力で
職員室に飛び込んで
デカい声で

『どうしたら演劇部って作れますか?』


と、叫びました。
驚いて集まってくる先生に
事情を話して
その中の1人の先生に
顧問を引き受けてもらったのです。

さらに、
1年から3年の各教室を周り
必要な人数を集めて
あっという間に
演劇部を立ち上げたのです。


9月の文化祭初日に
体育館で見た
演劇部の劇を私は忘れられません。
1年ながら彼女が主役でした♪


当時流行った映画
『フットルース』の音楽に
リズムを乗せて
壇上を飛び跳ねていました。


実に楽しそうな表情で踊る姿に
熱い思いが伝わってきました。

『ホンマに好きなんやなぁ〜』


隣の友達に
私は思わず話したのを覚えています。

2年からは
クラスも別々になりました。


そんな彼女が
高校3年の6月、
保健室の先生に
こんな話をしました。

『先生、左足の甲にコブができてん。トゥシューズを履いたら足が痛いねん。何やろ?』

「心配なら、大きな病院で調べてもらったら?」


その言葉を受けて
病院で調べてもらうと
なんと『悪性の筋肉腫』と診断され

医師から

『左足を切断すれば5年以上生存の可能性がありますが、切断しなければ来年5月迄の命でしょう』


と言われたのです。

医師は切断を勧めるも
彼女は

『足は私の命。切るぐらいなら死んだ方がまし。切断して10年生きるより舞台を目標に精一杯生ききりたい。一度でいいから本物の舞台で踊りたい。どんな治療でもします。お願いですから切らないでください』

強い決意を言葉にしました。
何も言えない医師と家族たち。


そこから
抗がん剤治療を
受けることになりました。
辛くても一言も弱音は吐かなかったそうです。


2学期後半
私が廊下ですれ違った時には
彼女は毛糸の帽子を被っていました。
今思えば、
抗がん剤の副作用だったのでしょう。


彼女は翌年に
私たちと共に高校を卒業しました。
出席補充を幾度となくしてもらいながら。


その年の5月、天王寺博覧会で
劇団四季主催のミュージカルの
舞台出演広告を見つけ応募して
大勢の応募者の中から
最年少ながら
見事に17人の合格者に入ったのです。


彼女は、
母校にやってきて
先生方に8月の舞台を見に来てほしいと
宣伝をして帰りました。


しかし、
彼女は履歴書に
一つだけウソをつきました。
健康欄に『身体健康』と書いたのです。
本当の病気のことを書けば
とても合格できないと思い
病気のことを隠していたのです。

(明日に続く)


最後まで読んでいただき
ありがとうございました♪


#66日ライラン
32日目




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