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今だからこそ響く 吉野弘さんの詩

2014年に亡くなった詩人の吉野弘さん。市井に生きる人たちを、飾らない平易な言葉で、時にユーモアを交えた、温かい視線でうたった方。教科書にも取り上げられていますから、日本人に最も馴染み深い詩人のひとりかも知れません。

代表的な詩はもう半世紀以上前の作品ですが、全く古びないというか、むしろ、今だからこそ響くような気もします。例えば、有名な「祝婚歌」を、結婚というステージではなく、分断化社会の中で読むというのはどうでしょう。

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい

これもまた有名な「夕焼け」という詩は、電車内で2度席を譲りながら、3度目は譲れなくなった女の子の話。以前はその良心の呵責という点にフォーカスしていましたが、現代ならば、スマホ画面を見つめ、「見て見ぬふり」をする周囲の大人たちの情景が、まず思い浮かびます。

固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう
やさしい心の持主は いつでもどこでも
われにもあらず 受難者となる
何故って やさしい心の持主は
他人のつらさを 自分のつらさのように感じるから
やさしい心に責められながら 娘はどこまでゆけるだろう
下唇を噛んで つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで

自分を愛せない、あるいは他人を愛せないと悩む人も少なくないようですが、そんな人には「菜々子に」があります。

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ
ひとが ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ
自分を愛することをやめるとき
ひとは 他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある

最後は、ただ単に好きな「I was born」の一節で締めたいと思います。

やっぱり I was born なんだね
父は怪訝そうに 僕の顔をのぞきこんだ
僕は繰り返した
I was born さ 受身形だよ
正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ
自分の意志ではないんだね

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