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「知らないこと」すら知らない

これまでにも、いろんな国で旅をした。

旅の期間にはいろいろ思った事を書き留めていたりする。
ほんとは紀行なんて大それたものじゃないんだけど、
ちょっとしたメモもあれば、まあまあ長文も書いていたり、
特にセンスもないけど詩なんてものを書いてみたりすることもある。

今日は、数年前に行ったベトナムで当時の僕が書き連ねたことをここに載せようと思う。

「知らないということ」に気がついてない

ベトナムコーヒー。
名前は聞いた事があったけれど、それがどんなコーヒーなのか知らなかった。今まで興味を持ったこともなかった。
ベトナム産のコーヒーかなにかだろう。
そんな風にとても曖昧に知っているつもりになっていた。

ベトナムコーヒーは日本でも小洒落た喫茶店なんかで飲めるらしい。
でも、実際にどれくらいの人がベトナムコーヒーを知っているのだろうか。どれくらいの人がベトナムコーヒーを飲んだ事があるのだろうか。

もちろんコーヒー通の人、喫茶店によく行く人は知っているのかもしれない。ところが、コーヒー通でもなければ喫茶店によく行くわけでもない、もし喫茶店に入っても 1 番安いアイスコーヒーしか頼まない、そんな僕と同じ人はきっとこの世の中にごまんといる。

何気なく日々を過ごしている中で、一体僕はどれだけのことを取りこぼして生きているのだろう。

取りこぼしていると気づきもしないまま。

無知の知なんてことをソクラテスが説いたころから、「知らないということ
を知っている」ことになんとなくの美徳がある。

でも、「知らないということに気づいてない」僕らはどうすればいい?

それは先入観のせいなのか、
価値観のせいなのか、
はたまた文化のせいなのか。

僕は自分が知らないということに気づきたい。
知らないということを知りたい

自分がそんな風に考えていることを、日本から遠く離れたこの異国の地で、僕は気づく。


カモられる日本人大学生

ホーチミンに着き空港を出ると、南国特有というのだろうか、あの生暖かい風が僕を迎えてくれる。

「taxi? 」

そして、色黒で人の良さそうな小太りのおじさんも僕を迎えてくれる。
僕の身なりは、見るからに若い日本人。
見るからにひとり旅。
見るからにノープランで上の空。

ネギ背負ったカモにハイエナが近寄って来た。

おじさんが提示してきた空港から市内までの料金がそれほど相場からかけ離れたものに見えなかった僕は、へこへことこれについていく。

20000ドン(ベトナムの通貨)が大体100円。
普段やりとりされる数字の桁が違いすぎてとまどいながらも、ドンと日本円とを頭の中で必死に計算して、騙されないようにと思考を巡らせているうちに、特に車体に表記もなにもないタクシーに乗せられる。
気づいたころには時すでに遅し。
タクシー代に加えて、かなり高めの空港駐車料まできっちり請求されていた。

一期一会。
旅での経験はどれも一生かけがえのない宝になるのだろうけれど、まさか自分が白タクなどというテンプレートな手段でぼったくられるとは思っていなかった。
これも開き直ればいい経験だろうか。

ベトナムでは、いや、世界中どこに行ってもそうだろうが、日本人だとわかれば商人は目の色を変える。

日本人はお金を持っている。
これが世界から見た日本人像のひとつなのだと改めて思う。それは自分
のような稼ぎもないような学生にだって当てはまることなのだ。

ことさらベトナムに至っては、平均月収 4 万円。それで難なく暮らせてしまう国なのだからそれも頷ける。


人を信頼し合うこと

月並みな感想を述べるとしよう。

ベトナムの交通量は異常だ。

実際に交差点がバイクで埋め尽くされている光景を見ると、かなりの衝撃をうける。そして、交通に対する倫理観も日本人から見れば、少なくとも僕にとっては、異常なものに思える。

車は白線なんて気にもしないし、バイクは信号を守らない。ヘルメットをしてない人もちらほらいるし、歩道を走ったり、逆走したりしているバイクがそこら中にわんさかいるのが当たり前。
挙げ句の果てに、歩道を歩いてるのに後ろからくるバイクにクラクションを鳴らされる始末。

「ここ歩道じゃん!」と言いたい。

しかし、郷に入れば郷に従え。
歩道の後ろから走ってくるバイクに道を譲る。

ところが、異様なのは何も運転者だけじゃない。その尋常じゃない交通量を前にして、人々は横断歩道もないところを歩いて渡っていく。
1人でふらふら渡る人、
子供連れの家族、
ノンラー(ベトナムの伝統的な帽子)をかぶり、肩に天秤棒を担ぐ女性。
誰もかれもが自然に道路を横断していく。

それを横目に立ち尽くす僕。

最初に大通りを前にした時は、道路を渡る覚悟を決めるのにずいぶんと時間
がかかった。
道路の前で止まって、左右を確認。行けそうなタイミングを見計らう。

 今ならいける!
あっ、逆から来た!
よし今なら!
おっと危ない!

そんなことをしている間に僕の隣を小汚いおっさんが通り過ぎていく。
絶句という言葉がまさにという感じだ。

あきらめて最初のうちは現地の人たちが渡る時に便乗することにした。
何度も便乗しているうちに段々と慣れてくる。コツは道路の前であまり立ち止まらないこと。

信号は誰も守らない。
車は止まらない。
バイクはもっと止まらない。
そして歩行者も止まらない。

それなのにベトナムの交通システムは成り立っている。
とてつもない流動性だと感じる。

偶然知り合ったベトナム在住の日本人がこんなことを言っていた。

「ベトナムの人は、『人』というものを心の底から信じている。先進国は自動運転の技術を開発したり、新しいセキュリティシステムを開発したりして、どんどん強固でテクニカルなシステムを構築しようとしているけれど、このベトナムはそれと真逆。人を信じていなければ成り立たない交通システム、人を疑ってしまったら成り立たない建築、都市空間。ここには先進国にはない、人間の心を主軸にしたシステムがある。

なるほど。
感心して返す言葉が出なかった。


昨日まで知らなかった世界

この国には、新しく、そして古くからある何かがあるのではないだろうか。

もちろん、それは計画されたものではないかもしれない。
ただ文化と呼んでしまえばそれまでのものなのかもしれない。

だけれど、僕たちはこういった場所から何かを学ばなければいけないのではないのだろうかと、クラクションの鳴り止まぬ大通りを横断しながら思いふける。

人と人の出会いというのは実に不思議なもので、
「昨日」と「今日」を、
「それまで」と「これから」を、全く別の世界につくりかえる。

お互いのことを知りもせずに暮らしていた地球が全く別の惑星になってしまったように感じる、なんて少し言い過ぎだろうか。

けれど、本当にそれくらい「出会い」は大きくその人に影響する。
だから出会いはその人の明日を変える。
それは言いかえれば、世界を変えることだと思っている。


ベトナムに来て、毎日様々な人と出会った。

職業旅人 旅人歴 11 年の中年男性、就職前にバックパッカーをしている大学生、自分と同じように海外で働くことを考えている学生たち、実際に海外で働いている日本人の方々、フランスやイギリスからベトナムに働きに来ている人、フランスから旅行に来ているカップル、ベトナムの学生、ベトナムで働くベトナム人、ベトナムの建築家。

書き連ねているだけで、旅に出る前の自分がいた世界といま自分がいる世界が全くの別物だと、改めて実感する。

それぞれの人と出会い、コミュニケーションをとることで、違う価値観に触れ、考え方に驚き、共感し、一方で自分との違いを認識する。

そして今、僕はそれを自分の中で咀嚼し、消化しようとしている真っ最中だ。


――――――つづく。


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