前前前世で義経に仕えてた
僕は「海外」を旅して全く違う文化や風景に触れ、
その土地で暮らす人に出会うことがとても好きなのですが、
「国内」の旅というのもこれまた違った醍醐味があるのでとても好きです。
その中でも、日本国民みんなの心の都、
京都への旅は格別ですよね。
「そうだ 京都、行こう。」
なんて胸躍るフレーズ。
そんなみんな大好き京都旅なんですが、
僕は京都に訪れる度に
ほぼ必ず立ち寄る場所があります。
それが、鞍馬山。
ド定番観光地ではないかもしれないのでもしかしたらピンと来ない人もいるかもしれませんが、あの源義経がまだ義経と名乗る前、牛若丸として修行していた山です。
今日は「前前前世で義経に仕えていた」という怪しげなタイトルの下、僕がなぜ鞍馬山に毎度訪れてしまうのか、そんな話をしたいと思います。
前前前世を想う旅
初めて鞍馬山に行ったのは、中学の修学旅行。
その次は18歳、青春18切符を使って鈍行で東京から福岡まで初めて一人旅をした時。
そのあとは大学生の時にも1回、
そして先日出張で訪れた際にも、休暇があったので行ってきました。
京都なんてそんなよく行く場所でもないのに、計4回。
ちょっと僕の中でも異常です。
で、先日行ったときに思ったんです。
これはもう自分自身が行きたいと思っているというよりは、
「呼ばれている」
って感覚に近いなって。
誰に呼ばれてるかって?
そりゃもう、義経公に決まってます。
...はい、
突然スピリチュアル系なこと言ってすいません。笑
念のため言っておきますが、
霊感とか皆無です。
オバケとか非科学的なものも基本信じてません。
子どもの頃に祖母に連れてかれた前世が見える霊能力者のおばあさんという怪しげな人に、君の前世は田舎のおまわりさんと言われ、あまりの胡散臭さにそれ以来占いの類を一切信じてないです。(あのおばあさんは一体何者だったんだろうか)
それにもかかわらず、鞍馬山を登り、鞍馬寺のさらに奥の方まで進んだ先にある義経の祠を前に、なぜかそう感じてしまったんです。
鞍馬山に行くとやけに心が落ち着くこととか、何度も繰り返し訪れていることとか、そういうこと全部ひっくるめて義経に呼ばれているからなんだと思うと妙に腑に落ちたんです。
それで、
そうだ、きっと前前前世あたりで義経に仕えてたんだ!
というバカな着地をしてしまいました。笑
でもこれ、誰にも否定できないですよね。
僕にも、あなたにも。
アインシュタインでさえも、ホーキング博士でさえも、他の誰も「前世」って概念を否定できていないんで。
僕が信じちゃえば、それまでです。
誰が何と言おうと、僕の中で「絶対」にしてしまえばいい。
なんでこんなバカみたいなこと言うかというと、
「僕は前世なんか信じない」って言って生きるよりも、
「僕は前前前世で義経に仕えてた!」と思って生きる方が
単純に楽しいなって思ったからです。
自分がより楽しく生きるために、
何を信じて、何を信じないかなんて、
自由だと、そう思うんです。
あなたは前前前世で何をしてましたか?
その答えを探す旅ってのも、
なかなか面白いと思いません?
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