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わたしと家族の闘病記

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いくつになっても「娘」を演じるのが、わたしの役割なのかもしれない。

いくつになっても「娘」を演じるのが、わたしの役割なのかもしれない。

2020年7月24日。
東京オリンピック開会式のはずだった日。

この日発信された"TOKYO2020+1"のメッセージにこんな一説があった。

「今まで当たり前だった未来は、一夜にして別世界にかわる」

そう、一年前に誰もが想像していたこの日は訪れなかった。

誰もいない新国立競技場の真ん中に、池江璃花子選手がただ一人立つ姿なんて、誰が想像しただろう。

そして私はこの日の朝、考えた。

「わた

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今、ワタシが見えてるせかい。

今、ワタシが見えてるせかい。

小さい頃、実家で一人留守番するのが大嫌いだった。

マンションだから廊下で人が通ると物音がして、その度にビクビク。テレビをつけていないと眠れないほどだった。

母の入院と手術を支えるために実家に来て2週間。

一人で実家にいて何かあったら駆け付けられるようにお酒も飲まず、自宅で携帯を握り締めながら眠る日々。中々寝付けず、昼夜が反転しつつある。

上京して以来、10年以上車なんて旅先でしかほぼ運転し

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故人を偲ぶことは、悲しみに暮れることだけじゃない。最期だからこそ人生を祝いたい。

故人を偲ぶことは、悲しみに暮れることだけじゃない。最期だからこそ人生を祝いたい。

爽やかな秋晴れの朝。

30年以上病と闘い続けた父は、まるで微笑むように綺麗な顔をして、痛がることも、苦しむこともなく静かに息を引き取った。

ずっと寄り添って、手を握って、体を拭いて。
最期の最期まで見届けられた私は、悔いのないお別れができて幸せだった。

涙を流す母を抱きしめることもできた。最期の時に間に合わなかった姉とはテレビ電話を繋いで、一緒にいるよ、と父に声をかけ続けた。

機械音がしな

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手を握るしかできないけれど。

手を握るしかできないけれど。

病室にいる。

ピ、ピ、ピ、、、

無機質な機械音が鳴る。

なんて話しかけたらいいかわからなくて、だだ手だけ握って、私は病室に座っている。

ずっと闘病していた父の最期が近づいている。

ほぼ意識がなく、人工呼吸器も付いていて話せない。でも不意に目を開けて、必死になにかを伝えようとしている。

いつも人のことばかり気にかける父のことだから、どうせ「なんでいるんだ?」「仕事は?」とか言うんだろうし

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一生分の母の願いを叶えるには、わたしは世界の中心で愛をさけぶ、しかなかった。

一生分の母の願いを叶えるには、わたしは世界の中心で愛をさけぶ、しかなかった。

7月上旬に母の手術が決まった翌日。

「入院前にみんなで旅行に行かない?」と姉が佐藤家LINEで言った。(私の旧姓は佐藤です)

近場でのんびりがいいよね、と思って淡路島辺りを想定していて色々調べていたんだけど、母がポツリとわたしに聞いてきた。

「明奈が前に言ってた沖縄の島ってどこだっけ?」

「宮古島?え?宮古島行きたいの?」

母は、うーん…と言うだけだった。

母はこうしたい!とかわがまま

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人生はバランスよくは進ませてくれない。

人生はバランスよくは進ませてくれない。

今日、母が癌と診断された。

大きな病院で診てもらわないと詳しいことやステージはわからないけど、病理検査では99%癌だそうだ。

父の他界から1年も経たないうちに、私たち家族はまた乗り越えるべき壁が目の前に現れてしまった。しかも母はこれまで大きな病気一つしたことがない健康体。だからまさに青天の霹靂だった。

https://note.com/akinaorr/n/na4c1ab1cb207

でも

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世界はコロナで時代の転換期を迎え、わたしは家族の病気で人生のリアルに直面している。

世界はコロナで時代の転換期を迎え、わたしは家族の病気で人生のリアルに直面している。

これは、私と家族の物語。

正直家族のリアルを公開することには葛藤も不安もあって、この記事も丸2日迷って公開したものの、すぐまた下書きに戻して出すか迷う…を何度も繰り返した。

それでもこんな風に赤裸々に語ろうと決めたのは、3つの理由があるからだった。

1)伝えることで、母の病気に対する選択肢と有益な情報を得る可能性を広げたい

家族がこういう状況になって、初めて自分ごとになったことがたくさんあ

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