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連載「カナルタ コトハジメ」#3 マルクスをガチ輪読しながら「文化の読み方」を学んだ神戸大学時代

*2021年10月2日(土)より全国のミニシアターで劇場公開されるドキュメンタリー映画『カナルタ 螺旋状の夢』。僕自身がひとりでアマゾン熱帯雨林に飛び込み、かつて「首狩り族」として恐れられていたシュアール族と呼ばれる人々の村に1年間住み込んで撮った映画です。この連載では、『カナルタ』をより深く味わってもらえるように、自分の言葉でこの映画にまつわる様々なエピソードや製作の裏側にあるアイデアなどを綴っていきます*

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前回記事:https://note.com/akimiota/n/nc29fcf37d916

簡単にオランダからの帰国後のことを振り返ってみる。端的に言うと、かなり苦労した。高校の制度によってありがたくもオランダで受けた授業を単位として認められ、留年をせずに同級生たちのもとに戻った僕は、もはや別人になっていた。授業中にクラスに対して意見を言うことをやめられず、朝礼で校長先生の話を長々と聞かないといけないことが理解できなかった。オランダに染まりきっていた僕は、この時点で大元の発想やコンセプトのレベルでほとんど「外国人」になってしまっていて、どれだけ考えても日本の高校のことが理解できなくなっていた。典型的な逆カルチャーショックとも言えたし、重度のアイデンティティ・クライシスでもあった。部活の顧問とケンカしてサッカー部を復帰早々に辞めてしまい、丸々1年分が抜けてしまっていたので学校のカリキュラムに全くついていけなかった。高二の二学期中間・期末試験では英語以外の全ての教科で一桁台の点数を取ってしまい、学年最低の成績だった。そのうち極度の疎外感を感じるようになり、親に内緒で学校をサボることが常習化して、また生気をなくした暗い少年に戻ってしまった。そして、ついに高二の冬に担任から「このままでは留年する」と通告された。今考えると不思議だが、日本の高校では留年=その高校を退学する、という考え方が強かった。親が呼び出され、その日母は泣いていた。僕のことを想ってオランダへの留学を勧めたはずがこんなことになっているのだから、さぞ辛かったと思う。

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