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【小説】it's a beautiful place[あとがき]さあ、裸足で走れ
2002年の夏だった。
わたしが奄美群島・沖永良部島に初めて降り立ったのは。
当時のわたしは22才で、19才の時に入った編集プロダクションを二年で退職して、友人がバーテンを務めるキャバクラでやる気のないキャバクラ嬢として働きつつたまにフリーランスでライターの仕事をしていた。
その時のことは、noteでも無料公開している半自伝的小説『腹黒い11人の女』に詳しい。
その頃、好きなバンドが沖縄で
【小説】it's a beautiful place[28]宝物はきっと、この街にもある。
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島を出て一週間。東京に戻った私は人の多さと空の灰色の重苦しさにいまだに慣れないでいた。習慣とは恐ろしいものだ。信号が六つしかないあの島では歩く時に信号を気にする必要など全くなかった。それに慣れてしまったせいで、私は東京で何度も信号無視をし、車に轢かれそうになった。
大学へ復学の手続きをしに行った帰りだった。出かける前、ポストに入っていた美優の手紙をバッグに入れていた私は、渋谷のスクラ
【小説】it's a beautiful place[27]一分一秒すら惜しむような気持ちで誰かを見詰め、ただそれだけでいいと思うこの気持ちが、今ここにあった。
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最後の日くらい、このアパートにいよう。そう言い合って私達は残っていた焼酎を飲み干し、冷蔵庫の余りものを食べ尽くした。朝方、クアージでの仕事を終えた悠一が拓巳と連れ立ってやって来て私達に大きなアルミホイルの包みを渡した。
「俺は仕込みで見送り行けないからさ。これ、大したもんじゃないけど餞別。うちのマスターが船の中で食べろってよ」
包みを開けてみると私達がクアージでいつも食べていた、
【小説】it's a beautiful place[26]「男は女を見送るもんよ。逆はありえん」
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別れ際、アパートの前。バイバイ、と手を振ると、龍之介は窓を開け、手を伸ばしてきた。私はその手を握った。龍之介の大きな掌に包み込まれて私の手の骨はきしきしと鳴った。硬く熱い手のひらだった。
「手、荒れてるね」
「毎日ダンボールと戦ってるからな」
「ハンドクリーム塗らなきゃ」
「だな。またこんな風に言われちまうわ」
その時、私はこれから龍之介が誰か他の女の手を握る事を想像した。嫌だっ
【小説】it's a beautiful place[25]「お前、知名以外の夜明けの海を見たいって言ってただろ。だから」
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それから私と美優は昨日のお礼がてらクアージに行き、拓巳を呼び出してまた飲んだ。悠一も店のマスターから今日は私達の席にいながら仕事をしていいと言われ、大分飲んでいる。私は酒があまり美味しく感じられず、一時間たってもグラスの一杯も開けられないままだった。これから、龍之介と会うのだ。会いたかった。けれど、それと同じくらいに会うのが怖かった。あのまま物別れで終わってしまえれば。そう心の何処かで
【小説】it's a beautiful place[24]東京はそれ以上という気持ちをいつも刺激する街だ。もっともっと、という気持ちを持たなければいけないような気分にさせる街だ。
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部屋に戻って少し寝てから起き出し、私達は荷物をまとめ始めた。ダンボール二箱分の衣類を持ってきても、結局よく来たのは一箱分にも満たなかった。自分がどれだけ余計なものを持っているかを知り、私は着なかった服はどんどん捨てた。洗剤やシャンプー、食器や鍋類などは次に来るアルバイトの子の為に置いていった。島の温度で劣化した化粧品類も捨てた。私はカラーボックスに置いてあった珊瑚を手に取った。
「そ
【小説】it's a beautiful place[23]「じゃあ、俺は東京から来た女二人の幸せ祈るわ」
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あっという間に一週間が過ぎ、私が島を立つ日はもう七日後に迫っていた。龍之介から、連絡は全くなかった。自分から連絡しようか何度も考えた。けれど、出来なかった。予定を変える事など、もう出来ない。出来ない癖にもう一度会いたいなど言える筈もなかった。
美優は、時折夜一人で泣いていた。私が店から帰ってくると泣き腫らした顔で、枕元にノートを広げて寝ている事もあった。今までの様々な事を思い出して
【小説】it's a beautiful place[22]島で知り合った男達は口を揃えてこう言う。「この島には何もない」。その言葉を聞く度に私はいつも思った。じゃあ、東京に何があるって言うんだろう。
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翌日。店の営業終了の十分前に、龍之介からの電話があった。もう知名にいるそうだ。私はその電話に躊躇いながらも頷き、化粧を直して外へと出た。
いつもの駐車場に龍之介は車を止めて待っていた。車に寄り掛かり、足をぶらつかせている龍之介は、私を見るなりぱっと顔を輝かせた。大股で私に近付いてくる。
「来てくれんかと思った」
「どうして」
「昨日、何か嫌そうだったから」
「そんな事ない」
【小説】it's a beautiful place[21]この島にいれば容易にそんな暮らしが手に入る。永遠に海と空を眺めながら、一人の誰かを見詰める暮らし。
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アパートのドアをそっと閉めて、私は和泊の町へと歩き出した。タクシーはこの朝方に走っている筈もない。私はどうしようかと思いながらとぼとぼと海岸沿いの道を歩いた。老夫婦が朝の日課なのかウォーキングをしていた。二人、同じように皺くちゃになった顔で笑い合っては、手を大きく振り歩いていく。きっと、彼らはこれから朝食を二人で食べ、夫は仕事をし、妻は家事をして、夕方を待つのだろう。そして戻ってきた夫
【小説】it's a beautiful place[20]見ないようにしてきたのは、それを見たらもうどうしようもなくなってしまうからだ。それを知ったら後戻りは出来ないからだ。
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目覚めると美優は既に起きていた。買出しに行ってきたようで台所に野菜が積みあがっている。どうしたのと聞くと久しぶりに料理でも作ろうかと思って、と美優は答えた。奈都ちゃんも食べる、と聞かれ、私は頷く。美優は笑って待っててね、と言って台所に立った。
「店にはもう出ないけど、寮には契約終了までいていいってオーナーに言われた。だから、私、奈都ちゃんが帰るまでこの島にいるよ」
これからどうす
【小説】it's a beautiful place[19]例え汚れたってまた洗えばいいのだ。洗って乾かしてぱんぱんと叩いて布を伸ばして、あの管理人が作ってくれた物干しに干せばいい。
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急いで出勤の準備をして、私は店へと出た。美優はもうオーナーに店へは出ないと伝えていた。私は一人でLINDAへ出勤した。サリさんや他のスタッフは細かい事情は知らないようで、美優ちゃん残念だ、と私に言った。私は曖昧に笑い、その言葉を流した。店は人が一人減ったというのに盛況だった。私はほとんど寝ていない体をいつもより多く飲んだ酒で無理矢理に誤魔化して仕事をした。その日は何だか私にとっては苦手
【小説】it's a beautiful place[18]そう、私も拓巳も許したい筈だ。全部、嘘になどしたくはない筈だ。
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雪が綺麗だと思った事など一度もなかった。自分が汚れたものだと思い知らせるようなあの白さが嫌だった。
長靴を履いて学校までの道を歩く自分の足先を今でも覚えている。学校までは徒歩で普段は三十分。しかし、雪が降るとその倍以上時間がかかった。道路の横に積み上げられた雪は壁のように聳え立っている。灰色の雲からひたすらに降る雪で視界は埋め尽くされ、水気を吸った荷物が重かった。私がいた集落では私
【小説】it's a beautiful place[17]島にいる間は自分が綺麗になれたつもりでいた。でも結局私はこうなんだって。
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時刻は午後三時を迎えていた。風呂にも入っていなければ全く化粧もせず、食事もしていなかった私は、そろそろ部屋に戻らないと店への出勤準備に間に合いそうになかった。まだ美優と顔を合わせたくはなかったが、私は仕方なくアパートへと戻った。
部屋の空気は暗く沈んでいた。私はそっとドアを開け、美優がいるかどうかを確かめた。美優は何処かへ出かけているようだ。ほっとしながら私は部屋へ入った。西側の窓
【小説】it's a beautiful place[16]自分と付き合う事が夢みたいだと言ってくれた男に、何故そんな風に言えるのだろう。
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夜も八時を過ぎた頃、店の電話が鳴った。サリさんが電話を取るとそれは美優からで、今日は体調を崩したので休むとの事だった。今日、具合悪そうだった? とサリさんに聞かれ、私は別行動だったのでわからないと告げた。何処かの打ち上げで盛り上がって店に出勤するのが嫌になって仮病でも使ったのだろうか。たまにはそういう事もあるだろう。私はそう思って、サリさんが話す知名の運動会の様子に耳を傾けた。
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