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多様化による受容と動機付けについて
「多様化が進むことによって未婚率が上昇して少子化が進む」という話は、社会問題として日常的に飽きるほど耳にすることである。
これは、「多様な性が受容されることで、男性と女性という関係による結婚や出産が減ることによって少子化が進む」という直接的な関係として議論されることが多い。
実際問題、性の多様化と未婚率や出生率には相関があり、豊かな社会を目指すうえで目を背けることができない論点だと思う。ただし
相手の立場で寛容たれ
今回はこの記事について考えたい。
岸田首相の発言に対して、子育てする側から「岸田は子育てをする立場になって考えてほしい」と批判が野党を中心に巻き起こった。
そんな批判に対して私はこういいたい。
「岸田首相の立場になって考えてほしい」と。
まずは状況を整理しよう。岸田総理の発言は、自民党の大家参院議員の代表質問である、「リスキリング支援を行う企業の支援は、子育てを前向きに取り組むことにつながる
音楽も本も思考と感情の収納
今まで本は1字1句追うように読み、大切なところには線を引くような読み方をしてきて、読み返した時に内容を覚えていないことにガッカリしていたけれど、最近は流し読みしながら、自分が考えていることに感化されるような部分を気に留めておく、ぐらいの、歩きながらイヤホンで音楽を聴くテンションで読むようになって気楽に本を手に取れるようになった
毎日楽しく過ごすためには
これは日々の生活にも言えることで、毎日楽しいと感じながら過ごすためには、「神回」のようなイベントを作ろうと血眼になるのではなく、毎日ささいな楽しみが待っているように楽しみを分割することが大切なのかもしれない。
いつでもどこでも様々なことができるようになった時代になったとしても、いつでもどこでも誰かの陰口を叩くのが日常になることは許せない。
僕は自分はもちろん他人も誰かに傷つけられているのに耐えきれないし、みんながお互いを理解したうえで認め合う笑顔にあふれた場所、というととってもありふれたようにきこえるのだけれど、心底そういう場所を求めているのだと最近感じる。
合理的である故にそれぞれの行為に意味づけや背景を考えてしまうのはむしろ合理的ではないのでは、という指摘をうけてもっともだと感じた
吉野家で牛丼並を食べるのは
昨日友人と話していて驚いたことがある。友達は吉野家にいったらネギたま牛丼を食べるというのだ。
これは何もトッピングしていない牛丼を食べる僕からしたら考えられない。なぜなら僕の場合、ネギたま牛丼とただの牛丼には「お腹を満たす」という点で互換性があるからだ。安く済むならそれに超したことはない。
しかし友人は、「牛丼を食べたときには牛丼の幸せがあるし、ネギたま牛丼を食べたときにはネギたま牛丼の幸せが
時間は「流れる」だけでなく「流して」くれるということは、知能を持った人間にとっての救済なのかもしれない。
二度とモグラが出てこないようにするにはコンセントを探せ
仏教思想や藤井風が好きなわけ
常に評価によって意味(=価値)が生まれると考えている。だからこそ、何もしていない時間ーーつまり自他ともに評価されない、もしくは評価に値しない行為が苦手だ。他の人の視線や他の人とのズレが気になる。周りからよい評価をされるような人間でありたい。他人からより評価されるような行動は何かを基軸に考えてしまう。だからこそ向上心が強い。人前に立ちたい。承認欲求が強い。人に評価されなくなると途端に自分が支えられな
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