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仏教思想や藤井風が好きなわけ

「評価することは創造することである」

ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』

常に評価によって意味(=価値)が生まれると考えている。だからこそ、何もしていない時間ーーつまり自他ともに評価されない、もしくは評価に値しない行為が苦手だ。他の人の視線や他の人とのズレが気になる。周りからよい評価をされるような人間でありたい。他人からより評価されるような行動は何かを基軸に考えてしまう。だからこそ向上心が強い。人前に立ちたい。承認欲求が強い。人に評価されなくなると途端に自分が支えられなくなる。そんな弱い自分を見せたくないと見栄を張ってしまう。

評価するためには意味づけが不可欠だ。意味づけとは範囲を決めることだ。だからこそ決められた範囲のことが中途半端に終わるのが気にくわない。期限に間に合わないのが許せない。

そんな評価を気にする人間が、他人から思ったような評価をされなくても正常を保っていられるのは、不器用でせっかちところがあるからだろう。細かい作業が苦手だからこそ、期限に終わらせるために、ざっくり、早く、端的に、物事を済ませたい。小さいころからずっと人に比べて劣等感があった。足は遅い、スポーツは苦手、意識は散漫。でも、そんな自分がいることで、失敗する自分も許せるようになったのかもしれない。

とはいえ、不器用やせっかちさによる自己情状酌量だけでは支えきれないときがある。そんなときには「無欲な人やもの」に触れることで正常を保とうとする。

例えば仏教。元来の自分とは何かを考え直し、無欲でもいいのだと教えてくれる。

例えば藤井風。藤井風で好きな言葉がある。

Everything's gonna be alright if we could choose love all the time and throw away the attachment.

全てを受容したときに幸せになれる。

常にそう考えながら生きていくことは今の自分、そして今の社会では難しかったとしても、そんな精神を忘れずに生きていたい。

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