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「依存」と「悪者」

まずはこのTwitterの投稿を参照してほしい。

ゲームは確かに子どもに悪影響を与えているかもしれない。しかし僕が言いたいのはメリットデメリットの話ではない。「子どもを『ゲーム依存』にさせているのは誰なのか」ということなのだ。ゲーム依存が悪いということ自体は簡単なのだが、子どもがゲームに「依存」していると責任を押し付ける、つまり「依存する」ことで、問題と関係ない第三者になろうとしているのではないのか。

次に本日行われた東大の祝辞を参照してほしい。

この祝辞が議論を呼んでいる。「ロシアを悪者にするのは簡単」という発言に対し、ロシアの肩を持つような発言であるという批判が相次いでいる。

もちろんそれは河瀬氏の意図するところではない。むしろこのような批判が生まれてしまうこと自体への警鐘なのだろうな、と僕は感じている。

間違いなく、ロシアは悪い。ただ、ここで書きたいのも、河瀬氏が述べたいこともそんなことではない。「ウクライナ人が殺されてしまった責任は誰にあるのか」ということなのだ。ロシアが悪いということ自体は簡単なのだが、上記のツイートの例でも述べたように「悪い」と決めつけることは問題解決から逃げている。

事前にこのような事態になることは予測できなかったのか?ロシアはなぜ戦争を持ち掛けざるを得ない状況となってしまったのか?

この戦争を自分ごととして捉えない限り、責任の押し付け合いになるばかりで、戦争はなくならないのだろう。改めて様々な物事に対して、ただ単に否定するのではなく当事者意識を持った歩み寄りや視座が大切だと感じた。

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