私立中高一貫男子校はレアだったらしい ~理想的な教育環境ってなんだろう~①

移住してきたのどかな山あいにある小学校は、1学年10人前後の1クラスである。
ここが地元の妻は、この小学校に通い、中学では近隣地域と統合しても20人クラスが2つに過ぎない。

かたや小学校は都市部の全1200人のマンモス校、中学からは電車で1時間の私立中高一貫男子校、という経験をしてきたオレとは、学校、というものに対するイメージが非常に違う。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して11年の農村暮らしから見えた視点をお届けしてます。(初出の文章と構成を変えました。内容はほぼ変わりません。)

進学校に通っていたゆえの葛藤

妻からすると東大にバンバン合格するような進学校にいたような勉強しかできない人たちは、「階層的にいろんな子がいる」公立校で育まれる多様性とは無縁で、弱い立場の人たちの現状を理解できないのではないかと危惧している。

そういう人たちが国や企業を動かしていることで、社会の不平等や差別が深まるのではないか、と。

一方で息子が妻の母校である小学校に通うようになって、一人ひとりが埋もれることなく、個々の存在を学校全体が受け入れてくれる良さも感じながら、何事も「選択肢が少ない」とか新しいものをなかなか「体感できない」という制限がオレにはもどかしいと思うこともある。

そのような状況で息子が不登校を重ねるようになってから、子どもたちが安心して過ごせる「居場所」について考え、親御さんたちとの対話会なども行った中で、「ハコ」としての学校を変えて、理想的な環境を作ってあげれば、子どもたちはいきいき過ごせて、自発的な学びも深めることができるのではないだろうか、という声も聞いたりするし、自分もそう思ったりする。

あるいはもはや学校など行かない方が良い、学習など不要だ、好きなことだけやってればいい、という声も驚くほど支持されたりする。

オレはこういう声に賛同する気持ちがわく一方で、何とも言えない傷ついた気持ちになることにも気が付いた。

オレは中学受験のための勉強がとても苦しかったはずだ。自分で私立に行きたいと思ったこともなく、ただ親の勧めで受けただけのことだった。

何とか合格はしたものの、オレは部活で出会ったドラムに夢中になってすぐに落ちこぼれた。そもそも目的もなく受験していたわけだから、勉学に見切りをつけるのも速かった

あとは中高6年間を、オレはドラムを極めることに勝手に価値を見出してたので、同じく音楽に目覚めた友達とともにその価値だけを頼りに乗り切った。

学校や教育、勉強といったものに最悪の印象をもっていてもよさそうなものであるが、なぜかそう思っていない。

むしろ、進学校への批判だったり、学校も勉強もいらない、という声に、敏感に反応してしまう。

なぜか。その理由はやはり教育のことを振り返っていく中で、見つけられた。

オレのいたあの場所でも、一人ひとりの喜びだったり、悲しみだったりを日々感じ、悩み成長しながら、人として生きていこうとする、そんな姿があったからだ。

エリートコースを順調に歩んだヤツもいれば、人生つまづいているヤツもいる。

特殊な環境の中である種の偏った価値観が育まれるのは否めないだろう。

でも多くの人と同じように学校の中には大切な友人や思い出もある。

それは他人に否定されるものではないし、感情的な批判は自分たちを否定された気持ちになる。

全国で100校もないらしいレアと言ってもいい教育環境を経た人間が40台も半ばを超えてみて、学校教育に何を思うのか。それを明らかにしていこうと思う。

進学校に行ったのは成功だったのか、失敗だったのか

私立中高一貫男子校は大学進学という点でみれば理想的な環境に違いない。というか、その目的に特化しているわけで、学校本来のポテンシャルを最大限に活用したヤツはたくさんいる。
予備校のような授業もさることながら、高みを目指す学友たちがたくさんいて、大学受験に向けて切磋琢磨できる願ってもない環境だったろう。

勉学で目標のなかったオレには理想的ではなかったのは確かだ。ここで一生の友と人生を託すことになる音楽に出会った。

学校側からすれば大学合格実績に寄与できないオレの存在は、拾い上げるにもコスパが悪くなんも価値はなかっただろうが、その分強制的なことは強いられず、オレはドラムに打ち込むことができた。

投資した親から見たら無駄の極みだ。

皮肉なことにこの学校に行ったがために出会ったものによって、この学校に通う意味がないような道を歩むことになった。

寝ても覚めてもドラム三昧にもかかわらず、習わぬ経を読むかの如く、うちの学校から進学するにはギリ許されるぐらいの大学には進学できた。

大学では、思春期6年間を男子のみで過ごした中高との勝手の違いがさまざまな試練(黒歴史とも言う)を立て続けに引き起こしていた可能性は否めない。

何をこじらせたか就職活動もろくにせず、卒業後も音楽三昧。社会落伍寸前まで陥った。

そんなオレが、30半ばになって地方のまちづくりにかかわり、家族を持ち、小さくとも起業して暮らしている。

想定しうる最悪の状況からみれば、現在地としては満足としか言いようがない。

もちろん社会的地位や収入面では同級生と雲泥の差をつけられている。

でも彼らにしたってずっと努力してきたはずで、進学校だったら、と自動的にキャリアが形成できるわけではない。だからその差は当然と受け入れている。

果たしてこれは成功なのか失敗なのか。

最近になってこれはもしかしたら落ちこぼれながらも進学校にいたことが自分の強みになって、今の自分を支えているのではないだろうか、と考えるようになった。
何が役に立つか立たないか、なんてことは自分にはわからない形でプラスに働いていることもあるだろう。今になって、自分はすごいところにいたんだなと肯定的に受け止められるようになったのは、いろいろ紆余曲折を経てきたから言えるのかもしれない。

「誰にとっても理想の教育」はあるのか

妻は妻で、自分の学校体験にとても肯定的だ。

小学校では1学年10人前後、当然クラス替えもなく6年間を過ごした。これもまたレアな環境であろう。夫婦間で極端に反対な学校体験をしてきたことになる。

妻からすると、勉強できるとかできないとかを超えてお互いを認め合うおおらかな人間関係、子どもたちの目線で見てくれる先生、自然とふれあい感じる心が育てられる環境、中学受験する子もなく、3つの小学校から集まってくる中学校では40人に増えたが、みんな同じような環境で育ってきた子たちだ。だからこの地域の人たちは平和的で実に人間らしい心が育てられている、と考えている。

オレからすると地縁にもしばられ逃げ場の無い関係性は想像できないし、中学受験する子は皆無、中学の部活は3つの運動系しかない。自由や選択肢、価値観の多様化が妨げられると思えて仕方ないのだが、多分こうした見方に妻は良い顔をしないだろう。

学校教育を語ろうとすると、つい我々は理想論に傾き、自分の経験を根拠にして事象を評価しがちだ。

そして今の自分が価値ある存在だと認めてほしくて、事象を一般化し批判する。
「学歴のある人は冷たく、あいさつとか人間の基本的なことに欠ける」「社会の中で活躍してるなって感じる人ほど学歴がなかったりする」。
実際耳にしたこのような批判は果たしてどのくらいの人と接した上で出てくる言葉なのだろうか。
もちろん高卒などの学歴の人に対するステレオタイプな見方も存在するのは否定できない。高学歴の人たちもまた自分が高い壁を乗り越えてきたことに価値を認めてほしい気持ちの裏返しだろう。
お互い見えないところから想像で話を膨らませることで何か問題解決になるのだろうか。

だからこそ、自分たちの対話会では、学校教育を俯瞰的に捉えるために、人間にとって教育とはなんだったのかを歴史的に見る視点を提示した、という話を前の記事で書いた。

教育を考えるうえで自身の体験を相対化して考えてみることが大事だ、ということは一定の共感を得られたと思う。

前回は歴史から振り返ったが、今現在我々の世界にある文化や属性的な文脈の中でどのように自身の体験が位置づけられるかを考えることも大事だろう。

このことを考えるにあたって、最近発売された学校教育への糾弾を「冒険」と謳う書籍や、北欧をはじめとした欧州の学校教育が話題になっている。これらは新しい学校像を示しており、しばし理想の教育としても引き合いに出される。

もちろんこれらも重要なヒントになり得るわけだが、本当に学校さえ変われば子どもたちはハッピーなのだろうか。

オレもはじめ少人数の学校教育には大きな期待があった。まさに妻が体験してきたことは学校教育の理想だと思ったし、自分が大規模な学校の中で個として埋もれがちだったことや、自然との関わりに乏しかったから、その反動だとも思う。

しかし現実として息子は妻と同じ環境で不登校となった。

フリースクールだけでなく公立学校でも「夢見る小学校」のように、個性を大切にした子どもファーストな学校づくりという取り組みも起こっている。

それはとても歓迎すべき変化ではあるが、「だから」すべての子どもたちにとって理想的ではない、と思っている。
フリースクールで自由が与えられたがために何をしていいかわからず、結果不適応を起こす子の話も聞く。

一つの見方としては、子どもにとって理想的な学校、理想的な教育というのは、システム上の話ではなく、学校と子どものニーズが合致していること、だと言えそうだ。

だから子ども自身に将来成りたいものがあって、そのために必要な教育環境がある、またはその先の大学などへの進学に適した学校を選ぶのであれば、当人にとって理想であろう。

あるいは、ありのままでいたい、という子どものニーズと、個性豊かな子どもを育てたいという学校のニーズ。

学区制にしばられる公立などでニーズの合致が生まれるケースは幸運な出会いと言えるかもしれない。

問題はお互いのニーズが合致しなかった場合だ。

息子が不登校になった理由の一つに、少人数ゆえの制約がありそうだと見える。

同じ教育環境でも、その受け取り方には当然個人差があるのだ。すべての子どもたちが活き活きできる学校教育のシステムを作りましょう、なんてことが絵空事だということに他ならない。

システムの変更が根本の問題解決にならないと思うもう一つの理由には、教員にも個々の価値観があり、学級の中ではシステムよりも属人性の方が強く子どもたちに影響すると思われるからだ。
つまり子どもの個性と教員の個性が合わなければ、どんな教育を謳っていようと、不適応は起こる。
教育の歴史を振り返れば、教育環境の改善をはかったシステム変更が、適切な運用が果たせず機能不全に陥ることを繰り返してきたことがわかる。システムを作るのも重要だが運用する側にその意図が伝わっているかどうかが。そこには教員の価値観と同時に親の価値観もかかわってくるように思えてならない。

いずれにせよ、理想の学校を求めて、学校を渡り歩いていく、というのも、すべて合致するまで変え続けるようなことは現実的でないし、多分出会えない
学校という場所が人が集まる一つの社会である以上、多分な理不尽さというのは避けきれないことでもある。
これを乗り越えることが成長となるのか、あるいは我慢する価値のないものなのか、それを判断するのはなかなか難しい。

どの道を選択するのが良かったかなんて、高校以降の人生を何十年か歩んでみないと、極論死ぬまであの体験が自分にとって何だったのか、というのを結論づけることはできないだろう。

だからこそ子どもにとっての理想の教育を考える前に、自分の体験を振り返って、あれはなんだったんだろう、と客観的に検証することが必要である。

数年前に同窓会で久々に再会した友人たちと話す機会があったが、進学校出身だからといって皆が皆それらしい人生を歩んでいるわけではない。

ドロップアウトした仲間かと思ってたやつが、バリバリキャリアを伸ばしていたりして、ああ、これがわが校の底力かー、と妙に納得もするし、成績優秀だったやつがその後心身を病んだという話を聞いたりすると、それもまた我々進学校出身者の一面なのかと妙に受け入れてしまったりもする。

それぞれが学校に付随する要素のどこにどう影響したかは、個人の選択や環境によって違う。が、それぞれこの学校にいたから、という道の上にいることに違いはない。

もし今オレがあの頃の学校に望むものがあるならば、プロのドラマーになりたい、というような大学以外の道の希望も、多様な選択として広く「肯定的に」受け入れてくれてたらオレとしては楽だったとは思うが。

教育環境の違いを多様性に変えて

私立中高一貫男子校というレアな学校経験は、世間から見て謎めいた存在かもしれないが、そこにいたのは普通の人間たちだった。遊んだり悩んだりしながら生きることを求めてきた人間たちだった。

今住んでいる農村部では、同じような学校経験をした人は少なく、地元の人達と学校の話をしても想像しづらいようである。私立学校の立ち位置もオレの知っているものと違っていた。

オレもオレで1クラス10人の教室の風景を全く想像できない。

一概に学校経験の違いだけには寄らないが、こうした経験の積み重ねによって、オレは彼らにとって当たり前のことができなかったり知らなかったりするし、逆に彼らにとって当たり前でないことができることもある。

自分と違う集団に対して批判的な目を向けるのは人間の性で、自分の価値観に合わない行動や考え方を見て、無意味だとか不毛だと断罪してしまうこともある。

でも、そんな時こそ、相手も自分と同じ人間であることを忘れないでほしい。

皆が赤ん坊から始まり、子供時代を過ごし、様々な感情や経験を持って大人になったのだ。

時に善悪を超えて行動したり、時に優しさや思いやりを示したり、葛藤したり妥協したり、自由や秩序を求めたり守ったりしたのだ。
多様性を尊重するということは、皆が子供であったという共通点から出発し、それぞれ異なる環境で成長してきたことを認め合うことではないだろうか。

学校とは、と話す以前に、目の前の人は前提が違うかもしれないということをお互いに認識しないと、今必要な教育を見誤ってしまうし、オレも感情的に自分の経験を守ろうとしてしまう。

これを解決するためには事象を多面的に知識として学んでおくことが大事だ。そして違いがある、と理解することは感情的に楽ではないがお互いに多様性をはぐくむチャンスであることを、オレも学んでいかないといけない。

正解のない教育環境づくりだけど

オレはこれから学校教育を受ける子どもたちに、自由で創造的で自分で考える力を身に着けられる教育を受けてほしいと願う一人である。

しかし、学校のシステムや慣習、制度などをすぐに変えられないし、その教育を受けた子どもたちがどんな大人になりどのように人生を営むかなんて誰にもわからない、という前提で取り組む姿勢が必要だと思っている。

あるいは学校に頼らず自発的に学びの場を作り、学校を含めた複数軸の価値観をはぐくむ場を増やし選べることの方が、変化の時代には即していると思われる。実際自分でもその準備をしているが、一方で学校は教育だけでなく、特にここのような地方では地域コミュニティをつなぐ中心的な役割であることにそう大きな変化はないだろうとも思う。

まだまだ我々と学校というのはお互いに依存する関係だからこそ、教育や学校とは何かという対話は常に重ね、共進化するような関係でいたい。

「子どものため」に対する疑問

このように考えてきたとき、常套句である「子どものため」という思いは、どの時点で成就すれば親も子も満足できるのだろう、という疑問がわいてくる。

オレは学校のシステムには満たされなかったが、進学校で放置されたがゆえに開かせた自分がこうありたいと思う姿に邁進できたことについては、ハッピーだったといえるかもしれない。

親にしてみれば多大な投資に見合わないオレの人生は、受け入れがたいだろう。

今時点でも社会的に成功しているとは言い難いが、前述のように学力的なものが自分の心理的な支えとなっているし、ある種の知的生産ができることはこれまでの教育の賜物だろう。そこへの感謝は忘れていない。

結局のところ「子どものため」が本当に子どものためなのか、本当の子どものためになるのは、どんな学校に行かせるか、どんな教育を受けさせるかよりも、もっと根本的に「子どもの声」をどのように受け止めるか、ということにあるのだろう。

ぜひあなた方が教育にかかわる対話をする際に、こんな一人の男の学生時代のことを頭の片隅にでも思い出してもらえたら幸いである。
そしてあなたの話も聞かせえもらえたらなおうれしい。

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