学びと対話で「学校教育」を考えた ~教育の歴史から見えた現在地~

「教育の歴史を振り返る&お話会」

自分の息子が不登校という当事者の立場で、妻が主催の一人であった「教育の歴史を振り返る&お話会」に参加した。

このnoteでは都会暮らしの筆者が岐阜県恵那市に移住して11年の農村暮らしから見えた視点をお届けしてます。


で、教育ってなんだっけ

一見のどかな山里で不登校や学級崩壊とは無縁のような恵那ではあるが、そうした社会の波には抗えない。
以前にも不登校について考えるために、不登校だった人たちのその後を追った映画『自立への道』の鑑賞会に参加したが、その流れから、子供たちが安心して過ごせる場所について考えたり、学校について思うことを話せる場を設けようと妻やその仲間たちが立ち上げた。

オレは直接会のメンバーとはなっていないが、何せ息子のことである。日ごろから妻やメンバーの方と学校や教育について意見を交わしていた。

ひとたびネットをのぞくと、それこそごまんと不登校にかかわる情報や、学校教育の変革の必要を叫ぶ意見を目にする。しかし個々の主義によって180度方向性が違ってたり、それは貴方だから言えるのでしょ、と個別の体験を一般化しすぎていたり、感情的で善悪を決めつけてしまっているものばかりに見えて、なにが自分たちにフィットするのか惑わされてしまっていた。

みんなで「教育」を学びたい

そんな自分に先入観を取り払ってフラットな目線を持たせてくれたのが、ポッドキャスト番組”コテンラジオ”による『教育の歴史編』であった。このシリーズでは、古代文明から近代教育に至るまで、教育がどのような変遷をたどってきたのか、今ある学校制度がどのような積み重ねで作られてきたのかを解説してくれて、自分の教育に対して抱いている価値観の出所を学ぶことができた。
これを聞いて、お話会に教育を俯瞰的に見る視点を採り入れてみてはどうだろうと妻に提案をした。

特に教育に関わる座談会などを開くと愚痴や批判、糾弾、あるいは理想論に終始しがちであるが、教育を俯瞰的に眺めてみて、自分の思いや体験が歴史や文化の中でどのように位置づけられるのか、前提を置いたうえで自分の体験を振り返ってもらえたらみんないつもと違う思いが浮かんでくるのではないか。

そう考えて、コテンラジオから得た教育の歴史についてさらに深めて調べたものを妻がお話会の前半でプレゼンすることになった。

相対化される「教育」への思い

お話会当日は、予想を大きく超える50名ほどの親さんや地域の篤志家、市議会議員の方、現役の教師の方など、多様な人が集まった。

前半の妻のレクチャーでは、教育の歴史をみんなで学んだことによって、一人一人それぞれが持っている学校体験が時間軸上で相対化され、自分が当たり前と思っていたことを考え直すきっかけになったという声が聞けた。

後半の座談会では複数のグループにわかれたが、ここでは参加者に学校や教育での自分の体験や考えを尊重し合いながら聞き合うことをルールとした。
すると、今度は自分の考えが横軸上で相対化されて、学校や教育とは何なのか、どうあるべきなのか、という問いに対して、一つの答えや正解がない、むしろ、「当たり前」や「常識」、「理想」や「正解不正解」て概念自体にその人が生きてきた立場から生まれる多様な視点が存在することがわかった。

「当たり前」を揺さぶること

総じてどのグループも自分の想いを聞いてもらうということに満足を得たようで、先に『教育の歴史』について俯瞰できたことで、異なる立場や主義の人の話も受け止めることができた、という感想もあった。
中には、自分で正しいと思っていたことが本当に良いのかわからなくなったと、「揺らぎ」を口にする人もいた。
まさに揺らぐことは多様性への第一歩であり、個人的にはポジティブな変化だと思うので、この会の成果の一つとして誇れることだ。

当たり前と思っていることを視点を変えて見てみることは、教育に限らずこの変化の時代を生きる上で、そして次世代にこの社会を引き継ぐ上で大人自身がこれからも学んでいくことが必要だと思っている。
個人的にも教育についてさらなる探究をして、またその成果をシェアする機会を作ろうと考えている。

「教育の歴史」から得た視点

ここからはこの会での個人的な感想と教育の歴史を振り返った感想をあわせて、学校教育に関するオレなりの視点を簡単に書いてみる。

公教育の主体と役割

教育の歴史を振り返ると、公教育は明治維新以降、それまでは藩ごと、多くの農民たちにとっては集落ごとであった人々の帰属意識を「日本国民」に集約する必要があったことで整備されてきた。学制が欧米の諸制度を参考に作られたように、近代国家としての教育の目的が国民意識の形成であることは何も日本だけのことではなく、先に近代化を果たした欧米諸国と変わりはない。
つまり教育の主体を国や公が担い日本の子どもたちが制度上では全員が教育を受けられるようになっておよそ150年とごくわずかな時間しか経っていない。ここからわかるように公教育は決して揺るがすことのできない絶対的なものでもない。

絶対的ではないからこそ、「学校は軍隊みたいな全体行動主義をやめろ」という批判にも頷ける反面、曲がりなりにも国家という基盤の中で日常の安全を担保された暮らしをしている以上、ある程度「国家に役立つ人材を育てる」という近代国家の教育像を受け入れる必要もありそうだ。

逆に言えば、それでもなお国家に個人を完全に統制されている社会ではない。個々の生まれた環境によりさまざまな困難があるのは承知しているが、それなりに「自己実現」のために生きることのできる社会ではある。

「学校では教えてくれない」を求めて

教育の歴史とは「誰が教育のコストを払っているのか」の歴史である、という話がコテンラジオでも出ていたが、もちろん公教育においては我々の税金によって支えられているわけだが、制度設計や維持管理といった部分は公の努力なしには決して国民が等しく学校に通えるなんていう社会は生まれなかった。
今の価値観で言えば、個性を無視してみんな同じことしか教えない教育だから子どもの不適応を引き起こすのだ、と見えることもあるだろう。
しかし昭和時代の国民総中流のように、経済的に安定して豊かであることを目指せば人生にそれなりの回答を得られた時代には、画一的になりがちな学校文化も機能していたやり方だったと同時に、国として掲げる目標と個人の幸せが合致していたようだ。

しかし、今は経済的・金銭的豊かさ=人生の豊かさと限らないと考える人が増えてきた。この数十年日本経済が低調とされる中、人口減少・高齢化、国際競争力の低下、格差や不平等など不確実要素が一気に顕在化し、金銭的豊かさを追っても意味がないと感じる人が増えたのだろう。

その替わり自分の興味関心をとことん深めることに重きを置くことで、充実した人生を送る人たちを目にすることができる時代になった。
こうした変化にともなって、子どもの成長においても「学校では教えてくれない」ことが大事だと言う声が聞かれるようになり、探究心を深めてくれる学校の外の教育系コンテンツが豊富に充実してきたように、学校だけが教育の中心ではなくなってきた。もはや場所とかハコとかも意味がなくなってきている。
歴史を知ればこれは良し悪しではなく多様性が尊重される時代の変化としてとらえることができる。

現状ではこうしたことを民間企業や私立学校などが担っているわけだが、あまりに費用が高く、またこんな山里からはとても通えない距離にあったりする。
これは先に挙げたようなまさに”公教育的な価値観”から離れ、人生の質的豊かさを求めて田舎に移住したものの、子どもの通う学校が公立以外に選択肢がなく、親が期待してきた「田舎ののびのびした教育」の質感に学校が応えられずミスマッチを起こしている、という事例も引き起こしていると見える。

公教育と地域の関係

一方で特に公立学校には、基礎学力の定着以外の役割もある。日本の場合、近代化が進むにつれ、地域が担っていた自治的な相互扶助機能がどんどん失われていった。この相互扶助機能は、かつての「結」などの地域の自治組織に見られていた。それを補う役目をしている場の一つが地域の学校だと考えられる。
学校は子どもたちがつながりを持つことだけでなく、PTAなども地域の人たちがつながる場として中心になっており、ここでのかかわり方が将来的により広範な地域自治に住民として関わる際のベースとなっているとも見受けられる。
だが、都市部では公立と私立で通っている家庭の層がはっきり分かれてると聞く。学校=地域のつながりという考えは地方の小規模な学校に限られてきているのかもしれない。

さらに一方で教員の負担についての話題もよく目にするようになった。子どもたちの不登校や学校不適応の矛先は教員たちに向かいがちであるが、業務外負担の多さや、個々の教員たちにはどうしようもできないシステム的な問題にがんじがらめな実態もあり、ここにも現状を認識するための大きな視点が必要だろう。

公教育の変容の可能性についての推察

以上のように現状を考察してみると、学校の一定の役割はこれからも残りつつ、多様化するニーズに合わせて学習内容や学習場所についても一定の範囲で「選べる」方向を公教育が認めざるを得ない動きが生じるだろう。

実際問題、この情報化社会においては子どもたちだって興味関心を学校より先にどんどん先取りできてしまうわけで、学校での学習内容がとても物足りない、という子たちも目にしている。
親の目線から見たら、学校では子どもたちに考えさせたり、創造させていく時間が少ないのが疑問に思えたりする。
子どもや親たちを満足させる授業を今の学校の体制に求めるのは酷というものだが、学校に通う理由がなくなる前に学校も変わらざるを得ない。
選択肢の少ない恵那のような山村地域でこそ、公的に「選択肢」を提供できるようになれば、新しい時代の公教育のけん引役になれると思うのだが、どうだろうか。

学んで対話する場が新しい視点を生む

最後に、学校教育の行き詰まりという現象がきっかけではあるが、地域の中でも多くの人が教育に関心を持って、子どもたちの学びの場について考える機会が自然な流れとして広がっているように感じる。
恵那の中では他にも別の有志たちが学校教育に関わる対話会を催したりしている。

ドキュメンタリー映画「みんなの学校」上映+対話会〜岐阜県恵那市・初開催!〜
https://www.reservestock.jp/events/834003

自分も含めて市井の人に過ぎなくても、ただ与えられたものを受け取ればコトがすむ時代ではない。むしろ、今回のお話会を通じて、何者でもない自分たちが多様な視点や歴史的な考察からみた現況について学び考えることこそ、これからの「何が起こるかわからない」社会を賢く生き抜く方法の一つだと改めて感じた。

教育に限らず、「否定しない、結論を出さない」をルールに、日々のモヤモヤを話そうというお話会も定期的に行われている。

これらのような立場を超えた個々の考えを”安心して”発信できる場所でこそ、他者の視点と混じりあい、新しい視点による新しく前向きなアイディアが生まれることも確信している。
このような場が同時多発的に立ち上がっていることをみると、興味深い変化が生まれる日も近いのではないかと考えている。

と、ここまで公教育をどげんかせんといかんという視点で書いてきたが、子どもの成長のためには実は学校よりも大きく影響することがあると思っている。果たして、大人が言う「こどものため」とは…。それはまた次回。

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