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教育の歴史を振り返る&お話会というイベントを開いた。|当日編

こんなイベントをしていました。

「子どもの居場所作りを考える会・恵那」という有志のグループに参加させていただいています。
この会の趣旨としては、「いま、子どもが学校以外にいられる(公共じゃない)場が、恵那には全然ないよね。」
(わたしは「我が家の不登校児、居場所がないのよね。ずっと家でみているのも家族として限界が来ているし、ないなら作りたいな」というニーズ)

2023年はじめに発足しまして、情報収集や不登校児に関する映画上映、お話会、近隣のフリースクールの視察などしておりました。

私自身は、「これがいいね~」と思ってから、ほんとうに動き出すのには時間がかかり「ほんとうにフリースクールがいいのかしら?」「学校や地域に与える影響は?」「公教育を受けないとどうなるの?」「10年後、20年後、50年後への影響は?」etc………など多岐にわたり考えてしまうタチです。
そんなわけで、一回地域で話してみようよ、という会をしたかったのです。
が、教育に対する解像度が低いまま話しても、愚痴か賞賛しか出てこないのでは!と思い、歴史と現在地の調べ学習をシェアしてからお話会をすることにしました。

教育の意図と、誰が担っているか問題

当日は飛び込み&こどもたち含め40人以上のかたがコミュニティセンターに集まりました。
募集し始めたころは人が集まらなかったのですが、ぽつりぽつりと増え、前日には定員満杯に。
現在の教育への関心の高さがうかがえます。
子どもたち含め45人くらいの人々が集まり‥‥

まず1時間、わたしから「教育の歴史を振り返る」プレゼンをしました。

要点は

・教育は学校教育と生活教育があり、それが縦の糸横の糸のように織られているという解釈(その担い手は時代によって変わる)
・教育の歴史は思想の歴史とリンクしている
・教育は「誰が」「なにを」「なんの目的として」教授するか、で変わる
・中世と今では「こども」や「家族」の価値観が違う
・いろんな学者や教育者が、問題提起をしたり理想の教育を掲げたりしてだんだん現在の教育に変わってきたよ
・日本は儒教や明治政府の影響、アメリカやヨーロッパからの影響をふんだんに受けて教育をつくってきた(受容的な国民性)
・国の文化や宗教、社会背景によっても、教育の在り方はまったく違う
・いま教育の現場や教育学のなかではこんな問題点とか、こんなやり方がいいんじゃないっていうアイデアが出ているよ~という紹介

というような感じ。

思想のあたり、ちょっと難しい部分もあるので「大丈夫かなあ~」と思いながら話しておりました。が、あとで「俯瞰して見れたのでとてもよかった」と言っていただき、ほっと胸をなでおろしました。これはまたあとで。

対話のしみじみとしたちから

お話会は、輪になってワールドカフェスタイルで。
輪にひとりファシリテーターを置き、話をひとりずつ進めました。

今回は、結論を出す場ではありません。
いろいろな人に、教育について安全な場で語り合って、わたしたちもそれを聞きたかったのです。
そこでグランドルールを設けました。

|みなさんが平等に話せるように、分け与えられた時間に気を付けてお話しください
|できる限り、じぶんの体験として語ってください
|最後まで話を聞き切りましょう
|ほかの方の意見を否定しないでください


でてきた話の一部
・(他県出身のかた)「まわりの話を聞いていると、岐阜県はけっこう厳しそうだなと感じている。わたしの出身県は全体的に厳しくなかった。」

・(お子さん3人いるお父さん)「引っ越し前、長男が不登校気味でした。いわゆる学級崩壊で、授業が進まないのがしんどかった。でもUターンしてこっちの学校では授業がちゃんと静かに進んでいたから、行けるように。自分自身も不登校だったけれど、高校生のとき、父がフリースクールを探してくれた。そこの合宿に行ったときに、いじめらていたような人と、ヤンキーが肩を並べてしゃべっている場面に衝撃を受けた。」

・(お子さんの手が離れた50代お父さん)「PTA役員をけっこうやっていたので、先生が現場で手一杯なのを見てきているので、先生の仕事をこれ以上増やしたくないなと感じる。でも先生たちはずっと学校にいて、世間の環境変化に気付けない。もっと地域の人が関わって、例えば地域の人が授業をもっとやるとかどんどんしていけば、風通しが良くなるのではないかと思って、いろいろ模索している」

・(学童指導員をやっていた女性)「学童にいた時、家庭でも学校でも手を焼いている子がいて、その子が『死にたい』と。小学校低学年で希死念慮があるのがびっくりして…ひとりだけではなかった。自分は学童支援員として先生でも親でもない人として、その子の話が聞けたらいいな、と思って、傾聴していた。」

・(芸術活動で長年教育に関わってきた男性)「長年、学校現場の現状を近くで見てきた。自分自身も教育に興味があり、いろいろと調べているが『マルトリートメント(避けるべき暴力的なふるまい)』という概念を知った。授業中怒鳴る、というのもマルトリートメント。不適切な対応が減っていくように周知されるといいなと思う」


・・・わたしもすべてのかたとお話したわけではないので、書ききれませんが、とても多様なニーズを知ることができました。
正直、いろいろな立場な方がいらっしゃったので「もしかしたら喧嘩になるかもしれない」とびくびくしていた面もありました。でも実際はそんなことなく、いろいろな立場のひとたち、いろいろな意見のグラデーションはあれど「ここが問題だな~」と感じていることや「もっとこうなってほしいな~」と思うことはかなり近いのでは、と思ったのです。

子どもには、イキイキ暮らしていて欲しい。お友達と元気いっぱい遊んで欲しい。・・・というようなシンプルで素朴なニーズから(でもこれが難しいのよね~)
プロジェクトベース、探究学習を増やして欲しい。
宿題量を選べたり、子ども自身に裁量があるような、主導権を与えてほしい。
学校内フリースクールなど、子どもが安心して暮らせる空間を作ってほしい。
学校だけしか世界が無いと、受け入れられるコミュニティが無いと思ってしまう子もいるし、合う合わないもあるから、いろいろなコミュニティに属せるといいよね。
…など。
はたまた
先生も親もいっぱいいっぱいだから、安心して話せる場所が必要だよね。(懇談会以外で)
なども、ぽつぽつ出た意見です。

子どもの居場所作りを考える会・恵那 としては、今後の方針や、指針をばちっと固めているわけではありません。
が、私個人としては学校との対話をしつつ、子どもの安心していられるコミュニティのひとつを試験的に作りたいなと思っています。
いまの息子がそうですが、学校や適応教室、他のコミュニティをいったりきたりすることで得られるものが大きいなと感じているのです。コミュニティが変われば安心度や満足度、ワクワク度などはそれぞれ。それを感じるだけでも価値があります。

学校と対話を続けていく、というのは、この団体としてはとても重要な要素になっていくのではと考えています。時間はかかると思いますが、「学校大嫌い!」というひとも、「いまの学校でないとダメ!」と思っている人も、どの立場のひともイイネ!って思えるようなやり方でないと、広がりがないと思うのです。

ちなみに。意外にちいさいところからだと、個人でも対話によって変えていけるところは多いです。たとえば私は毎日「休みます」と電話をするのが嫌で仕方なかったので(なんで休むんですか、と毎度聞かれるから)「アプリで出欠できるようにしてください」とリクエストしました。
最初はもちろん渋られましたが、何度か学校側の「困っていること」にフォーカスしたらOKに。不登校ライフがちょっと楽になります(親が。あと学校も電話が減るのでラクになるはず)。
小さなことですが、こうやって次の後輩たちがよりラクになるといいなあと思います。

今話題の(?)恵那市の南側の中学校統合に関しても、市の教育委員会や市政と住民がじっくり対話する場が無かったことが問題で、市民がしっかりリクエストしたり市の言い分もじっくり聞いたりする時間がもっと必要そうです。

反響のあったお話会

いわば大人の総合学習発表会でしたが(楽しかったです、みなさん聞いてくれてありがとう)とても反響があり、またやって~という声もいただいています。わたしのところにメッセージを送ってくださった方もいました。

この場のように、安心してフラットに教育について語る場がいままで無かったんだなあ、ということをしみじみ感じています。
いつか、学校の先生や教育委員会のかたが輪のなかで対話できるような場に育てていきたいです。

息子が不登校、というところから「じゃあ教育の歴史をみんなにシェアするね」ってなかなか独特なムーブだった自負はあるのですが、結果、息子は置いておいて、みなさんと深い話ができてとっても嬉しかった、そんな会でした。
子どもも、わたしたちも、しみじみと対話していきたいですね。



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