AKI49|あきの日本史

高校で日本史を教えています。オンラインの学習のために,ここを使わせてもらおうと思います。近代史の授業を書いています。固定された記事は目次になっているので、何かめあてのものがあるなら、そちらからたどるのがいいです。

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    • 大学入学共通テスト(歴史)

      大学入学共通テスト(日本史・世界史)に関する解説や感想などの記事を集めます。

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    日本近代史の授業

    オンラインで授業の復習をしてもらう目的で作成した記事数も30を超えてきました。復習したい授業にすぐにとべるように目次を作成しました。 1.開国から幕府の滅亡まで(1853〜1867年)2.明治維新(1868〜1877年)3.自由民権運動から日清戦争まで(1874〜1895年)4.日清戦争後から日露戦争後まで(1895〜1910年)5.産業革命(1880年代〜1910年代)6.明治時代の文化7.第一次世界大戦前後の国内政治(1911〜1921年)8.ワシントン体制9.恐慌の時

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      • 2022年大学入学共通テスト日本史B解説その2

        第3問 中世の海と人々との関わり歴史に関する問題問1(問題番号12)中世の海と人々との関わりについて述べた文の正誤を判定する問題。 この問題も問題文(生徒と先生の会話)のなかにヒントがあります。 ①については以下のようにアジアやヨーロッパ諸国との交易によって、新しい製品や技術がもたらされたことがわかります。ですから正文と判断できます。 ②については、次の先生の発言から戦争が新しい道具・技術の開発や導入を促したことがわかりますので、正文と判断できます。 ③については、次

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        • 2022年大学入学共通テスト日本史B解説その1

          2022年2月16日に修正しました。 共通テストを受験したみなさん、おつかれさまでした。次は2次試験や個別入試に向けた準備ですね。高校2年生のみなさん、共通テストまであと1年です。1年後にどのような問題と格闘することになるのか、今のうちに知っておくといいのではないでしょうか?今回は私なりに2022年の共通テストを解説します。 第1問 高校生の会話文からの出題日本史を勉強していて、確かに思うだろう人物名の読み方の違いに関する内容。小野妹子は「おのの/いもこ」、北条政子は「ほ

          • 47.アジア・太平洋戦争の展開

            本時の問い「アジアの人々は、日本の戦争をどのように見ていたのか。」 第46回目の授業はアジア・太平洋戦争の経過について扱います。本時の問いは「アジアの人々は、日本の戦争をどのように見ていたのか。」でしたね。 アジア・太平洋戦争 まず、教科書で太平洋戦争と呼んでいるこの戦争は、アジア・太平洋戦争と呼ぶ方が実態を表すのにふさわしい言葉です。太平洋戦争だと日本が太平洋の向こうのアメリカと戦った戦争だというのはわかりますが、実際には日中戦争は続いていますから、中国を相手に戦って

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            46.アジア・太平洋戦争の開始

            本時の問い「日米交渉が決裂し、米・英に宣戦布告することになったのはどのような理由か。」 第46回目の授業は、第2次近衛文麿内閣が始めた日米交渉と政府の対応、そしてアジア・太平洋戦争が始まるまでの経過について扱います。本時の問いは「日米交渉が決裂し、米・英に宣戦布告することになったのはどのような理由か。」です。 日米交渉の開始 前回の授業で第2次近衛文麿内閣が日独伊三国同盟(1940年9月)を締結したことにより、アメリカが日本に対する経済制裁を本格化させるたことを学びまし

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            45 第二次世界大戦の勃発

            本時の問い「第二次世界大戦に日本は最初不介入の方針だったが、のちにそれが転換したのはなぜか。」 第45回目の授業はドイツが日本に対して防共協定を強化し、軍事同盟の締結を提案するようになった第1次近衛文麿内閣の時期から、日独伊三国同盟を締結した第2次近衛文麿内閣の時期までを扱います。cでしたね。 ドイツとの軍事同盟締結には消極的な時期 ヴェルサイユ体制の打破をめざしたドイツは日本に対し防共協定を強化して、ソ連・イギリス・フランスを仮想敵国とする軍事同盟にすることを提案しま

            44 戦時統制と生活

            本時の問い「政府は日中戦争に国民を協力させるための体制をどのように築いたのか。」 第44回目の授業は日中戦争開始以降の経済統制と国民生活について扱いました。本時の問いは「政府は日中戦争に国民を協力させるための体制をどのように築いたのか。」でしたね。 自由主義経済から統制経済へ 日中戦争がはじまると、第1次近衛文麿内閣は戦争を遂行するため、政府が生産と消費を統制する統制経済への移行を進めていきました。例えば、軍需産業に資金を割り当てるため、臨時資金調整法、軍需産業に輸入資

            43.日中戦争

            本時の問い「偶然に起きた日中戦争が、なぜ全面戦争に発展し泥沼化したのか。」 第43回目の授業は日中戦争の開始について扱いました。時期は二・二六事件後の広田弘毅内閣から第1次近衛文麿内閣までです。本時の問いは「偶然に起きた日中戦争が、なぜ全面戦争に発展し泥沼化したのか。」でしたね。 日独伊三国防共協定1936年、軍の強い影響のもとで成立した広田弘毅内閣は、帝国国防方針を改定し外交ではドイツとの提携を強化しソ連に対抗することが「国策の基準」に盛り込まれました。 この頃のドイツ

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            42 二・二六事件

            本時の問い「陸軍皇道派が二・二六事件をおこした背景には何があったか。」 本時の授業は、二・二六事件について扱います。時期は斎藤実内閣から岡田啓介内閣をへて広田弘毅内閣が成立するまでです。本時の問いは「陸軍皇道派が二・二六事件をおこした背景には何があったか。」でしたね。 陸軍内部の対立軍部の発言力が強まるなか、陸軍内では皇道派と統制派が対立していました。まず両派について説明をします。 皇道派は天皇親政をめざす急進派で、国家改造のためにはテロも辞さないという考えを持つ隊付の青

            41 恐慌からの脱出

            本時の問い「日本経済はどのようにして昭和恐慌から脱出したか。」 第41回目の授業は1930年代の日本経済について扱いました。世界中が恐慌で苦しむなか、日本は世界に先がけて恐慌から脱出します。本時の問いは「日本経済はどのようにして昭和恐慌から脱出したか。」でしたね。 高橋財政今回の主役は犬養毅内閣・斎藤実内閣・岡田啓介内閣の蔵相を務めた高橋是清です。彼の財政政策を高橋財政と呼びます。 まず、1931年12月に高橋蔵相が登場する前の日本経済を思い出してみましょう。浜口雄幸内閣

            40 政党内閣の崩壊と国際連盟からの脱退

            本時の問い「日本はなぜ国際連盟から離脱したのか。」 第40回目の授業は、1932年に起きた五・一五事件と、翌1933年に国際連盟からの脱退を通告したことを扱いました。本時の問いは、「日本はなぜ国際連盟から離脱したのか。」でしたね。 右翼・軍人による国家改造運動が活発化立憲民政党を与党とする浜口内閣は日本経済の再建のために金輸出解禁を実施しましたが、深刻な不況をまねく結果となりました。労働争議や小作争議の件数は1931年に激増し、政党政治に対する批判が強まりました。また、財閥

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            39 満州事変の勃発

            本時の問い「政党内閣は,なぜ関東軍が起こした満州事変を止められなかったのか。」 第39回目の授業では、第2次若槻礼次郎内閣(与党:立憲民政党)の時に起きた満州事変について扱いました。本時の問いは「政党内閣は,なぜ関東軍が起こした満州事変を止められなかったのか。」でしたね。 満州事変は日本と中国の戦争1931年9月18日、奉天郊外の柳条湖で満鉄の線路が関東軍によって爆破されます。それを中国側のしわざとして関東軍は軍事行動を開始します。このことを満州事変と呼んでいます。事変とい

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            38 ロンドン海軍軍縮条約と統帥権干犯問題

            本時の問い「浜口内閣がロンドン海軍軍縮条約を締結したことは本当に統帥権干犯か。」 第38回目の授業では浜口雄幸内閣の外交、ロンドン海軍軍縮条約について扱いました。本時の問いは「浜口内閣がロンドン海軍軍縮条約を締結したことは本当に統帥権干犯か。」でした。 第2次幣原外交浜口内閣の外務大臣は幣原喜重郎です。幣原外相は山東出兵や張作霖爆殺事件などで悪化した中国との関係の改善をはかります。1930年に中国と日中関税協定を結び、条件付きですが関税自主権を認めます。 協調外交欧米との

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            37 浜口雄幸内閣による金輸出解禁

            本時の問い「金解禁は日本経済の何を変えようとした政策だったか。」 37回目の授業は、1929年7月から1931年4月まで続いた立憲民政党の浜口雄幸内閣の経済政策について扱いました。本時の問いは「金解禁は日本経済の何を変えようとした政策だったか。」でした。※金解禁=金輸出解禁のこと 日本経済の再建へ浜口雄幸内閣は、大蔵大臣の井上準之助を中心に日本経済の再生に取り組みます。日本経済再建のカギは、金輸出解禁を実施することで金本位制に復帰することと浜口内閣は考えます。これは当時の経

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            36 田中義一内閣

            本時の問い「中国国民党による北伐は日本の外交にどのような影響を与えたか。」 第36回目の授業は、田中義一内閣について扱いました。本時の問いは「中国国民党による北伐は日本の外交にどのような影響を与えたか。」でした。 「憲政の常道」の始まり金融恐慌の処理に失敗した第1次若槻礼次郎内閣が退陣すると、立憲政友会総裁の田中義一が首相に任命されました。憲政会内閣の政治が失政ととらえられたため、野党第一党の立憲政友会に内閣が回ってきたのです。「憲政の常道」は、選挙によって衆議院第一党とな

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            35 戦後恐慌から金融恐慌へ

            本時の問い「1920年代に恐慌が連続した最も重要な原因は何だと考えるか。」 第35回目の授業は1920年に発生した戦後恐慌から、1927年の金融恐慌までの経済史を扱いました。本時の問いは「1920年代に恐慌が連続した最も重要な原因は何だと考えるか。」でした。 戦後恐慌1920年、原敬内閣のときに戦後恐慌が発生します。 戦後恐慌について理解するためには、その前の経済状況がどうだったのかがわからなければいけません。直前までは大戦景気と呼ばれた空前の好景気により、日本経済が急速

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