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2022年大学入学共通テスト日本史B解説その1

2022年2月16日に修正しました。

共通テストを受験したみなさん、おつかれさまでした。次は2次試験や個別入試に向けた準備ですね。高校2年生のみなさん、共通テストまであと1年です。1年後にどのような問題と格闘することになるのか、今のうちに知っておくといいのではないでしょうか?今回は私なりに2022年の共通テストを解説します。

第1問 高校生の会話文からの出題

日本史を勉強していて、確かに思うだろう人物名の読み方の違いに関する内容。小野妹子は「おのの/いもこ」、北条政子は「ほうじょう/まさこ」なんで違う?

昔、社会科の問題は問題文を読まなくても解けると言う人が多かった。しかし、共通テストは問題文の中にも解答にいたる根拠があるのです。そのため、読むことに時間がかかるようになりました。早く正確に読む力も身に付けなければいけません。

問1(問題番号1)空欄補充問題。ただし、語句の補充ではなく文の補充です。まず空欄(ア)は、大輝さんのメモと発言がヒントになります。

姓 ・平安時代に姓が形骸化して、姓は専ら氏を指すようになった。

大輝さんのメモ

姓は、やがて氏と同じものになるけど、苗字とは違うものだったんだね。北条政子の場合、平氏の一族であり、平政子が正式な名前と考えられているみたいだね。

大輝さんの発言

このメモと発言から、北条政子は、北条が苗字、政子が名(個人名)であることがわかります。姓(せい)と苗字の違いを大輝さんのメモを読んで理解した上で考える問題です。その違いを理解していれば、北条は苗字、政子は名とわかるでしょう。

次に空欄(イ)は、近世になると百姓や町人は苗字を持っていたけれど公称は許されなかったのに対して、明治政府は平民に苗字を名乗らせることになるのが、どのような理由なのかを考える問題です。ただし選択肢の一方が、「華族・士族・平民の身分を撤廃する」とあり、明治初期の四民平等の政策を理解していれば、この選択肢が入らないことがわかるので、もう一つの「近代国家の国民として把握する」が入ることがわかります。

空欄(ア)は問題文から読み取ったことを根拠に、空欄(イ)は明治の政治史に関する知識で解ける問題でした。

近代国家が国民を作り出したという話は以下の授業で扱いました。

問2(問題番号2)中世の武士に関する説明文とそれに対応する人物の姓や苗字を答える問題です。

Xは育った信濃国の地名、敵対する一族を都から追い落とす、従兄弟との合戦で敗死から、源(木曽)義仲だと言うことが判断できると思います。少し知識としては細かいかもしれません。

Yは姓は源氏、室町幕府から東国支配を任されていたとあるので鎌倉公方のことだろう。そして、将軍と対立して自害に追い込まれたとなれば、永享の乱で滅ぼされた足利持氏であることはわかるでしょう。

しかし、この問題かなりYの判断で迷った人が多かったです。室町幕府の将軍と対立したとなると、そこに足利を入れるのをためらったのだと思います。入試という焦りはあるのでしょうが、自分が勉強してきた知識には自信を持って欲しいところでした。

この問題は中世の政治史を理解していれば解ける問題でした。

問3(問題番号3)近世に活躍した人物を年代順に並び替える問題。

1は近松門左衛門が元禄文化の人物であることが分かればいい。
2は江川英竜、伊豆韮山に反射炉となれば幕末です。
3のウィリアム=アダムズ、三浦按針は徳川家康の時期です。
と言うことで、答えは5です。

この問題は歴史用語がどの時期のことなのかまで理解してれば答えられる問題です。年代順に並び替える問題は、受験生の苦手とするところですが、これは用語がわかりやすいので、確実に正解しておきたいところです。

問4(問題番号4)系図から嵯峨天皇の子供の名前の特徴とその背景を考える問題。

選択肢aとbについては、嵯峨天皇の時期に天皇の権威を高めるため唐風化政策が進められていたことを知っていればbが正しいことがわかります。

選択肢cとdは、問題文から読み取ったことを根拠に答えることができます。大輝さんのメモには「天皇は姓を持たない」とあるので、嵯峨天皇の子どもの中に源の姓を持つものがいるのはそれが天皇の臣下となったことと考えられます。ですからcが正文と判断できます。dの方も読んでみると、親王の兄弟で同じ漢字が用いられていることは系図からわかりますが、それで皇位継承の順番が明確になったと言うのは何を根拠にそのようなことが言えるのかがわかりません。系図では6番目の文徳天皇の弟に光孝天皇がいますが、9番目と順番にもなっていません。

この問題は嵯峨天皇の時期の政治史、または文化史の知識と問題文からの読み取りが必要な問題でした。

問5(問題番号5)1925年〜1950年の生まれ年別男性名ベスト3の表を読み取る問題です。

まずXは、アメリカ・イギリスに宣戦布告し戦場が拡大するととあるので、アジア・太平洋戦争の年代を知らなければいけません。アジア・太平洋戦争が、1941年〜1945年まで続いた戦争であることは基本的な知識です。表を見ると、1942年から1945年まで「勝」が男性名のトップになっています。勝利を祈願するような名前が優勢というのが正文と判断できます。1941年は?と思う人いますか?アジア・太平洋戦争が始まったのは、マレー半島への奇襲上陸とハワイ真珠湾への奇襲攻撃が行われた、12月8日です。となれば、1941年は大部分の時期が戦争をしていないのでこの年は除外して考えます。

Yは、天皇の代替わりに伴う改元の影響とあり、昭和が1926年から始まることを知識として覚えておかなければ、答えることができないように思えます。しかし、会話文の中の陽菜さんの発言に次のようなことがあります。

今だって、個人名には流行があるよね。大正時代から現在までの個人名については、「生まれ年別名前ベスト10」が公開されているんだって。

陽菜さんの発言

大正時代からの元号を考えると、昭和ー平成ー令和と改元されているので、新元号の一字を冠した名前を探して、あるかないかで判断したら良いのです。そうすると、1927年の男性名トップが昭二と言うのは昭和二年であると気が付きます。そして、1928年は昭和3年だから、昭三がトップになっています。こうなれば、新元号の一字を冠した名前と言うのが正しいと判断できます。

この問題はアジア・太平洋戦争の年代知識と本文の内容を読み取った上で、表を読み取る問題でした。(昭和がいつから始まるのかを覚えていれば、もっと簡単に解くことはできます)

問6(問題番号6)授業のまとめの中で意見交換をした時の意見のうち最も適切なものを選択する問題。

今年の問題は、授業中という設定では大問の最後が授業のまとめの場面の問題となっていることが多かったですね。

aでは天皇が姓を持たないというのは大輝さんのメモからわかることで、天皇が姓を臣下に与える存在というのは、これも大輝さんのメモの中に源・平・藤原・橘が代表的な姓とあり、そのうち藤原は天皇が中臣鎌足に与えたという知識は学んでいることでしょう。ですからaが正文であると判断できます。

bは江戸時代以前の日本の支配階層は夫婦同姓が原則というのは、源頼朝と北条政子、足利義政と日野富子の例を思い出せば誤文と判断できます。夫婦同姓が決して日本の伝統ではないというメッセージを感じる時事的な問題ですね。

cの近世の百姓・町人が基本的に苗字の公称を許されなかったというのは大輝さんの会話中の発言からわかります。それが武士身分との差別化を図るというのも、会話文の同じところに「苗字帯刀の禁止」とあり、苗字を名乗ることと刀を持ち歩くことが共に禁じられているのは、武士の象徴の刀と一緒のことと考えれば武士身分との差別化を図るというのが正文とわかるでしょう。

dは明治の民法でそう義務付けられたことが啓蒙思想の普及と関連することとは考えられません。啓蒙思想は個人主義的な考え方ですから、その発想から考えれば女性に嫁ぎ先の苗字を強制することは個人主義に反します。誤文です。

この問題は問題文を読み取ることと知識が必要な問題でした。

第2問 古代の法制史と外交史の問題

律令のことでリツさんが登場するのは洒落でしょうか。だとしたらリョウも登場するか…

問1(問題番号7)西暦600年の遣隋使とその前後の出来事に関する問題です。

1の文については、推古朝の遣隋使派遣が、『宋書』倭国伝の倭の五王の遣使(478年)以来のことだという知識があれば正文であることがわかります。

2の文は曇徴が高句麗の僧であることがわかっていれば誤文と判断できます。

3の文は、授業で西暦600年の遣隋使の派遣が失敗で、倭国としては記録に残したくないものだったから、日本の文献史料には記録がなく、この経験が推古朝の政治改革を加速化させたと説明しています。そのことを思い出せば、600年の遣隋使以前に改革が行われたという文が誤文であると判断できます。

4の文の記述は702年の初めて中国に対して「日本」と名乗った遣唐使の内容です。ですから誤文と判断できます。

ここは知識問題ですから、確実に正解をしておきたいところです。

問2(問題番号8)8世紀の遣唐使と9世紀の遣唐使について述べた正しい文を選ぶ問題。

aの真言宗は9世紀の弘仁・貞観文化ですから誤文です。

bの唐の僧で正式な戒律を伝えたというのは鑑真のことです。天平文化で8世紀のことですから正文。

cの来迎図は国風文化、10世紀以降ですから誤文。

dの両界曼荼羅は9世紀の弘仁・貞観文化なので正文です。

この問題は古代の文化史を時期を含めて理解しているのかを問う問題でした。文化史の時期区分が苦手な人もいますが、このような問題に対応できるよう、文化史を勉強するときも「それはいつのことか」を意識して学ぶ必要
があります。

問3(問題番号9)史料(古代の計帳)の読み取りの問題。

aは調・庸を納めるのは5人とありますが、注3を見ると調・庸を負担する人を課口というとあり、史料から「課口一人」とあるので誤文とわかります。

bは史料の2行目と3行目にそれぞれ「去年の計帳・・」「今年の計帳・・」とこの人数が記載されていることから正文とわかります。

cは史料の最後から2行目のところに「和銅七年逃」とあるので逃亡された奴婢が記録されていることがわかるので誤文です。

dは律令国家が人を戸籍や計帳で把握するためには身体的特徴を記録する必要があり、その中で黒子の場所を記録していたことは知識として知っている人が多いでしょう。正文です。

この問題は史料の読み取りを問うものでした。

問4(問題番号10)史料を読み取りそれらが憲法十七条、養老令、延喜式のうちどれかを判断し、年代順に並び替える問題です。かなりの難問だったと思います。

法整備の過程を考えてというヒントがあります。また、選択肢の3つが「憲法十七条、養老令、延喜式」と示されているなど、年代の並び替え問題としては新しいタイプの問題です。

1の内容は調が布または地方の特産品を納めるという規定で、律令の中で民衆の税負担で学んだ知識と同じことが書いているので、大宝律令と同じ内容の養老令の規定と判断できます。

2の内容は国司・国造とあり、国造は律令が施行されて以降は国造が郡司となったことを理解していれば、律令施行以前の憲法十七条だとわかるでしょう。

3の内容は調・庸の納入期限の後、7ヶ月の内に納めるように規定されていることから、もともと定めたルールを変えているとわかります。そうなれば、これは式であると判断できます。また、税を納める方法を細かく規定していると考えれば、令の施行細則だと判断することもでき、施行細則なら式だと判断してこれが延喜式であるとわかった人もいるでしょう。

この問題は史料を読み取って考えなければいけない、かなり難しい問題だったと思います。

問5(問題番号11)日本古代の法整備についてまとめた文の正誤判定をする問題です。年表とこれまでの学習を踏まえとあるのだから、最初の年表とここまでの問題を思い出して答えなければいけません。このような問題を解く際にページをめくって元に戻るという作業が多くなったのが、共通テスト日本史の特徴だと言えますが、その手間を惜しんだ人は振るわなかったのではないでしょうか。

1の文は隋や唐と異なりとあるのだから年表の中国の法典編纂を参考にして考えると、中国では律と令がセットになって編纂されていることがわかります。それに対して日本では近江令や飛鳥浄御原令のように律が編纂されていませんから、正文とわかります。
表に戻って考えず、自分の知識で答えようとして「中国の律令なんて覚えていない!」となって解答できなかった人がいるようです。こんな問題があるんだって、これは押さえておかねばいけませんね。

2の文は律令の編纂が天皇の代替わりごととありますが、飛鳥浄御原令は天武天皇の時期から編纂が始まり、持統天皇の時期に施行されたという知識を知っていれば誤文だと判断できます。

3の文は大宝律令が701年に制定されたという知識がわかっていれば、表から格式の編纂は9世紀とわかるので弘仁格式が9世紀の最初だったとしても100年以上遅れたと言えるので正文です。

4の文は10世紀にも延喜格式の編纂が行われていることから正文だとわかります。

この問題は表を読み取ることと古代の政治史の知識があれば解けるものでした。

今日は第2問まで

第3問以降は明日には…
がんばります!

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