44 戦時統制と生活

本時の問い「政府は日中戦争に国民を協力させるための体制をどのように築いたのか。」

第44回目の授業は日中戦争開始以降の経済統制と国民生活について扱いました。本時の問いは「政府は日中戦争に国民を協力させるための体制をどのように築いたのか。」でしたね。

自由主義経済から統制経済へ

日中戦争がはじまると、第1次近衛文麿内閣は戦争を遂行するため、政府が生産と消費を統制する統制経済への移行を進めていきました。例えば、軍需産業に資金を割り当てるため、臨時資金調整法、軍需産業に輸入資材を割り当てるため、輸出入品等臨時措置法などを制定しました。政府の経済への関与が強まると、経済関係の官僚が進出し軍と結んで総力戦体制の構築への動きも活発になりました。

このような軍需優先の経済は民需の切りつめへと進みます。また軍事費の膨張は増税をもたらし、軍事支出が増えることでインフレーションが進行しました。

そこで政府は国民を戦争に協力させるため、国民精神総動員運動を展開しました。その中で国民には節約・貯蓄などの協力を促しました。

国家総動員法

第1次近衛内閣はあらゆるものを戦争に動員するための体制を整えていきます。1937年に内閣直属の機関で、統制経済の中心的な機関である企画院を設置し、戦争遂行のための物資動員を計画しました。さらに、1938年には国家総動員法を制定します。この法については問題点について考えました。

まず、史料を見ると条文の最初に

「政府ハ戦時ニ際シ、国家総動員上必要アルトキハ、勅令ノ定ムル所ニ依リ」

とあります。この中でポイントなるのは「勅令」でした。勅令は法律とは異なり、議会の承認が必要ありません。ということは、政府は議会の承認なしに経済や国民生活を統制することができる権限を手に入れたことになります。

教科書には国家総動員法案の審議を報じる新聞記事が載っています。衆議院で立憲民政党や立憲政友会の抵抗にあって、審議が難航している様子が伝えられています。しかし結局、議会は戦争遂行のために必要であるとする政府・軍部の強い要求を認めて、1938年3月に法案を可決します。議会が持っていた予算・法律の審議・承認という重要な権限を放棄し、政府にその権限を与えてしまったのです。それで本当に良かったのでしょうか。

日中戦争の長期化に対して

日中戦争は当初の政府の見込みとは違い長期化していきました。そのため軍事費は膨張しインフレが進行します。これに対し政府は国家総動員法に基づいて、価格等統制令(1939年)を出します。また、兵士として多くの成人男性が動員されたことで労働力が不足します。これに対し政府は、国民徴用令(1939年)を出し軍需工場に一般国民を動員できるようにしました。これも国家総動員法に基づいた勅令です。

軍需優先の姿勢は民需品の不足をまねきました。政府は、1940年、ぜいたく品の製造・販売をを禁じる七・七禁令を出し、砂糖・マッチなどの消費を制限する切符制をしきました。そして、農村で生産された米を政府が強制的に買い上げる米の供出制がとられ、翌1941年には米が配給制となります。戦争が長期化する中、生活必需品への統制が強まっていきました。

国民に戦争への協力を呼び掛けながら、かなりの負担を国民に強いていたことがわかったのではないかと思います。今日はここまでとします。

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