45 第二次世界大戦の勃発

本時の問い「第二次世界大戦に日本は最初不介入の方針だったが、のちにそれが転換したのはなぜか。」

第45回目の授業はドイツが日本に対して防共協定を強化し、軍事同盟の締結を提案するようになった第1次近衛文麿内閣の時期から、日独伊三国同盟を締結した第2次近衛文麿内閣の時期までを扱います。cでしたね。

ドイツとの軍事同盟締結には消極的な時期

ヴェルサイユ体制の打破をめざしたドイツは日本に対し防共協定を強化して、ソ連・イギリス・フランスを仮想敵国とする軍事同盟にすることを提案します。時の第1次近衛文麿内閣はこの問題には決着をつけずに退陣します。

ドイツとの軍事同盟の締結に消極的だったのはなぜでしょう?

この頃、陸軍は泥沼化した日中戦争をドイツやイタリアとの同盟によって打開しようと考えていたのに対し、外務省や海軍はイギリスやアメリカとの関係悪化を理由に軍事同盟の締結には反対していました。この意見の対立により、軍事同盟締結の結論を出すことができなかったのです。

1939年初めに成立した平沼騏一郎内閣でも対立が生じましたが、同年8月、ドイツがソ連との間に独ソ不可侵条約を締結したため、「欧州の天地は複雑怪奇」の言葉を残し総辞職しました。

独ソ不可侵条約が日本に与えた衝撃はどのようなものだったのでしょう?

まず、陸軍は対ソ戦を重視していますから、ソ連を西側から牽制するはずのドイツが不可侵条約を結んでしまっては極東方面でのソ連の脅威が強まってしまいます。

次に、日本は1939年5月から満州国西部とモンゴルの国境地帯でソ連・モンゴル軍と戦ったノモンハン事件の最中でした。9月に停戦するまでに死傷者約1万7000人を出す大損害を受けます。ソ連軍と戦い大戦車軍団の力を見せつけられていた日本にとって、突如結ばれた独ソ不可侵条約はかなりのショックだったのです。

第2次世界大戦の勃発

1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻を開始すると、イギリス・フランスはドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が始まりました。これに対し、平沼内閣に続く阿部信行内閣(陸軍大将)、米内光政内閣(海軍大将)は、ドイツとの提携強化には消極的な姿勢をとり、第2次世界大戦にも不介入の方針でした。

第2次近衛文麿内閣

1940年7月、第2次近衛文麿内閣が成立しました。組閣に先だって近衛は、欧州大戦不介入からの転換、ドイツ・イタリア・ソ連との提携強化、積極的な南方への進出の方針を決めます。ここまでの流れとは明らかに変わっています。それはどうしてでしょう?

軍需資材の不足

まず、軍需資材の不足を欧米の植民地である南方(東南アジア)への進出によって解決することはアメリカ・イギリスとの関係を悪化させることになるが、それをドイツとの同盟によって調整しようという考えです。

日中戦争が始まると軍需資材の入手は日満支円ブロック経済圏だけでは足りず、欧米とその勢力圏からの輸入に頼っている状況でした。しかし、日本の「東亜新秩序」建設はワシントン体制の否定であると考えたアメリカはこれを警戒し、1939年7月、日米通商航海条約の廃棄を日本に通告しました。翌年にはこれが発効し、軍需資材の入手はますます困難になりました。そのため日本では陸軍を中心に、欧米の植民地である南方に進出し、資源を確保しようという声が強まります。この頃、第二次世界大戦はドイツが快進撃を続けており、イギリスのみが抵抗を続けている状態ですから、この時期をチャンスと考えたのです。

新体制運動

第2次近衛内閣が成立する以前の話です。1940年6月、近衛は枢密院議長を退いて新体制運動を進めます。ドイツのナチ党、イタリアのファシスト党にならって強力な政党をつくり、国民の総力を戦争へと協力させようとする運動でした。立憲政友会・立憲民政党・社会大衆党などの諸政党はこれに同調して解党しました。軍部も近衛の首相就任に期待して、米内内閣を退陣に追い込みました。

新体制運動は第2次近衛内閣のもと、大政翼賛会として結実しますが、当初めざしていたような組織だったのでしょうか?

政党組織という面では一国一党の強力な組織をつくることはできていません。

ただ、国民の総力を結集し戦争協力を進めるという意味では、総理大臣を総裁とした組織の最末端である隣組が戦時業務を担うようになったことから、こちらの面では実現したと言えるでしょう。

ドイツとの提携強化、南方進出がもたらしたもの

第2次近衛内閣は成立前に立てた方針のもと、1939年9月に北部仏印に進駐しました。これには資源確保だけでなく、援蒋ルートを遮断して日中戦争の解決もねらっていました。また、ほぼ同じ時期に日独伊三国同盟を締結しましたが、これは日米の対立を決定的にします。この時期、アメリカは日本に対して航空機用ガソリンやくず鉄などの対日輸出を禁止する経済制裁にでました。

日米衝突の危機が強まるなか、日米交渉が行われるのですが、その話は次回にします。

今日はここまでとします。

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