見出し画像

坂口恭平さんの『継続するコツ』から学んだ、陥りがちな心理と、そこから見えてきた一つの真理。


noteを書きたい!と思ったら、化粧もピアノもそっちのけでパソコンに向かってしまう。
鉄は熱いうちに打て、だ。

ということで、今日、とっておき?でタイムリーなネタを仕入れたので、シェアさせていただきたいと思います。


坂口恭平さんの本の紹介

私は最近、奇跡のコースというものに出会い、どこのオンラインサロン(勉強会)に身を置こうか模索中なのですが、そのうちの一つのサロンに一か月身を置き、今日のテーマを生で聴いていました。

今日のテーマは「中途半端ですぐに疲れて物事が達成できない、継続できない悩み」について。

その中の配信で、坂口恭平さんという方の『継続するコツ』という本の紹介がされていました。

この方は18年で本を40冊ほど書かれているらしく、一日一枚パステル画の絵を描き続けておられるらしい。
そしてそして、全くの個人で「いのちの電話」ならぬ「いのっちの電話」(笑)を受け付けていて、悩んでいる人の相談に乗っているという。

で、この人が言うには継続するコツとしては「内容とか質を求めないこと」と最初に言われていて、もうこの時点で結論、本質ズバリなんですけど。


坂口さんは、

「継続することそのものが自分にとって幸せだから、内容や質を求めていない、だから本も全然売れてる作家でもないし、傑作を書いて賞をもらうというようなこともしたことないし、作家としては2流なんです」

「僕の目的は世界中で読まれるような傑作を一冊書いて成功することではありません。下手だと言われようが何だろうが、とにかく本を書くことが好きだから、死ぬまで本を書き続けることができたら、もうそれだけで、幸せなのです」
と本の中で仰っていると。
最高のものを書こうとすると嫌になると。

で、自分が書きたいものだけを書いて、それが出版社と一致していれば出版するけど、「こういうの書いてください」と言われて書くということはしていないのだという。

「幸せとは、自分が興味のあることを、今も継続できていることである。」
・・・・
そしてどうして継続できないのかの考察が書いてあって、

絵を描き始めて、それができたとき、「絵が一枚誕生することの喜びと驚き」ということを思うのだけど、それがだんだん慣れてきて、一枚生まれることの喜びを段々忘れていく。そうすると、楽しさそのものよりもだんだん「絵の質の向上」を求めてしまうと。(欲が出るって感じですかね)


「大層なものを描きあげなくちゃいけない」と思ってしまう。


「絵を描くという喜びを感じてやっていたはずですが、物事は必ず慣れます。慣れちゃうと、ただひたすら行為に楽しみを感じていたことを忘れます。継続するのが得意な僕もそうです。すぐに忘れちゃうんです。」

「忘れちゃうとどうなるかというと、自分の絵のここがあんまりよくないと思い始めます。慣れると自己否定が始まるんです。」

「行為に夢中になると楽しい、だからもっとやりたいと思うんだけど、ある程度やっていくと慣れて、慣れると周りが見えてきて、自分の絵が大したことないということに氣付きます。比較が始まり、否定が始まります。」

「すると、傑作を書かなくてはいけないと思ってしまいます。」

「たとえ初心者だろうが、慣れていくと必ずそう思います。」

「自分は、傑作が書ける人間だと思ってしまっているのです。恥ずかしいんですが、かならずその状況に陥ります。それこそ才能があると感じた人との作品とを比べ始めてしまう。」

でもこの時はまだ、落ち込んではいない。


「そうするとだんだん、のびのびと手を動かしていたものがだんだん動きが悪くなってきて、失敗をしてはいけないと思うようになる。」

「自由ではなくなり、何を描けばいいか、なんて無駄なことを考えてしまう。そして絵はだんだん不自由なものになり、満足いくものにならない。」

「行為自体に満足していたのに、今度は描き上げた絵を見て落ち込みはじめる。」で、良いものを作らないとという思いが出てきて、喜びがなくなってしまうと。

「楽しんでいません。勘違いしちゃってます。いっぱしの画家なんだから、すごいものを描かなくちゃいけない、みたいな、とても恥ずかしい状態になっているわけです。自分のことを顧みることなく、お調子に乗っているんです。」

「そんなわけで、結果は上手くいかず、落ち込んでしまいます。」

「落ち込むようなほど、やってきたわけじゃないのに、落ち込んでしまいます」・・・・・・

もう、ほんとそれ


配信をを聴きながら、これがもう、そっくりそのまま、私に当てはまっていて、
「もう、最高だよね~これw」と、サロン主催者さんも終始笑いながらの紹介でした。

私の場合はピアノですが、この心理状態は、すごくよく分かります。


そして私が一番刺さったのは、

「落ち込むようなほど、やってきたわけじゃないのに、落ち込んでしまいます」

もう、笑うしかなかった。笑
本当にそうです。逆にホントに「落ち込むほどやってきた人たち」に対して、これほど失礼なことがあるのかという。

そして聴きながら、自分がどれだけこういった思いに苛まれ、悩まされ、そして自分を責め続けてきたのかということ、自分のありのままを認められず「幻想の理想の自分像」を持ち続け、責め続けていたこと、そして今もそういう状態に陥ってしまうことをひしひしと感じながら、聴いておりました。

油断すると、この心の動きは自覚しない限り、やられっぱなしになってしまうということも、感じながら聴いていました。

でもどうしても、理想を目指して頑張ってしまうし、目指したい、技術を習得したい、手に入れたいと思うし、それがいいことだと思っている。
(できなかったことができるのはやっぱり嬉しい)

でも出来なければ自分には価値がないと思ってしまうし、
できなくて比較が生まれてめちゃくちゃ悩んでしまうし、自己嫌悪に陥るし、、という
悩みやストレスもまた、生まれる。
で、一旦できて当たり前という状態になると、できなかった時にものすごく苦しくなると。


この心の動き・・そうです、この配信での核になる部分は、「自我の力動」という部分です。
自我、エゴの心の動きをものすごく観察して書かれている本として良書だということで紹介されてたんです。

テーマこそ「継続するコツ」ですが、注目していただきたいのは、こういった活動の中で自我(エゴ)意識がどのように働くのか、というところ。

そして人間はみんな同じエゴを持っているので、これは私の感じたことでもあり、ということは他の人にも共通する心の動きなのであろう、ということは想像に難くありませんでした。

(でも、その自我(エゴ)は本当のあなたではありません、というところに繋がっていくんですが、そこを書くと話が逸れてしまうので・・・)

坂口さんの続きです。

「・・そしてこの、傑作=正しいものという思考になって、その形を追いかけるようになって、窮屈な制作になってしまう。」

そして、嫌になったらすべてをやめろとも書いてあると。

(でも確かに、練習なんかで行き詰ったらいったんやめるのがいいと私も思います。でもここでやめない、やめられない、というのが自我の力動・・)


理想の在り方?

私がこの配信で思ったのは、「100%、坂口さんのような在り方でいるのは無理だ」という氣持ち。どうしても、成果、上達、評価、等々を求めてしまいます。というか私は求めたい。

でも一方で「純粋に好きだから、ただやりたいから続けてる」というのも、ものすごく共感します。

そして、ベースにあるのはやっぱりこの「好き」という氣持ちそのもの。

でもこれが坂口さんのような生き方こそが「正しい」、坂口さんのように「あるべき」になってしまうと、またヘンな方向に行ってしまう。

だから私としては、そのどちらも携えながら、「健全なかたちで」ピアノに対する向上心を持ち続けたいなと思いました。

そして坂口さんのような生き方は「無為自然」ってことなのでしょうね。
「ただ、それをしている」ということだけでいいっていう。これでいいっていう。そしてご本人もそこを大切にされているのではと思いました。
(でも無為自然に「なろう」としてしまうとそれはもう無為自然でなくなる💦)

「・・・僕の場合、傑作は人にまかせて、一流の人にまかせて、僕はただひたすら周りに評価を求めずに、自分でいかに評価をし、楽しく死ぬまで継続するか、ということだけに力を注いでいます。」

「緊張感とか、人と競争するということで伸びる部分もあると思うんですが、そこは全く伸びないんです。でもそれでいいんだと思ってやってます。」・・・・・・

忘れかけていたものを思い出させてくれる。やっぱ、いいなあ。

私がほんのり思っていた「理想の在り方」というものを言ってくれたような感じもあり。
・・・いや、「理想の在り方」なんていう大義名分も本当はいらなくて、ただ原点に返る、子供の頃の、無邪氣な自分、本来の自分そのものでいいんですよね・・・

そんなこんなで、私が思ったのは。


「本当は、悩まなくていいことで、悩んでいる」という、一つの真理なのではないかと思いました。
そして私がこの記事で一番伝えたいことはこれだと思いました。

自我(エゴ)は悩ませるの大好き、思考、ジャッジ大好き。
この自我の力動=ニセの自分。ニセの自分が、悩ませている。


そして、何よりも、深刻にさせるのが自我(エゴ)なのだと。
・・・こういうエゴを見極めて本当の自分に目覚めていきましょうというのが奇跡のコースなんですが、それは置いといて、これで記事がまとまりました。ふう。

・・・・・・・

ちなみに・・・
坂口さんって勝手におじさんを想像していたら、すごく若い人でした(笑)

(人の悩み相談されているのだからきっと人生経験が豊富なのだろうという思いから)

坂口さんはnoteも書いていらっしゃるので、よろしければそちらもご覧になるのもいいかと思います。


P・S 「いのっちの電話」って聞いただけで深刻さが抜けてる感じがして、結局こういう在り方が悩む人の心を軽くしたり解消したりするんだろうなと思いました。電話を受け付けているときでも、質を求めておらず、相談者の話を聞きながら本を書いたり絵を描いたりしているらしい・・(笑)
相談する人も何を悩んでたんだろうって氣になりそうだなって感じで、そしてこういうところにしか本当の救いはないんだろうな。。
(確かに「いのちの電話」と「いのっちの電話」、明らかに前者は深刻な感じですよね(^^;)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?