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創作文芸

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#エッセイ

ひとり

ひとり

ときどき、無性にひとりになりたいときがある。

特になにをするわけでもなく、濁ったり、透明になったり、世界から切り離された自分を、時間をかけて見つめたい。
よごれた河川に落ちたペットボトルの空き容器のように揺蕩いながら、めぐる思考に流れ流されていたい。
砂浜に流れ着いたとびきりの貝殻を探すように、忙しない日々にまぎれてしまった特別を探したい。

体にぴたりと合ったソファに寝そべりながら、自分に問う

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から揚げ日和

から揚げ日和

すっかりと錆びついてしまった揚げ鍋に油を注ぎ、衣にくぐらせた鶏肉を次々と放っていく。
ほんのりと色づいたら引きあげて、すかさず火を強める。
温度を上げて、もう一度油の中へ。
ジュワっと激しく泡立って、熱をまとった小さな飛沫が跳ねた。

「熱っ……」

指先にぽつぽつと飛び散った油が皮膚を焼く。じりじりと、熱を持つ。

――あ、もうきつね色。

急いで引きあげないと、焦げてしまう。
揚げ物は、時間と

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由緒正しき、喫茶店に寄せて

由緒正しき、喫茶店に寄せて

その喫茶店は、たしか神保町の商店街を一本入ったところにあった。
たしか、というのは、通っていたのがもう何年も前のことで、店名はおろか、店の位置が合っているかどうかさえ疑わしいからだ。

急な階段を下って地下へ。重い扉をひらくと、何年も染みついた古い煙草の臭いが飛び込んでくる。
なんとなく、いつも麻雀ゲーム機のテーブルに座る。
ゲームとして稼働していたことがあったのだろうか、なんてぼんやり考えながら

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焦燥のその先に

焦燥のその先に

ときどき、おそろしいほどの焦燥を感じることがある。
焦燥という言葉は、よくできていると思う。焦り。燥の字は、落ち着かないさまを表す漢字だ。こころがチリチリと焦げていく。

はげしい焦燥を感じたとき、とっさに「なにかをしなくては」と思う。
けれど、「なにか」がわからなくて、こころはますます焦りを増す。焦げていく。

そもそも感じる焦燥の多くは、焦って動いたところで解決しがたいものばかりであったりする

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きっともう、夏は近い。

きっともう、夏は近い。

背に受ける陽射しに背中がぽかぽかと温まりはじめるころ、わたしは決まって日傘をひっぱり出すことにしている。
褪せた桃色の布に、小さなレースがあしらわれた安物の日傘。
特に気に入っているわけでもないが、何年か前にふらりと入った雑貨店で手に取ってから、幾度かの夏を共に過ごしている。

雨傘よりも軽い〝バッ〟という小気味よい音を立てて、日傘をひらく。それから手元を両手で握って、ゆるゆると歩む。なぜだかここ

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