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創作文芸

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#ショートストーリー

極彩色の夜に

極彩色の夜に

時刻は午前二時。
向かいに座る男の胸には、いかにも重厚そうな黒いカセットデッキが鎮座している。
男がゆっくりと話しはじめると、それはキュルキュルと音を立て、男の声に沿うようにしてやわらかな旋律を奏ではじめた。

「やさしい音ですね」

「珍しいでしょう。こころに音があるなんて」

人のこころには、それぞれにきまった色やかたちがある。
生まれたばかりのころはまっさらだった胸元のキャンバスに、さまざま

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きっともう、夏は近い。

きっともう、夏は近い。

背に受ける陽射しに背中がぽかぽかと温まりはじめるころ、わたしは決まって日傘をひっぱり出すことにしている。
褪せた桃色の布に、小さなレースがあしらわれた安物の日傘。
特に気に入っているわけでもないが、何年か前にふらりと入った雑貨店で手に取ってから、幾度かの夏を共に過ごしている。

雨傘よりも軽い〝バッ〟という小気味よい音を立てて、日傘をひらく。それから手元を両手で握って、ゆるゆると歩む。なぜだかここ

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春日追想

春日追想

きのうから、くしゃみがとまらない。
ぬぐってもぬぐっても、湧き出るようにあふれてくる鼻水。いったい僕のからだのどこでこんなに作られているというのだろう。
ティッシュをくしゃくしゃと丸めて、鼻を拭っては捨て、拭っては捨て。
鼻先はすっかりさかむけて、まるで日焼けをしたあとみたいにヒリヒリとささくれていた。

「涙と鼻水って、同じ成分でできているんだって」

彼女がそうつぶやいたのは、たしかロンドンで

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