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創作文芸

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#恋

四倍速のしあわせを

四倍速のしあわせを

夕飯はなにがいいかと尋ねたら、シチューがいいなと返ってきた。彼のいうシチューは具がごろごろと入ったホワイトシチューで、大きなボウルにたっぷりとよそって、それだけを黙々と何杯も食べる。
「ごはんとか、パンとか、いらないの」と聞くと、「だって、シチューって小麦粉だし」と彼はいう。変わらない答えに胸がちくちくと痛んだ。

彼とは、かつて住んでいた部屋のすぐそばのコンビニエンスストアで知り合った。再会した

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きみの嫌いなもの

きみの嫌いなもの

カサカサと紙袋を開いて、紙のカップに入ったコーラを取り出す。時間が経ってしまったからだろう、紙カップは少しふやけてやわらかくなっている。ストローを挿して、氷が溶けて薄まってしまったコーラをひと息で飲み干し、ため息をついた。

ハンバーガーを買ったのは、久しぶりだった。

「ああいうファストフードって、嫌いなんだよね」

深夜、煌々と光るハンバーガーショップのネオンライトを見て、運転をしていた彼がつ

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ひとり

ひとり

ときどき、無性にひとりになりたいときがある。

特になにをするわけでもなく、濁ったり、透明になったり、世界から切り離された自分を、時間をかけて見つめたい。
よごれた河川に落ちたペットボトルの空き容器のように揺蕩いながら、めぐる思考に流れ流されていたい。
砂浜に流れ着いたとびきりの貝殻を探すように、忙しない日々にまぎれてしまった特別を探したい。

体にぴたりと合ったソファに寝そべりながら、自分に問う

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きっともう、夏は近い。

きっともう、夏は近い。

背に受ける陽射しに背中がぽかぽかと温まりはじめるころ、わたしは決まって日傘をひっぱり出すことにしている。
褪せた桃色の布に、小さなレースがあしらわれた安物の日傘。
特に気に入っているわけでもないが、何年か前にふらりと入った雑貨店で手に取ってから、幾度かの夏を共に過ごしている。

雨傘よりも軽い〝バッ〟という小気味よい音を立てて、日傘をひらく。それから手元を両手で握って、ゆるゆると歩む。なぜだかここ

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会いたいといったらきっと困らせるから
わたしは口をつぐんだまま
鳴らない電話を握りしめています


素敵なタグに勝手にのっかり。お邪魔しました。

できれば咲き誇る花のせいにして

できれば咲き誇る花のせいにして

春は、惑いやすい。

ここのところ、望みのない恋をしている。
「望みのない」は、「叶わない」では、なくって。
「特にこれといって望むことのない」が、正解で。
でもきっと「叶わない」も「敵わない」も、正解で。

望みない、望まない、望めない。

いつかきっと、強く惹かれてしまうから、桜の花びらの落ちる速度ではらはらと視線を落として、男の人にしては丸っこい肩をなぞるようにして目をそらす。
そうして散ら

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