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選び取ったものを、愛するように。

約3年前、自分の人生を振り返るnoteを書いた。

当時は就活の最中で、自己分析をしながら迷い・考えていたモヤモヤ期だ。

それでも自分なりに悩んだ末に「学校の先生」になると答えを出して、2年間、香川で小学校の先生をしていた。

今回のnoteは、そんな僕が先生としての2年間と今年東京のベンチャーで働いた約1年間を振り返るためのnoteだ。

この3年間、本当に色々なことがあった。色々すぎて、書くことでわかりやすくなるのが嫌で、書くのをためらっていた。

でも、年の節目に、今年を振り返る日記が僕のタイムラインに流れ込んできてなんだか素敵だなと思った。僕にもこんな日記が書けるだろうか。

そうだ、誰かに届けるというよりも、3年前の自分へのアンサーnoteを書いてみよう。気楽に、僕らしく書いていこう。

拝啓、3年前の自分へ。今も僕は元気です。あなたが選んだあの選択はきっと間違っていなかったよ。

では、カップラーメンを待っているその10分間、僕に時間をいただけたら嬉しいです。ぜひ最後までご覧ください。

選択。先生一年目。

ここ3年間を振り返る中で、この時期が一番振り返るのに、勇気がいる。

というのも、3年間で一番心が苦しかった時期であり、書けないことも多くある時期だからだ。

前提、僕は先生になったことを後悔していない。担任をもった子どもたちには淀みなく全力で向き合ったし、悩み・葛藤はありながらも、その都度、自分なりの本当を出し切ったと思う。

でも、僕で良かったのか。この不安はずっとあった。

出し切ったとて、実力不足であることは自分でもわかっていた。だから、この時期を振り返ることは自分でもこわい。まだ、意味付けもできていない。

書きながら、振り返りながら、社会人一年目を振り返っていこうと思う。

孤独とは、

人の可能性をとことん信じられる人でありたい。

そう意気込んで、学校の先生という職業をファーストキャリアに選んだ。

それまでベンチャーでのインターンやnoteでの発信、就活なども経験して、自分でもなんとかやれるだろうと、思っていた。

それがおごりだったと気づくには、そんなに時間もかからない。

職員会議の飛び交う言葉はわからないし、わからないことをわからないと言えない。自分の指導の先生も始業式と同時に休んでしまった。

そして、自信があるように見えたのか、頑固者だと見えたのか、僕自身は職場の中で浮いていた。発信をしている、偉そうなやつ。これが僕の第一印象だったと思う。

だから、僕は孤独を感じていた。

孤独とは、外部から認識される孤独と、自分の内面の中にある孤独があると思う。

経済的にも、家庭環境的にも、恵まれていないわけではない。
でも、僕の居場所はない。そんな感覚だった。

いまも一緒にいるパートナーは、当時、遠距離恋愛をしており、ほぼ毎日電話をかけていた。そのパートナーと当時のことを振り返ると、以下のように話していた。

本当に死ぬんじゃないかと思っていた。

電話先で泣くこともあれば、叫ぶこともある。それでも朝日はのぼるので、仮面を被って、外に出かける。自分の弱さを見せないように。僕は先生なのだから子どもたちの前では笑顔でいないと。

そんな日々を過ごしていると、さすがに心にくる。正直、心が落ち着く薬を飲むこともあった。

外に出る。声に出す。大丈夫だと言われる。

そんな僕を救ってくれたのは、やっぱり人だった。

なんとか一学期を乗り越えて、夏休みに突入。時間ができたので、久しぶりに色々な人に会いに行こうと思った。

会いに行くといっても「はじめまして」をしに行くわけではない。今まで出会った人たちと「出会い直す」機会にしようと思った。

今の僕の現状。つらいこと。外に出たいこと。つらつらと話しながら、自分でも考えがまとまっていない感情をただただ吐き出したかった。

パートナーはもちろん、今働いている団体の代表、尊敬している方々、様々な方に現状を話した。

すると、みなさん自分のことのように聞いてくれた。

アドバイスをするわけではなく、聞いてくれて「大丈夫。いつでもこっちおいで。」と言ってくれる。

ああ、僕は大丈夫なんだ、と思った。

そして、人を変えるのはむずかしい。組織や制度、文化を変えるのはもっとむずかしい。でも、自分は変えられる。

自分の非力さを嘆くより、自分から変わる勇気をもつ。

本当に勇気がいることだけど、今の現状が嫌なら、一歩踏み出すしかない。そう思って、夏休み明けに一歩踏み出すことを決めた。

ごめんなさい。

まずするべきだと思ったのは、謝ること。

今までのこと、態度のこと、僕のなにがわるかったのか、それは今でも正直わからないけれど、僕はあなた方と仲良くしたい。敵じゃない。味方なのだと認識してほしい。

その一心で「ごめんなさい」を伝えた。

これはだれがわるいとか、そういう問題ではない。いろんなことが重なったエラーだと思っている。人のせいにしたくないから、自分の責任にした。すると一気に心が軽くなったのだ。

それからというもの、子どものことに集中できるようになった。まだまだだけど、精一杯向き合う。1年間担任になったからには、あなたたちのことを愛し続けると決めた。自分との約束を守っていく。

正直がむしゃらすぎて、上手くいかないことばかりだったけど、その上手くいかなさも子どもたちと一緒に楽しんだ。

まだまだだけど、あなたたちとだから先生は乗り越えられました。

いつか、一緒にお酒を飲めるようになったら、直接感謝を伝えさせてください。

パートナーからもらった賞状。
一年目の最後に「よく頑張ったね」の
意味も込めていただきました。

二年目。ひとりではない。

一年経つと、二年目になる。二年目になると、ある程度仕事の内容がわかるから仕事が楽になる。

というわけでは、なかった。

でも、確実に一年目のときよりやりやすい。

なぜなら「助けて」を言えるようになったからだ。

同僚の先生方や沢山の人の支えのおかげで、今の自分の仕事がある。
そう思えるようになった。

ひとりではない。その感覚がどれだけ僕の心を救ってくれたか。

そして、心から尊敬できる先生方に出会った。

ある先生は職場での雰囲気を一瞬で笑いに変える。ある先生は子どもを真ん中においた学級経営をして、子どもが学校にくることを楽しみにしている。

そんな風景を、僕は直接見ることができた。

おそらく学校教育の記事にはならないだろうけど、現場を支えている。そんな魅力的な人たちがそこにはいる。

思えば、僕自身も高校の時の先生にかけられた言葉を大切にお守りとしてもっている。

「瑛くんなら大丈夫」

その言葉がどれだけ僕の心を励ましただろう。

だから、僕も二年目、そんな先生でありたいと思った。
怒る、叱るではない、フィードバック。

伝わると信じて、一年間やることを決めた。

先生は研究者。

一年目の後半から、ある先生方が集まる夜会に出席していた。出席といっても、毎週金曜日にゆるく各々の現状や興味があることについて、語り合う。

とても特殊な場所。モヤモヤを共有し合える場所。何歳になっても、何年目になってもモヤモヤしている。むしろ、モヤモヤが美しいとさえ思った。

そこで、僕はとある金言に出会った。元校長先生からもらった一言。

森本くん、今悩んでいることもあるやろう。でも、先生は研究職やで。学級経営でも良い、授業でも、手法でも良い。なにかに興味をもってごらん。その興味が情熱となって、あなたが教育に関わる意味になるから。一気に仕事がおもしろくなるで。

ぶわっと、感情が高鳴った。

そうだ、僕はいま先生をしているけど、子どもたちのことで頭がいっぱいで、楽しむということをできていない。もちろん、一緒に遊ぶ時間は楽しいけど、それだけが教職の魅力ではない。

だからまずは基本にかえって「学習指導要領」に手を付けた。

学習指導要領とは、文科省が定めているそれぞれの教科等の目標や大まかな教育内容を書いてある冊子のことだ。

運が良いことに、大学時代に出会った素晴らしい先生経験者の方がいるから気になったことを相談できる。その方たちの意見を参考にして、僕なりに熱中できるものを探そうと思った。

対話から始める。

様々な人の意見を吸収していく中で、考え方が「美しいな」と思う方々に出会った。その方々にはとある共有点がある。

それは特別支援教育の視点があることだ。

誰ひとり取り残さない、と言ったら聞こえは良いけど、実際に学校現場でやるとなったら、相当な環境設計が必要になる。そう、環境が大切なのだ。

人一人で行うには限界があり、どうやったら学びに全員が向かえる姿勢をつくれるのか。その一つの答えが、特別支援教育にあると僕は思った。

その中でも特に参考にしたのが「古内しんごさん
しんごさんの「愛す」と決めた後の姿勢が素晴らしい。

確かに、なにかに興味をもつと、一気に仕事がおもしろくなる。

教育の業界では、よく探求という言葉を耳にするが、先生も探求することが大切なのかもしれない。いや、先生だけじゃなくて、様々な大人にも当てはあるだろう。

特に僕が興味をもったのは、対話だ。

学校教育の良さはなんだろうと考えていくと”地域が近い同年代の集まり”というクラスの特性を活かす学びができることだと考えた。

生まれた環境がちがうもの同士がどうしたら対話的な学びを形成できるのか、自分なりに深めていきたい。それが僕の二年目のテーマだった。

なにかしたいと思う同世代

もう一つ、二年目になって新たに始めたことがある。

それは「なにかしたい」と思っている香川の同世代の人たちが不定期に集まり、未来について語る会を開催することだ。

僕も含めて、共通点は「モヤモヤ」していること。何にでも良い、未来かもしれないし、キャリアについてかもしれない。何にモヤモヤしているかはわからないけど、なんか来ました、でも良い。

「なんかしたいね」から入って、自分たちにはなにができるのか、どんな未来を思い描きたいのか、を一年間語り合った。語り合うだけじゃなくて、色々な人にも会いに行った。

ただ、この会については反省ばかり。自分にも余裕がないから、人の悩みも聞くことしかできない。一歩押し出す解決策を生み出せるわけでもない。

自分にもっと力があったら。こういう時、そう思ってしまう。

でも、僕にとって、モヤモヤを語り合ったあの時間はとても必要だったと思う。いつか、地元にも貢献できる人間でありたい。

芽生えてきた課題意識

小さい範囲かもしれないけれど、僕なりの範囲で活動してきてきた中で、だんだんと芽生えてきた課題意識がある。それは以下の2つだ。

・地方の選択格差
・先生に余白を

地方の選択格差〜挑戦しやすい環境づくり〜

なぜ小見出しを「挑戦しやすい環境づくり」にしたかというと、

様々な地域を訪れ、身の回りにどんな大人や同世代がいたかで、挑戦のハードルが全然ちがうことを目の当たりにしたからだ。

僕自身、こんな環境があったら嬉しかったと思うことが、当たり前のように日常に存在した人たちがいる。

全員が挑戦すべき、とは思わない。思わない中で、選択をしたい人が諦めてしまうのはもったいない。

二年前のメモ書きを発見したので、当時のメモをそのまま引用したい。

若者が挑戦しやすい環境づくり、一歩踏み出しやすい環境づくりをするためには、以下の格差と向き合う必要があるではないか。

①情報格差:進路や職業、選択肢、身の回りにいる人。
②機会格差:自由の範囲、ワークショップ、自分を知る機会、イベント、フェス、本屋、人に出会う。
③意識格差:近くに一歩を踏み出している人がいる、ロールモデルの不足、憧れ、進路や仕事は選び直せる、自分の意見を突き通す、自分の可能性を信じる。

このメモ書きの解像度は低いと思う。でも当時の気持ちは大事にしたい。

特に、自分のことを信じてくれる大人との出会いは本当に人生のお守りになる。そう信じている。

先生に余裕を、それは本当の気持ち。

僕が先生になってつよく感じていること。それは「先生の精神的な安定」が子どもたちに影響を及ぼすということ。

これは自分への戒めを込めて、そう考えている。

こちらも二年前のメモ書きがあったので、引用したい。

「先生に余裕を」
僕は実体験を通して、本当に”余裕”が大切なのだと知った。たしかに、子どもたち(学習者)のための教育なので、いろんな教育が増えるのは良いことなのかもしれない。

ただ、学習環境が及ぼす影響はとてもあって、その環境には身の回りの大人が「人の可能性を信じている」かどうかも当てはまると思う。

だから、先生が自分に絶望するような環境があってはならないように、先生が自分自身に可能性を感じて、その可能性を子どもたちに伝播するような学習環境が、今までもこれからも求められるようになる。

二年前のつよい意思を感じるメモ書きだ。

特にここで伝えたいのは、「先生が自分自身に可能性を感じて」のところ。子どもたちの身の回りにいる大人が自分の可能性を信じることで、目の前の人に可能性を信じた声かけをする余裕が生まれる。

それは自己肯定感とは少し違うかもしれない。自分のことを信じてみる、という決意にも近い。

外に出てみよう。

そんなこんなでとにかく悶々としていた。今の自分のできる範囲と芽生えた課題意識の大きさ。

だから、とにかく本屋に出かけていた。

惹かれたタイトルの本を手に取り、家に帰って大切に温めて読む。少しずつ、日々の楽しみにしながら心に旅をさせる。

本屋に行けば、自分が悩んでいることの答えがあると信じて本屋に行っていた。だから本屋での自分は、いい意味で一人だった。

もちろん、本屋でも勇気をもらえた。でもいつの間にか、行動しない言い訳を探している自分がいることに気が付いた。

自分で気が付いたのではない、人に言われてムカッとしてしまったのだ。ムカッとした時、どうしてここまで感情を動かされたのかを考えた。

でもそれは、僕も心のどこかで大事なことから逃げているのではないかと思っているからなのだ。本当の気持ち、使命感、色々な感情が入り混じった感情ともう一度向き合ってみる。

だから、もう一度、人に会いに行った。

会いに行ったのは、ハッシャダイソーシャルの勝山恵一さん。今、僕が働いている一般社団法人の代表理事の方。

勝山さんとの出会いは2020年、僕が大学4年生の時に参加した京都での座談会がきっかけである。(出会いの詳しい経緯は下記のnoteに記しているので、もし良ければ見てください)

こんなかっこいい大人になりたいとつよく思ったら、いつの間にか飛び込んでいた。そんな感覚だ。

あれから2年。僕の「これから」を素直に話した。

先生を辞めようと思っていること、学校の外に出て先生を応援したいと思っていること、様々な地域に旅に出て教育放浪記を書こうと思っていること。どれもあまり勇気が出ないこと。

すると、勝山さんからこんな言葉が帰ってきた。

瑛、伝えてくれてありがとう。おそらく今の瑛にはかっこいい大人との出会いが大切やな。俺は『ChooseYourLife!』というメッセージをもっと広げていきたい、社会に届けていきたいと思ってる。そのために瑛の力が必要やから、一緒にやらんか。

「あなたが必要だ」とまっすぐ言ってくれる勝山さんに、僕は心からついていきたいと思った。自分の夢もある。ハッシャダイソーシャルとしての夢もある。そのどちらもハッシャダイソーシャルなら、実現できる。

そんな確信を抱いた僕は、香川県の小学校の先生を辞める決意をした。そして、ハッシャダイソーシャルの一員として、東京に出ることを決めた。

やりきったではなく、模索中。

桜の前で撮った母の写真

先生を辞める決断をした僕は、周りの人に報告をした。そこで否定をする人はほぼいない。みなさん、応援して送り出してくれる。(それでも引き留めようとしてくれる方々の声がとてもあたたかくて、心からあの職場で働けて良かったと思っています)

そして、僕自身も辞めるからと言って手を抜く訳では無い。最後までやり切る。だから、この2年間はほとんど発信や他の活動を自粛していた。

それでも100%前向きな転職かと言われれば、正直そうではない。まだまだ先生としてできていないことばかりだ。だからいつかリベンジしたい。もう一回あの場に立ってみたいと思うその日まで、思いっきり外で飛んでみたい。

たくさん授業をした2年間
「先生」と呼ばれた2年間
悔しかった2年間
できなかった2年間
与えたものよりもらったものが多い2年間
ちょっぴりつよく、やさしくなった2年間
一緒に育った2年間
励まし合える仲間ができた2年間
お世話になった2年間

ここで経験した2年間は僕にとって、行動する大切な糧となります。
心からの感謝を込めて。

森本の1年前からのメモ書きより引用。

2年前の自分より、少しは人間として成長できたと思う。ここからは、森本瑛として第二章に突入する。

”できなさ”と向き合う。

ハッシャダイソーシャルとして、働き始めた2023年4月。最初から東京で働き始めるのではなく、香川でのリモートからスタートした。

そして、働き始めてびっくりした。「自分はこんなこともできないのか」の連続だったのだ。

まずはメール。どんなメール文章を送ったら良いのかわからない。そして、タスク管理。自分がどんなことをするのかの管理がうまくいかない。

その結果、そんなに仕事をもっていないのにキャパオーバー。チームメンバーに多大なる心配をかけたと思う。正直、僕自身もどうしたら良いのかわからなかった。だから、自分を責めた。

すると、森本のhelpを察知したのか、代表2人から電話が。

その電話では、あたたかい、今も大切にしたいメッセージをいただいた。

自分たちもその「できなさ」を通ってきたこと、瑛の課題だけではなくシステム上の課題でもあるから「迷惑をかけました」という言葉を使ってほしくないこと。

少しずつ、このチームのために成長していきたい。

支えてくれるたかみーくん(先輩)の存在などもありながら、一歩ずつ、自分のできなさと向き合っていった。


自分の”役割”と出会う。

そんな出来なさと向き合った「4月・5月」。そこから僕は少しずつできることを増やしていった。

伝えること、つなぐこと。

まずは、伝えていくこと。僕が求められていた役割のうちの一つに広報活動がある。

ハッシャダイソーシャルには「何を行っているのかがいまいち伝わっていない」という課題があった。だから、毎月書く活動報告を大切にしたい。その想いで活動報告noteを担当することになった。

毎月7000字ほどの文章で、書く。目指すはメルマガと手紙のちょうど間くらい。感謝の気持ちとまえがきとあとがきを添えて、森本目線で文章を届けている。

おかげさまで少しずつハッシャダイソーシャルの活動に興味をもっていた人たちが、活動内容にまでリーチするようになった。それでも、まだまだ。新たな活動報告の形として、広まってくれると嬉しいと思う。


熱い先生方、かっこいい大人との出会い。

ハッシャダイソーシャルで関わった9ヶ月間、本当にかっこいい大人たちに出会った。前向きな言葉を使いながら、未来に対して希望をもってアクションを起こしている。

自然と自分自身も前向きな言葉を使うようになる。そして、その元気や勇気を次の世代にわたす。

かっこいい大人たちの背中を見ながら、スポンジのようにぐんぐんと飲み込んでいく。初めは真似ごとでも、経験とともにだんだんとオリジナルになっていく。

そして、熱い先生方との出会いも人生に大きく影響を与えた。

日本各地でChooseYourLife!している先生方、何かハッシャダイソーシャルと熱いことをやっていきたいと語ってくれる先生との、”若者”を真ん中においた教育談義が心から楽しかった。

これからも、熱い先生方とより良い化学反応を起こしながら、若者も大人もChooseYourLife!していける未来に向けて行動を起こしていく。

それがハッシャダイソーシャルでの僕の役割の一つだ。

”わからなさ”と付き合う。

この2023年を振り返るにあたって、ずっと胸に抱いている不安感がある。その不安感を言葉にするのであれば”わからなさ”と表現しよう。

ハッシャダイソーシャルで活動していると、たくさんの「はじめまして」に出会う。はじめての仕事、はじめての環境、はじめての場所、はじめての機会。

どれも上手くいくか誰にも分からないから、精一杯やる。
それしかできない。とりあえず、やってみる。

だから、いつも”わからなさ”が付きまとう。最初はこの”わからなさ”が怖かった。不透明、先を予測しづらい恐怖。

でも、ハッシャダイソーシャルのチームメンバーはそれを楽しんでいるのだ。わからないけど、やってみよう。

自分自身を信じてみよう。

環境ってのはおそろしいもんで、周りにそういう人が増えていくと、僕自身もとりあえず自分自身を信じてみよう、と思うようになる。

だからやるだけのことは、精一杯やるのだ。

他にもハッシャダイソーシャルのかっこいいところはあるので、またどこかでまとめていきたい。僕なりの視点で、僕の言葉で伝えてみたい。


これからのこと。

ここまでは、2023年12月までのことを振り返ってきた。ここからは、未来の自分に向けて書きなぐっていこうと思う。未来への決意も込めて。

つなぐ。

12月末、とあるイベントで「教育に関わる理由」と「これからの教育との関わり方」を考えるワークに参加した。

そこで、僕自身が出したキーワードが「つなぐ」。

直感で書いた言葉だったが、よくよく考えると大切なキーワードになりそうだったので、何と繋ぎたいのか掘り下げていく。

社会のおもしろさとつなぐ。

年を重ねるほど思うのだが、社会って結構おもしろい。

学ぶことや話を聞くこと、経験すること、一歩踏み出してみることを通じて「社会っておもしろそう」という感覚をもってほしい。

もちろん、それだけじゃないけれど「明日に希望を持てる」ってとんでもなくすばらしいことだと思うから、そう思えるきっかけをどんどんつくっていきたい。


”大丈夫”とつなぐ。

活動をやっていて思うこと。それは”わたしは大丈夫”という感覚をもつことの大切さだ。

人生を生きていると必ずと言っていいほど”浮き沈み”を体験する。人生が急上昇のときもあれば、停滞、そして下降してしまう時もある。それらのあらゆる時に”大丈夫だ”って思える体験は自分を救ってくれる。

僕にとって、そう思えるきっかけは”人との出会い”であり、”映画のセリフ”であり、”音楽の歌詞”であり、”ChooseYourLife!”という言葉でもある。

自分は大丈夫だ。だからあなたも大丈夫。

そう思える機会とつなぐ。


相談することがあなたの選択肢に。

3年前、facebookでこんな投稿をした。

ハッシャダイソーシャルのミッションは「Choose Your Life」です。

自分の人生を自分で選ぶことができるような社会の実現に向けて、様々な”選べなさ”に向き合い、社会の構造を善くしています。

そして、僕は思いました。

僕がつくりたい社会は「Choose Your Life with me」なんじゃないかと。

自分の人生を自分で選ぶことはとても大事だと思うのと同時に、自分の人生を自分で選ぶことはとっても孤独であり、難しいことでもあります。実際に僕もたくさん悩んでいますし、僕の周りで自分の人生を生きているように見える人も、憧れているあの人たちも、毎日たくさん悩んでいることに気がつきました。

だからこそ、これから未来を、社会を、担っていく同世代や子どもたちには、一人で生きていく“つよさ”も大切だけど、周りを頼る“やさしさ”や人生を楽しむ“おもしろさ”も持ってほしい。

そして、助け合える社会をつくっていきたい。本気でそう思っています。

人にうまく頼れる人になりたい。

人に頼るむずかしさを僕は知っている。人に頼るって勇気がいるし、声をかけて良いのか、忙しいんじゃないか、そんな不安がよぎると「助けて!」の声がどんどん細くなっていく。

だから僕も2024年は、人にうまく頼ることを目標にしたい。

僕だけじゃない、チームだから。一緒に歩んでくれる人達がいるから。もっと頼ろう。一緒に頼り合おう。

頼られるのって、意外と嬉しい。

そして、頼られるのって意外と嬉しい。意外とというか、素直にとても嬉しい。

ついつい「やってみます!」と言いがちだけど、それくらい、あなたのためになりたいと思っている。

だから、いつでも頼ってほしい。もちろん僕のできる範囲だけど、何にもできないわけじゃない。玉置浩二さんの歌詞で好きな一節がある。

こんな僕でもやれることがある

玉置浩二「MR.LONELY」から引用

相談することがあなたの選択肢になるように、僕もこれからめいいっぱい頑張っていきたいと思います。

最後まで読んでくれたあなたへ。

ここまで読んでくれたあなたへ。まず、ありがとう。実はこのnote、1万字越しているんですって。あなたの読む力は本当に素晴らしいと思います!

だから、そんなあなたにもう一つだけ伝えたい。
それは「熱は伝染する」ということ。

僕自身、先生をしていた時、何回も自分の言葉に励まされた。過去に自分が書いた言葉を一番読んだのは、おそらく自分自身だと思う。

僕はまだまだ経験は少ないし、何かを成し遂げた人間ではない。それはこのnoteを読んだあなた自身が感じているところだろう。

でも、熱意はある。

教育を通して「自分の可能性を信じられる人を増やす」。
そのために、まず自分の可能性を信じてみる。

今年のM1初戦の様子

これからも、僕自身の可能性を最大限信じてみる。

だから、このnoteを読んだあなたにも伝えたい。

僕は僕の人生しか生きられない。
あなたはあなたの人生しか生きられない。

その中で、僕とあなたが手を取ることはできる。

一緒に明るい未来へ踊ることはできる。どうせ生きるなら、僕の人生もあなたの人生も思いっきり、楽しく生きていけるはずだ、と決めきる。

これからどこかで出会うかもしれないあなたへ。

何かを選ぶことは勇気がいるし、ついつい周りに正解を求めてしまう。でもきっと、あなたが選択した一つ一つが、あなたを後押しする時が来るから。

僕とあなたの選択の先に、どこかでお会いできることを心より楽しみにしています。

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

謝辞

このnoteを書くにあたって、自分の人生を信じるきっかけをいただいたすべたの方へ感謝の気持ちを送りたいです。

本当にありがとうございます。
2024年度もどうぞよろしくお願いいたします!

追記.

年始早々、心がとても締めつけられるようなニュースが流れています。
僕ができることは微力だと思いますが、少しずつ、踏み出せる人でありたいと思います。心から祈りを込めて。

参考にしたい資料


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