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“自分らしさ”という言葉が、ちょっと好きでちょっと嫌いで。


はじめに言っておくが
僕にはこれといった「個性」がない。


いわゆる“普通”という部類のやつだ。


これは悲観的でもなく
ただそう思う。


「noteのフォロワーが1000人??」


そんなの個性しかないじゃないか?
と思う。


ただそれは半分正解で半分間違い。


これは僕が人の真似をし続けた結果で
自分の元からあった才能などではない。


でも、今君は僕のことを個性があると
思っただろうか?


それは半分間違いで、半分正解なのだ。


では、個性ってどうやって生まれるのだろうか?


僕の仮説はこうだ。


人は誰かの真似をし続けることによって
その人や考え方と自分との
ちょっとした“差異”が
生まれ、
その差異が個性となって
他人に認識される。

なんのことかわからないかもしれないが
具体的に説明しよう。


僕は野球をやっていた。

父親が野球をやっていた影響から
野球を始めたのだが、
父親は野球のコーチもやっていて
僕に野球のスイングはこうだ!と
真似をしてみろと常に言っていた。

真似をしていくうちに
少しずつ上手くなっていくのは分かったが
どうしても父親のように綺麗に打てない。

でもそれは当たり前のことで

人間は他の誰かを完全に真似ること
なんてできないのである。


僕は父にはなれない。
父は僕にはなれない。


すごく当たり前のことなのだが、
人は誰かに憧れを抱くものだ。


だからこそ真似をしたりとか
その人が持っているものを買ったりする。

でも完全にその人になることはできず
憧れの人と自分との“差異”にギャップを
抱くことも少なくないのではないか?


でも安心して欲しい。

それこそが個性なのだ。


「みんな違ってみんな良い」という言葉があるが
その事を全員が認識できたら
自己肯定感なんて言葉はなくていい。


自己肯定感が僕はないんです。
という言葉をよく聞くが、
僕はそれで良いと思っている。


なぜなら
自己肯定感がないからといって、
その人は“ダメ”な訳ではないからだ。


僕も自己肯定感というものを
あまり感じたことがないが、
自分を責める思考によく陥る。


そんな時は他人に頼ったりだとか
walkingで思考整理しながら
なぜこんなにもネガティブになるのだろうと
原因追求モードになる。


そうなったらこっちの勝ちで
あとはネガティブを認識し、
それを解決する案の方に目を向け
行動に変えていくだけである。


僕はむしろネガティブ上等!

改善したるわ、オラー!!
みたいな気持ちでいつも挑んでいる。


自己肯定感が無いからってそんなに自分を責めなくて良い。

そんなに自分を嫌いになろうとしなくていい。

そんなに無理矢理
自分を好きになろうとしなくて良い。


「自分らしさ」とは...

僕にはまだわからない。


僕はこれからも人の真似をしたり、
いいと思う方向の人や
生き方が憧れるような人の行動を観察して
真似ていくだろう。


真似は自分らしさとは程遠いのかもしれない。


でも、
完全に僕は人を真似ることはできない。
他人になることはできない。

その憧れと自分との差異が
自分の個性になり
「自分らしさ」に繋がっていく。


だから僕が言えることはただ一つ

憧れている人の“行動”をとことん真似ろ。


そうすればあなたも
憧れるような人になる。


応援してます♪



ではまた✌🏻


参考になれば(守破離)

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