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僕は僕の人生を、全うする。

僕の夢は、
誰でも生き生きと”自分らしく”生きられる
豊かな社会を創ること。
こんな大層な夢を掲げた僕だが、
僕が人生を懸けてやることは一つ。
それは人の可能性をとことん信じること。

このnoteは香川県の田舎町で育ち、一つの映画によって人生を大きく変えることになった一人の少年のお話です。”先生になるのか?”という問いを6年間問い続け、僕なりの葛藤や悩み、キャリア選択についての考え方を1万字ちょっとの文字数で書いてみました。

今でこそ大層な夢を掲げている僕ですが、今までの人生の中にはさまざまな失敗や迷い、誤った考え方や行動を多くしてきました。今でこそnoteで評価はされてきたものの、それはあくまで偶然と過程の産物で、僕自信、特別な人生を送ってきたという思いはありません。

ただ、もし自分の記憶や経験を
そのまま出すことによって

これから先生になりたいと思っている方や、教育に関心がある方、人生の選択に悩んでいる方、自分のやりたいことに挑戦したい方、夢を叶えようと努力している方へ、よりよく生きるためのヒントになればと思い、書かせていただきます。よろしくお願いします!

ここからの文章は敬体ではなく、常体になります。ご了承ください。

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①”夢”

僕は高校2年生まで明確な夢を持っていなかった。

小学校からずっと続けてきた野球も、怪我をしてからプロを目指さなくなり、”部活”として一生懸命行うものに変わっていた。周りの友達は”消防士になりたい”や”警察官になりたい”など自分なりの夢を持っていて、そんな友達が心からうらやましかった。

そんな自分を変えてくれた一つの映画がある。

「ビリギャル」だ。

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友達が見たい映画があるからと、連れて行かれたことが、人生を変える大きなきっかけになるとは思ってもいなかった。

「ビリギャル」によって影響を受けた人は大勢いると思うが、僕には主人公である”さやかちゃん”よりも、さやかちゃんを教えていた”塾の先生”に憧れた。

見た目や成績にかかわらず、どんな人にも大きな可能性を持っていると映画を通して伝えている様は、これからの僕を強く勇気づけてくれているように感じて、なんだかすごく熱い気持ちになった。

劇中に主人公である”さやかちゃん”が
さやかちゃんのお母さんに
”どんな大人になりたい?”と聞かれ、
こう答える。

「他人の未来のために必死で頑張る人」


僕も人のために一生懸命になり、
心から人の可能性を信じられる人になりたい。

映画を見終わると、家に帰り、
すぐさま親に報告した。

僕は将来、先生になる!

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②可能性を心から信じられた日。

親に夢を語ったものの勉強を全くしていなかった僕は高校三年生の時に現実を知ることになる。高校3年生の夏の大会が終わって引退し、いよいよ受験勉強に集中する時期だなと考えていた僕は腕試しに全国模試を受けてみた。

模試の結果、英語と国語の偏差値は”32”。

ある意味、なかなかの成績を叩き出した僕は、落ち込むというよりもどうやったら先生になれるんだろうと、真剣に考えるようになった。

ある先生には推薦を受けろと言われ、ある先生には一回就職した方がいいんじゃないかと言われた。誰も受験をしようだなんて言い出さなかった。

その頃の僕はどうやったら先生になれるのか?のことばかり考えていたので、色々な先生に「先生になりたいんです!どうしたらいいですか‼︎」とただひたすら聞き回っていた。

そして僕を信じてくれる人に出会った。
”石井先生”である。

石井先生は僕の高校の時の英語の先生で、僕の英語の授業を一つ担当していた。ある日、石井先生に「先生になりたいんです‼︎」と言いにいくと、「先生になりたいのならいい学校があるよ!」と受験勉強を勧めてくれた。

しかし、当時の自分は勉強に自信を持っていなかった。

受験になかなか踏み出せずにいた僕を見て石井先生は、

瑛君ならきっと大丈夫。
私がサポートするし、瑛君きっといい先生になるから。

その一言に後押しされ僕は受験勉強を始めることにした。石井先生は僕の担任ではないにもかかわらず、毎日プリント作りや試験のフィードバック、小さな悩み相談から泣くような相談まで乗ってくれ、本当に毎日期待をかけてくれた。

毎日毎日朝から暗くなるまで学校に残っては、先生と友達数人と直接授業。勉強なんて楽しくないと思っていた僕が、先生のおかげで段々と勉強することが好きになっていった。

結局、センターにこけるなどして志望校は叶わなかったが、石井先生のおかげで英語と国語の偏差値を4ヶ月で35以上あげることができ、第2志望である関西外国語大学に合格した。

どうして関西外国語大学に進学しようと思ったのか。

それは勉強していくにつれ英語を勉強することが好きになり、いつのまにか世界のいろいろな人に会いたい気持ちが強くなっていったからだ。

石井先生のおかげで、勉強したことが次の目標に繋がった。

高校を卒業する時に、石井先生は泣いていた。
僕も泣いた。そして、心の中で先生と約束した。

絶対、石井先生みたいな先生になる。

人の可能性を心から信じられる人になりたいと、
自分に約束した瞬間だった。

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③大学は慣れるまでが。。


そろそろ見るのにも疲れた頃だと思うので、ちょっとラフなお話をしよう。

僕は大学に入り、一人暮らしを始めた。

田舎育ちで初めて一人暮らしを体験するあなた。
知っておくといい。地面が歪むぞ。

僕は、一人っ子でとびきり寂しがり屋ともあり、初めの方は本当に辛かった。メモで自分自身に励ます文を書いていたりもした。それがむしろ逆効果だったりして、なおさら寂しくなったりした。友達に毎日夜に電話をしたりしてなんとか日々を乗り切っていた。

学校が始まり、友達が全くいない環境で友達作り。意外とすんなり友達ができた。クラスでも話しかけてくれる人はいて、サークルでは多くの友達に恵まれた。だが、心から気を許せる友達を一から作っていくのは難しい。

初めの方は地元最高!と思っていた。違う環境で育った人との価値観のすれ違いに毎日が辛かったのを覚えている。でも友達を捨てるなんてことはできず、どうしてここまで価値観が違うのだろうと何度悩んだことか。

それから、色々あってサークルはやめ、もっと本気で体を動かしたいと思うようになった。ボクシングやラクロス部などをみて、ここは怖いなと思いながら色々な部活を見学した。

そこで行き着いたのが、ハンドボール部。

見学に行った時はみんながシャイで、自己主張が少ない。少し地元っぽいなと思いながらそこに決めた。話していくと案の定地方出身が多く、やけに安心感があったのはこのせいかと感じた。

大学生活はやっと充実しだし、大阪も悪くないなと思い出すようになり、少しずつ都会に馴染んでいった。

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④カンボジアという価値観の大転換

大学2回生の夏、カンボジアにスタディアップツアーとしてボランティアをすることになった。友達の誘いで、ワクワクと不安が両方備わった感情と共に、カンボジアへ訪れた。

そこでみたのは貧困、よりも「格差」といった方が正しいだろう。両親と手を繋いでスーパーでお買い物をしている子供もいれば、観光地で物乞いをして稼いでいる子供もいれば、ゴミの上で物を拾いながら、日銭を稼いでいる子供もいる。

どれも皆同じ子供であって、同じではない。
人は生まれながらにして平等ではないことを知った。

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僕の夢は相変わらず教師になることだったので、教育を中心にカンボジアで観察をしていたのだが、観光地的にはいい国である。
観光に来る人の多くがリピーターと聞くが、それくらい想像しているよりもいい国だなと感じた(料理はハズレが多かった)。そんなこんなで私のカンボジア旅が終わるのかと思いきや、そうではなかった。ここで幸運なのか不幸の入り口なのかわからない出会いに遭遇する。

カンボジアにはツアーで行ったので、全国から集まった同世代の人たちが20名くらいいた。一日見学して思ったことや、一つのテーマについて語り合い、意見を交わした。

そこで僕は驚いた。

今までの私が見る世界は香川県の同じ高校の野球部が大半だったが、同世代の人たちはどこまで広い世界を見ているのか?僕が知っているよりももっと広い世界について考えている仲間の姿を見て、感銘を受けた。

僕が知っている世界はこんなにも小さいのか。

それから自分にももっとできることはあるんじゃないかと思うようになり、さらに勉強と行動をしよう!と決意した。今思えば、このことが幸運の始まり(自分変わりの始まり)であり、不幸の始まりだったのかもしれない。

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⑤サル時代

それからと言うもの行動に重きを置くことになった。僕はこの時代を行動時代(サル時代)と読んでいる。自分は何がしたいのだろうか?を問いかけ、ただそれを実行に移すのみ。

例えば、僕は国際的に貢献したいと思い、海外支援ボランティアを見たりした。だが、これは合ってないなと思い、じゃあ何がしたいのだろうと考えたところ、行き着いた答えが芸能界。俳優のオーディションを受けた。最初に受けたオーディションは順調に進んでいき、合格寸前まできた。

しかし、そのオーディションを受かるには20万初期費用として必要と言われ、サルのように動いていた私は必死に親を説得した。その結果、丁重に断られ実現はしなかった。今思うと怪しさ満点だが、その頃は気づかないものである。

次はモデル活動をしようと考えた。顔は良くないが、体型は身長が高く足も長いのでいけるだろうと思っていた。これもオーディションで順調に進み、ランウェイに出ることになった。

お金はかかったのだが、親や友達も見にきてくれて、選ばれはしなかったものの自分的には満足した。そしてランウェイに出てみて感じた。この世界には自分よりもかっこいい人は山ほどいるし、報われない人も山ほどいる。

そんな世界で自分は生き残れるのだろうか?と考えたところ、何か秀でてる特技があるわけでもない僕にとっては、不可能に近かった。そしてこの道はやめることにした。

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⑥サル、知性を身につける

それからというもの、僕は知性を磨かなくてはいけないと思い大学3回生の頃に本を読む習慣をつける。これが自分にハマったらしく、段々と本を読むのが大好きになった。

自分が興味を持った本を読んでいき、自分の知識を蓄えていった。そして蓄えた知識を友達に話しながら、少しずつ思考力が育まれているのがわかった。

そうなってくると、この頃からひとつ思うことがあった。「僕は本当に先生になるのだろうか?」という疑問である。

どうして自分は教師を目指しているのか分からなくなった。僕の夢は教師になること。教師になったその先は?今でも本当に教師になりたいの?、知るということは、発見の先にもっと深く自分と向き合うことになる。

ここで初めて自分の行動に疑問を持ってしまった。

その疑問を持ったまま、私は小学校の教育実習に行くことになった。大体の教職をとっている学生は、教育実習を経て先生になるかを決めるらしい。僕もそうしてみようと思い、教育実習に行った。

そこでみたのは、苦しい本当の現場の姿だった。先生の人数が足りず、ギリギリまで仕事をして、次の日を迎えるという毎日。もちろんストレスも溜まるだろう。教育実習生にかまっている時間など、どこにもないのだ。

そうなってくると必然と実習生へのあたりは強くなる。案の定私と指導教員の仲は悪くなった。しかし、子供のためにと思い頑張った。そのために頑張ることはできた。ただ、”学校の先生になること”への自分の印象は最悪だった。

小学校の先生は無いなと思いつつ、実習も終わり、同級生の実習はどうなのか?と聞いた。すると、「最高!子供が可愛い」と反応が返ってくることが多かった。

正直耳を疑った。自分が体験したことと、返事が食い違っているからだ。僕が仕事をできなかっただけなのかなと思うようになった。



⑦大学4回生、社会人予備軍。

大学3回生の12月頃、あなたは何をしていただろうか?就活をしていた人もいれば、私のように教員採用試験に向けて勉強を開始した人もいれば、経験していない人もいる。

この時期の僕は、改めて先生になろうとしていた。もっと本音で言えば、それ以外の選択肢を選ぶより、小学校の先生になる方が楽だった。もちろん教員採用試験が楽だとかそういうことを言う気はない。勉強は大変で、正直難しいし、覚えることはたくさんある。

そういう楽ではなく、自分の選択肢を並べた上で、その選択肢がメンタル的にも体力的にも楽であり、妥当だということだ。その時の僕の選択肢を軽く並べてみよう。

①小学校の教師②中学校、高校の教師(英語)③就職④海外か日本の大学院。

並べたはいいものの、大学院は金銭面の問題があり、就職は魅力的な企業が無く(3回生の12月時)、英語の教師は試験に合格するだけの英語力がないので必然と小学校の教師になった。(今思うと、調べようとも行動しようともしなかった自分が悪い)

半ば諦めの選択肢だ。教育にはとても関心があるのだが、したいことと一致しているわけでもないのでそこまで気は乗らなかった。しかし、試験をする上で中途半端な気持ちでは、モチベーションが維持することは難しい。ということで教員採用試験トップ合格を目標に勉強を続けてきた。

時は流れ、3回生の2月。親と話すことになった。今の自分の現状。

本当は就職を考えていて、いきたい業界はないがもっと自分の可能性を追求したいということ。20代はもっと自分にスキルを身につけて、基盤を作りたいという望みなどを親に本音でぶつけた。

その結果、親は私のことを心配し、親としての思いと経験を語ってくれた。いわば、このまま先生を目指してみたらどうか?ということである。親は無責任なことは言わない。親は子を一番に心配し、だからこそ苦労する人生を歩んで欲しくない。そういう生き物なのである。

僕は反抗する気持ちよりも、親の思いの方に惹かれ、先生になる決定をした。

4回生になり、世間はコロナ一色。外へ出れない状況で、中々勉強に手を付けづらい状況だった。それでも毎日の勉強時間は確保する。自分はトップ合格するんだという思いのもと、効率重視の勉強法を繰り返していた。

しかし、思いは自分がしたいことにふけっている。そのころの自分がしたこととは、自分のビジネスを持つこと。つまり、起業である。

本を読む習慣が身につき、知恵も蓄積していく中でアイディアを考えることが楽しみになっていた。その中でも特にビジネスを考えることが好きで、人をどうやったら巻き込めるかを常に考えていた。

そんな僕とは対照的に、教員採用試験の勉強を続けることは楽しくなっていた。人はできるようになれば、その行いについて情熱を持つようになる。

情熱は見つけにいくものではく、育まれるものなのだ。

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そして5月頃、一人の尊敬している先輩から連絡が来た。

その先輩は2020年から教育現場で働いている方で、年齢が僕の一つ上で考え方が似ており、僕の一歩先を歩んでくれている人だ。連絡の内容は、今教師として働いていて感じたことなど。

先輩は、今の現場で働いて自分ができることは限られていること、去年もっと深く考えて行動すれば良かったことなどを語ってくれた。僕は納得することしかできなかった。そして、先輩に今の自分の思いを話した。

すると「瑛は保守的だね」と言われてしまった。

先輩が見てる景色と僕が見ている景色はまるで違う。そのことは分かっているようで、分かっていなかった。自分が見ている景色は、みんなが見ている景色だと勘違いをしていた。

いつのまにか保守的な自分に気付かず、
行動することができなくなっていた。

行動時代を”サル時代”と呼ぶのなら、この保守的時代を”人間時代”と呼ぼう。人間は大人になるにつれて、行動をすることを恐れ、立場を変えることが難しい生きものである。

改めて僕は人間だと感じた。ある意味。

ぼくは広角レンズがほしい。


それから行動を始めた。まずは自分はどこに興味があるのか?という疑問だ。そしてそれはすぐに見つかった。

僕は以前から人のキャリア教育に興味があり、仕事とは?働くとは?を多くの人に聞いてみたいと思っていた。その分野に関わりたいと思い、人材会社やキャリアに携わる会社を調べ出した。5月下旬ということもあり、大手は新卒採用を締め切っているところも多かった。

就活で大きなイベントは3つ。1つ目は、自己分析。自分がどこに興味があるのかを探り、強みを見出す。私はこの作業が一番難しいと思っている。2つ目は、企業見つけ。業界研究とも呼ばれるものだ。3つ目は、面接対策。自分の強みや経験を言語化し、簡潔明瞭が求められる。

この3つの作業のほかに重要なことはある。インターンだ。もしこの文章を就活生が読んでいるのなら、企業を絞りインターンに行くことをお勧めする。そして人事に会うことだ。

この作業を改めて行い、エントリーをしていった。私は好奇心旺盛なので、ビジネスで興味を持っていたマーケティング分野や広告分野などにもエントリーを行った。だが、そんなすんなりいくわけもない。

また、始めたこととして、ブログ制作がある。興味のまま働く人たちをインタビューし、そこで感じたことをブログに書いていくというものだ。最近は、初心者でもサイトを制作できる時代。便利とは、流れが速いものである。少しずつ文章が上手になってきてはいる。しかし、課題はまだ多く、改善の余地がある。

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⑧自分を知るということ。


どのくらい経った頃だろうか。就活を始めて3ヶ月ごろ(8月、9月あたり)には30社、いや50社以上は落ちていただろう。会社を見ていくにつれて段々と自分の軸がブレブレになり、自分が思ってもいないことを簡単に口にするようになる。

”成長したいです””ITに興味があります””市場価値を高めたくて”

僕の本心から出た言葉ではなく、どこかの本に出てきそうな言葉たちにはなんの重みもなかった。

就活をしていくにつれて、面接官とzoomをするのが怖くなっていったし、メンターとして就活をアドバイスしてくれていた方もだんだんと呆れていくようなオーラを出していたので、僕は就活生としてダメダメだったんだと思う。

そんな僕を変えてくれたのは、文字起こしだ。

自己分析という分野を外面ばかりやっていた僕にとって、改めて自分を知ることが必要だと思った。パソコンを前において、1週間くらい自分のことを文字起こしするためだけに時間を使った。

だんだんと溜まっていく文字はワードの空白に埋まっていき、ついに10万字を超えるくらいにまで文字を書いていた。もはや軽い長編小説である。

僕はここで10万字を書いたことを自慢するためにこの情報を発信したのではない。当時の自分にはこれくらいやったという自信が間違いなく必要だったし、それくらい”自分を知ること”がどんなに大切かを知ってもらいたかったからだ。

僕は就活や進路選択をする上で、外部に答えを探しに求めていた。本当に外部に答えがあると信じていたし、ビジネス書や自己啓発などの本を読んでいると、もはやその選択が答えであるかのように錯覚する。

もともと影響されやすい僕は、早く尊敬する”誰か”になりたくて、必死に努力を続けていた。人は他人になれないことは知っていたのに、自分で考えるよりも、目に見える誰かになりたいと思う衝動は抑えられなかった。

でも自己分析をして気づいた。

答えは外部にあるのではなく、いつも内部にあるということを。

もちろん多くの経験しなくては、内部は育たない。だからこそ若いうちから旅や本を読むこと、勉強、環境を変えること、人といっぱい会うことをやった方がいいという本が多いのである。

しかしだからといって、
情熱を外部に見つけにいくのは危険だ。

情熱は見つけにいくものではなく、育むもの。

つまり自分の心の中に
情熱のヒントは潜んでいるのである。

人より勉強することが好き、本を読むスピードが早い、実は読書感想文が得意、人の話を聞くのが上手い、人前で話すのが得意、教育分野では誰にも熱意は負けない、スタミナがある、音楽が作れる、言葉が大好き、、、

言い出したらキリがないようなあなたの個性には、将来のヒントがたくさん詰まっている。そしてそれらのヒントを丁寧に一個ずつ経験に基づきながら掘り出していく。地道でしんどくて、大変な作業だ。だけど、一生ためになる。

その作業こそが、文字起こしなのだ。


⑨僕はそれでも先生になりたい。

そしてとことん自分と向き合った末に、
僕は一つの問いに辿り着く。

僕はなんのために先生になりたいと思ったのか、作業に憧れたから?教育に関心を持ったから?映画が面白かったから??

きっとどれも違う。


僕は心から人の可能性を信じる姿に憧れたのだ。

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ビリギャルを見た時も、受験勉強をした時も、カンボジアに行った時も、どの経験でも僕は、人の可能性に対して目を光らせていた。自分の可能性を信じたかったからこそ、人の可能性は無限大だって、心から信じる姿に憧れた。

だから僕は先生を目指し出したのだ。


教育実習での経験、本で塗り固められた頭の知識たち、自分の目の前にある無数の選択肢、そのどれもが今の僕の財産であるが、もっと大事な根源を忘れていた。

いっぱい悩んで、教師以外にもいろんな選択肢があることを知った。

そのどれもが僕の目の前で魅力的に輝いていたし、どの選択をしてもきっと失敗にならないのだと思う。しかし、選択が無数にあるが故に、今の僕たちは失敗することを怖がり、外部に答えを求めようとするのだろう。


僕は未来の失敗を怖がるのはもうやめた。

人の可能性を信じるために、一度、先生になろう。


⑩そして現在。

先生になることを決めてからも、僕は多様なチャレンジを行った。

noteにて自分のことを発信し始め、今では1500人の方に恵まれるアカウントとなった。人に多く見られるにつれて、僕の可能性はだんだんと開き始める。現在行っているインタビューも、僕個人ではたどり着けないような人にまでリーチすることができるようになった。

また、一般社団法人ハッシャダイソーシャルという素晴らしい団体にも出会うことができ、「若者の選択格差是正」のために微力ながら助太刀している。

そしてこんな僕にも壮大な夢ができた。

それは、
誰でも生き生きと”自分らしく”生きられる豊かな社会を創ること。

一人一人の可能性をどうやったら引き出せるかを考えると、どうしてもその人らしさを自分で育み、自分で選択した未来を自分で正解にしていくことが大切だと思う。

だからこそ、そんな社会を創りたい。

まだまだ社会的な面で出来ていない部分は多くある。地域格差もあるだろうし、男女で機会の差がないとは言えないと思う。そんな様々な要因で、自分らしさの可能性をうまく引き出せていないのは、その人にとっても、社会にとっても、惜しいことだ。

だからこそ、もう一度言おう。

僕は人の可能性をとことん信じられる人になる。

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この他にもさまざまな出会いとともに、今を豊かに生きているのだが、これらの結果は、”偶然と様々な過程”から生まれたものであることを忘れてはいけない。

あなたも僕も、今(現在)だけが”点”として社会に存在しているのではなく、”線”で紡がれた、世界に一人しかいないとても貴重な存在であることを忘れてはいけない。


僕がそうであるように、
あなたの人生はあなたしか生きられないのだ。


このnoteで僕は、長ったらしく自分のことを書いてきたと思う。ここまで読み進めている人がいるのかはわからないが、この文章を読んでいるあなたはもはや奇跡と言っていいだろう。尊敬する、ありがとう。

しかしこの文章を読んでみてどうだっただろうか。

何か特別な経験をしてきたと思っただろうか?もしかしたら意外と普通の経験だなと思ったのではないだろうか?

もちろん感じ方は人それぞれだが、僕には僕のストーリー、あなたにはあなたのストーリーがある。誰一人同じストーリーを生きた人はいない。


よくあなたは特別な人間と言う人がいるが、僕はなんて無責任な言葉なんだと思っていた。

しかし、自分を知って初めて気づく。

ああ、そっか。
僕の人生は僕しか生きられないんだ。


僕が気づいたように、
この文章を読んでくれたあなたならきっと気づくだろう。

自分の人生は自分しか生きられないことに。


だからこそ、自分の可能性に気づくべきだ。

別に特別な誰かになろうとしなくていい。

あなたはあなたの人生を、
僕は僕の人生を、

ただただ自分の人生を、全うしよう。

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〜あとがき〜


僕がこのnoteを書いた理由。

それは改めて自己理解をするためである。

あなたに届けるためでもなく、
ただ自分のために書いてみた。

1万字ちょっとしかないこの文章は拙くて、どうしようもない文章なのかもしれない。しかし、僕にとってこのnoteは大切な文章であり、本当の履歴書なのかもしれない。あなたも執筆がてら、自分の本当の履歴書を書いてみることをお勧めする。

文章なんて拙くたって構わない。

あなたが満足すれば、それで良いのだ。

最後に、改めて感じたことを記して
このnoteを閉じようと思う。


情熱は探すものではなく、
見つけに行くものではない。

自分の内面と対話し、
育んでいくものなのだ。


あなたの人生が実りあるものになることを
心底祈っている。

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(10463文字)



<執筆、森本瑛/AkiMorimoto>
現在大学4回生で来年から小学校の先生になる22歳。教育をより豊かなものにすべく、一般社団法人ハッシャダイソーシャルに関わりながら、noteで発信活動を行なっている。
座右の銘は、「意思があるところに道は開ける」

森本瑛/Aki MorimotoのTwitter.✍️

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