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父の生き方を考える②
父の生き方を考える①の続きです。
順調に事が運んでいるように見えたのに、父はなぜ命を絶ったのか?
父は、結婚する前から、あるいは幼少期から、自分の人生がうまく行っている実感がなかったのかもしれません。
父はよく、『奉公』に出された、という話をしていました。
奉公? 江戸時代? 明治時代?
まるで時代劇に出てくるような単語に、幼い私はただ「お父さんは面白い経験をしたんだな」と興味深く聞いていただけでした。
考えてみたら、昭和生まれの父が奉公に出されたというのは、おかしな話です。
父の兄弟に確かめたことはありませんが、他の兄弟で、奉公に出されて苦労した感じは見受けられませんでした。
奉公というのは、自立して就職するのとはわけが違いますし、父が奉公に出て、他の家族を養わなければならないほど、貧しい家ではなく、むしろ当時では裕福な方だったと思います。
つまり、父は何かをやらかして、家庭以外の場所で『更生』をさせられたのではないかと思うのです。
立派な兄弟たちの中で、たったひとりの異端児。
父は常に、兄弟たちに引け目を感じながら、生きてきたのではないかと思います。
父には、今でいう『発達障害』の傾向が顕著にありました。
とにかく身の回りが整理できない。
物を出したら、しまうことができない。
物をすぐに失くす。お金も失くす。
トイレのスリッパを部屋まで履いてきてしまう。
お金を持たずに喫茶店に入ってしまう。
無計画に浪費してしまう。
すぐに人を信じてしまう。
贔屓の野球チームが負けると、イライラして関係ない人に当たり散らしてしまう。(感情のコントロールができない)
衝動性が強く、注意散漫なADHDの症状です。
社交的で人当たりは良いので、交友関係は広かったのです。
①で書いたように、子どもからも好かれるタイプでした。
現在の発達障害の人たちの悩みに似ていますが、その特性には長所もあるのに、それを認められる環境がなかったことは明らかです。
さらに『奉公』(=更生)という形で、真面目な兄弟たちに少しでも近づいてほしい、『改心?』してほしいと、祖父母は願っていたのかもしれません。
父が、ことあるごとに、冗談めかして『自分は出来損ない』と言っていた真意は、「自分の存在意義がわからない。生きていても何の役にも立たない」という叫びだったのかもしれません。
自分でも会社を経営することができる、ということを、兄弟たちに見せつけてやりたかったけれど、結局は、己の経営手腕の無さを、自分が見せつけられる結果となってしまい、生きる意義を完全に失ってしまったのでしょう。
父の中の葛藤、挫折、自信の無さに似たものを、今を生きる発達障害者の多くが抱いているのではないかと、私は思います。
そして、それはそのまま、私の生きづらさにも当てはまるのです。
もしも、父の時代に男性保育士が存在していたら、父には適職だったかもしれません。経営手腕がないので、園長は無理でしょうし。
あるいは、職人として個人の仕事を極めていたら、誰に何を言われることもなく、自由に生きられていたかもしれません。しかし職人になるには、自分の腕に絶対的自信が無くてはなりません。
いずれにしても、父は自分の本来の特性に強い劣等感を持ち、自信を履き違えていたため、それとは反対の生き方を求めてバーンアウトしてしまったわけです。
私が第一子を生んだとき、父は毎日のように会いに来ていました。あんまり連日なので、さすがに面倒になって、「お父さん、いい加減にして!」と言ってしまったことがあります。
父は、自分も子どもっぽいから、子ども好きなのかと思いきや、私が幼い我が子をキツく叱ったとき、父は私にこう諭しました。
「あのな、虐待の後遺症は、一生脳に残るんだぞ」
当時、虐待が脳に及ぼす影響など、世間ではほとんど知られていませんでしたが、父は最新の研究結果をどこかで勉強していたのです。
ー お父さん、それはお母さんに言って欲しかったな。ー
でも、父は決して母には言えなかったのでしょう。本当は母の私への接し方を見ていて、思うところがいっぱいあったのかもしれません。
父の方が正しいこともたくさんあったのに、父は自分の正義を人に語ることはしませんでした。
父に欠けていたものは、唯一『本当の自分に自信を持つこと』だったのでしょう。
そしてそれこそが、虐待ともいえない、古い価値観の押し付けによる『教育』の後遺症だったのでしょう。
祖父母も、母も、全く悪気の無い毒親。
そしてその毒親たちを育て、後押ししてきたのが、日本の古き悪しき伝統なのです。
父の死は、瑣末なことで人を責め、矯正させるような慣習を無くし、どんな人でも生きやすくなるような世の中にしていくことが必要だと訴えているような気がします。
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