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江國香織さん『すいかの匂い』読書感想 夏の本です

熱くなってきたので、涼し気な夏の本を紹介します。この本は、わたしが中学生くらいのときに読んでから何度も読み返している本のひとつです。15ページほどの短編が11本入っています。この本は、きれいな夏の和菓子の詰め合わせを眺めているような気持ちにさせてくれる本です。

この本には川上弘美さんの解説も入っていますので、そちらと絡め、感想を書いていきます。川上弘美さんは『センセイの鞄』など興味深い作品を書いている作家さんですが、この本の解説も参考になります。

この本は、それぞれの話が独立しており、それぞれの物語に関連性はないのですが、どの話も夏っぽく手触りがいい話ばかりです。絵本作家としてのキャリアもある江國香織らしい、一見すると童話っぽい子供時代の話が多いのですが、どこかダークだったり性的だったり、言葉のトーンで雰囲気を醸し出している作品です。

わたしは近くに海がない、内陸の自然豊かなところで育ちましたし、子供時代は、一か月のあいだ海のそばで遊んでいた話が出てくるこの小説とはまったく違います。むしろ、群馬の赤城山のふもとにある、内陸の土地で育ちました。それでも、この本はいつでも、昔の自分を思い出すように読むことができます。川上さんの解説にも次のように書かれています『このお話、わかる。(中略)江國さんのファンは、江國さんの書く小説について、たぶん全員がそうおもっているんじゃないだろうか。』と書かれていますが、そう、そうなんですよね。江國さんの小説は、これわかる、自分の話だ、という感触が確かにあります。

この本の7本目の話は『焼却炉』という話なのですが、本当に自分が体験したことのような気がします。この話は学校が嫌いな9歳の女の子が、巡回影絵の学生ボランティアに薄い友情のような恋のような感情を抱くも、二人のいる世界はちがう、ということを最後に思い出させられる、という話です。

焼却炉のエピソードが差しはさまれているのですが、それが二人の話に作用していっています。主人公は嫌いなものが多い学校の中で、焼却炉が好きであり、他のこどもの机にあった母の作った牛乳瓶のふた入れを、こっそり捨ててしまいます。小説の中に、描写が出てきます、『(ふた入れの)布はあかるい黄緑色で、小さな白い花がいちめんに散っていた。(中略)私は、母の作った容器がよその机に置かれているとそわそわした。』牛乳瓶のふたいれも、その柄もだれも気にしていないのですが、主人公は気にして母の作った黄緑色のふた入れを焼却炉にこっそり投げ入れます。

学生との話には直接関係はないのですが、このエピソードがあることで、主人公の内向的な性格や、神経質で繊細な印象を強めていると推測されます。また、おしろい花というきついピンクの色が出てきますので、その色の対比として地味な黄緑を入れることで、おしろい花が際立つように文章の設計がされています。

『焼却炉』は15ページほどの短編ですので、長い描写などは出てこないのですが、おしろい花の情景描写が全体に効いています。

おしろい花 イメージ

おしろい花は、文章のはじめでは『夏の日ざしのなか、暑苦しい濃いピンク色に咲いていた。』とあります。その後、影絵の学生ボランティアの無表情の男の子を気に入り、学校に忘れ物をしたふりをして学校に忍び込み、少し二人で話したりします。そのとき『おしろい花の濃いピンク色が、まるで闇を吸収するように、深く、冷たく、冴え冴えとしている。』と鮮やかに写されます。それでも学生とは、夏が終わるとお別れでした。別れのあとは『おしろい花は、すっかり艶を失って揺れていた。』と終わります。女の子が男の子に対して気持ちを抱いていたけれど、別れが来てしまうことの比喩ですね。夏という季節が終わることの、もの悲しさも感じさせる書き方になっています。

なんだか、小説『グレートギャッツビー』で主人公ギャッツビーが最愛のひとデイジーを失った直後、灯台の緑の灯りがふっと消える描写を思い起こさせる終わり方ですね。もう二人の関係も話も終了であることを読者に示しつつ、強い灯りが消えると目の中に残像が残るように、余韻を残す書き方にも思えます。『グレートギャッツビー』のラストは「記憶の中で、消えた灯台の灯りがいつまでも反芻していた」という文言もあった記憶があるので、その反芻という「繰り返す」イメージに引っ張られて、余韻を感じているのかもしれません。

『すいかの匂い』は他の話もいいので、また今度そちらの書評も書きたいです。長い情景描写が好きな方は、北杜夫の幽霊とかも涼し気でおすすめです。

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