母というひと-077話
告知を直接受けていない母は、自分が癌だとは気づかないまま、私の手配に嫌がりもせずに従い、次々と入れられる検査を疑問も唱えずに受け続けた。
出された結果は、やはり「GIST」。
宣告された余命は、この時点で約一ヶ月。
「非常に厳しい状況です」と初診で医師が言うほどに、簡単なエコーでもすぐに分かるくらい腫瘍は育っていたらしい。
「胃の外側にできるため発見するのが難しい癌ではあります。
お母様の場合、大きさが今5センチほどになっていますが、すい臓と癒着している可能性があるため、外科手術でどこまで取り除けるのか、また取り除いた後にどれだけ回復するかは、はっきりとは言えません」
医師の表情は、慣れていて柔和だった。
だが厳しい現実を包み隠さずストレートに伝えてくる。
「そしてGISTは…発生数が少ない病気で、10万人に1人程度しか事例がないんです。そのために、治療法がそこまでは確立していないんですよ」
医師はそこで言葉を切った。矢継ぎ早に伝えられるダメージを、私がごくりと飲み込む一瞬の間を作る。
「これから、できることを探りますが、治療しても必ずしも良くなるとは言い難い状態です」
変な話だけど、私はこの時、とても珍しい症例にあたった医師の興奮を感じたような気がした。
私が彼の立場でもそうじゃないかと思う。不謹慎となじられる状況下であっても嵐の到来に血が湧くタイプの人種がいる。貴重な資料に興奮するタイプの人種がいる。私もそうだ。
そして、己の実力を自覚する人ほど、困難にぶつかった時「なんとかしてやるぞ」という意気を持つ。そんな積極性を、静かで冷静な表情と言葉の奥に感じたような気がしたのだ。
彼は外科部長だ。そんな気概が生じてもおかしくはない。
そこが、なぜか、救済のために天から下ろされた一本の細い蜘蛛の糸のように感じられた。
言葉が出ず、黙って頷く私の反応を見ながら、医師は続けて病院の状況を説明してくれる。
「残念ながら今はベッドに空きがないので、近くの病院で受け入れてもらえるところに入っていただくことになります。
こちらが空き次第、転院して治療を始めましょう」
病院側が動いてくれて、ベッドに空きがある病院が2、3ピックアップされた。私は大学病院から一番近いところを希望した。転院に一縷の望みをかけて。
母から、状況について尋ねられた記憶はない。
「入院するよ」「そうね」「病院はここだよ」「そうね」「手続き終わったから明日行こうね」「そうねすまんねえ」
うちは、冗談が一切言えない家庭だった。
もちろん反発も許されない。
それと連動するように、家族を疑うような気持ちも表すことができなかった。
それは母が、過酷な幼少期の反動みたいに家族に強いた性善説だったのかもしれない。“否定されることへの耐性のなさ“が、子供との関係の中に肯定感だけを求めた結果であるのかもしれない。
そうして辿り着いた今、弱い立場になった母は、娘の言うことを丸ごと信じて、疑わず、従うだけの反応を見せるばかり。
私自身、この時は母を救うことに必死で、母に対しての思いや行動が、全て「良いもの」だと信じて疑わないプチモンスターになっていた。
そうやって全力を尽くすことが良い結果を招くと強く信じたかったのだ。
私もまた母のように、神通力のようなものを求めて、精神論にすがっていたのか。
ベッド数100床ほどのS病院は、スタッフも医師も優しかった。
そしてカルテを見た医師は、GISTの病名に苦しそうに眉をひそめた。
淡々と告知を行う大学病院の外科部長とは正反対のタイプのようだ。
「どんな説明を受けてますか?」と問われ、聞いた内容を簡潔に答えると、表情の緊張が少し緩む。
初対面でカルテを頼りに辛い宣告をするのは、医師とてやりづらいことだろう。私がある程度理解していることにホッとしたのではないだろうか。
「正直、この病気は……」と言い淀み、質問を変えた。
「その……残された時間で、何かお母様にしてあげたいことはありますか?」と。
ハッとした。
もしかしたらこれからの一ヵ月が、母にとって最後の時間になるかもしれないということに。病状の好転を信じて頑張ろう、頑張らなければと思いすぎていたせいで、現実に目をつぶりかけていた自分がこの時見えた。
そして、どこかで「死を受け入れる」という行為がなんとなく不謹慎なように感じられていたことに気付かされる。
"家族なんだから、最後まで回復を信じるのが愛情なんだ"と。
とんだ勘違いだ。
そんなことをしているうちに、命が尽きるかもしれないのに。
回復は信じたい。
でも、そうは言えない病名が出てしまった。
じっと私を見て答えを待っている医師に、何か返事をしたくて必死に考えていると、なぜか寿司が頭をよぎった。
寿司が好きなのはむしろ父だが、母は常に父の好みを優先して食事のメニューを決めていたので、それが真っ先に出て来たのだろう。
で、こう言った。
「好きなものが少しでも食べられたら……」
入院時には、母の食欲はかなり落ちていた。
わずかな食べ物しか口に入らないのに、それが病院食である味気なさにも気づかされた。
余命わずかなら、少しでも好きなものを食べて欲しい。楽しいとか美味しいとか、そんな気持ちを感じてほしい。
後付けだが、そうも思った。
医師は黙って頷いて、カルテに何かを書き込んだ。小さな声で「叶うといいですね」とだけ呟くように言った言葉が、現実の厳しさを何よりよく表していた。
そして私は、仕事先に退職を願い出た。
母の最期まで、毎日付き添おうと決めて。
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