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第26話 学芸員古沸妖の妄想宇宙論【実体験×科学×オカルト=ビックバン】いっしょにぶっ飛び!

人はなぜ生きるか?

12 善と悪-2

 もしも魂にレベルがあって、究極の利他愛と究極の自己愛が最高に交わったところが100としましょう、もちろんその反対もあり歪んだ自己愛と歪んだ利他愛が最低に交わった所が-100としましょう。

 もしもビッグバンにより全ての生き物が100の地点を目指していて、娘さんが生まれた時点で+10だとして、他人を愛し自分を愛し、寿命を迎えた場合他の人が平均で+5ほどしかあげられないものが、一足飛びに+20にもなるかもしれない。

 あくまでも分かりやすく、例えばですがね。

 命をかけて他人に学ぶ機会を作るという事は、それだけ自分に、大きな負荷をかけている事だと思うからです。

 これが肉体という作用が魂にもたらす反作用です。

 そういう生まれてからの宿命は、もしかすると前世での学びを完結するために、魂の記憶が選んだものかも知れないし、-20だった愛のレベルを一気に上げるために、生まれる前の魂が記憶の蓄積から導いて決めてきた事かもしれません。

 どちらにしろ愛のレベルは格段にアップし、魂が光り輝く瞬間が訪れる。

 もちろんお母さんをはじめ、この娘さんに真摯に、あくまでも心を込めてですが、携わった方たちも、利他愛のレベルがプラスの方向に向く。

 じゃあ殺人犯をどう考えるかというと、まず、自己愛が歪んだ方向に向かう、生活環境が原因かも知れないし、類は友を呼ぶという言葉通りかもしれないし、自身の劣等感からくるかもしれない。

 とにかく自分だけ良ければいい、その為には他の人間の命などどうでも良くなる。

 悪い事の方が簡単にお金儲けが出来て、自分の思うようにいかなければ、暴力を振るい他人が生きている事に敬意を払わない。

 生きている状況を、真面目に乗り越える事が虚しくなる。

 という事は自己愛がマイナスのレベルに向かい、利他愛を-100にした時点で、つまり人の命を奪った時点で、自己愛の歪みも最低になる。

 これが人の命を奪う人間は、自分も殺していると言われる所以ではないでしょうか?

 こうなると魂が究極の愛を目指しているのに、その成長を退行させているとはなりませんか?

 娘さんは愛を成長させる為に生きているのに対し、殺人犯は成長を退行させる行いをしているのです。

 つまり、本人が意識しようがしまいが愛を向上させ心を成長させるべく生きてる事が、本来共通項だと思うのです。

 もちろん、娘さんと殺人犯の現世でのベクトルは真反対です。

 ではなぜ人は学びを退行させる行いをするのか? それはお話しの最後の方で出てきます。

 そうするとどうなるか?

 犯人が死刑になって亡くなるのか、寿命や病気で亡くなるのか、どういう亡くなり方をするのか分かりませんが、警察に捕まって刑務所に入ったとしましょう、自由が無くなると言うだけが償いじゃありません。

 その時に少しでも自分のした事に向きあい、学びを退行させた事に気がつく必要があります。

 亡くなっても魂が無くならず現世での反作用があるとすると、あの世でアカシックレコードに蓄積された記憶があからさまになります。

 そして、全ての魂が自分という存在と他の存在の垣根を取り払った究極の愛を目指しているのに対し、殺人犯は自分がした事に絶対的な後悔がもたらされる筈です。

 その後悔を長引かせないよう、現世にいる間に反省し、少しでも被害者への謝罪、心からの謝罪をしないと、生き物が向いている全体の流れから、どんどん外れていく事にはなりませんか?

 そしてそれを挽回するには、自分が被害者と同じレベルの辛いことを経験し、心底辛い思いを経験しない限り被害者の気持ちがわからない、身に沁みて自分の間違いに気が付かない限りその先には進めない事が分かり、次の人生では心底辛い場面から始まるのです。

 そうでないと作用反作用の法則が成り立たない。

 この世に愛を学びに来ているのですから、他人の学びを、自分勝手に途中で断絶する権利は人に与えられていないのです。

 人は他人の命、そして自分の命を奪うために生まれてきてはいない。

 いくら辛い経験をしようが、乗り越えて自分の愛のレベルを高めるという反作用を受け取らないといけない、他人のそれを断絶するという事は、歪んだ自己愛を剣にして、根本的な生きる意味を冒涜しており、これこそが最大の絶対悪です。

 生死を決められる権利を人に与えられているならば、辛い経験をして乗り越える意味がなくなります。

 辛ければ簡単に死んだり、命を奪い合えば良いのです、魂は、自分という心は、無くならないのですから。

 でも、辛い事を乗り越えて魂が大きな反作用を受け取る事を放棄する、という事は学びの場、つまり現世がいらないという事に繋がるのです。

 これは地球の崩壊、地球の死につながります。

 世界には色んな考えがありますが、現代では生きとし生きるもの全てに課せられた根本を無視するかのように自国を独裁し、好き勝手に振る舞う輩がたくさんいます。

 良いわけありませんよね、その報いは必ず受けます、そうした人々も死ねば他の魂と全く同じです、死ぬ前に地球を殺すことだけはしないでほしいと強く願います。

 もちろん愛のレベルを上げるためには善行だけではありません、思いやり、信用、生きる事への敬意、感謝、お坊さんなら彷徨える魂の供養、などなど様々な方法があると思います。

 また愛を退行させるものには、悪行の他にも、憎悪、妬み、裏切り、慢心、虐待、嘘など負の感情によってもたらせられる様々な行為があると思います。

 そうした中の一つの尺度、分かりやすい尺度として善悪という概念があるのではないでしょうか?

 善と悪、愛を向上させる分かりやすい尺度が善、愛を退行させる分かりやすい尺度が悪。

 とすると前出の例題の万引き犯がなぜ悪行なのかが分かってくる。

 他人の心を傷つけ、自己愛を歪めさせ愛の向上を退行させるからなのではないでしょうか?

 店主さんはもちろん生活の為に物品を売っているのですが、その背景には売ったものを便利に役立ててもらいたいという利他愛があります。

 心が傷ついた店主さんは、ある意味人が信じられなくなる、それは利他愛を育てる障害となりますよね、法律じゃないんですよ、現代日本の法律は社会の中でルールを決めて、大人数でも平和な社会生活を送れるように、民衆の行動を法で律した概念なんですな。

 他にも近所の小競り合いを仲裁したり、お金の扱いを決めたり、土地を平和に活用するなど、たくさんありますが、日本では法律を守っている以上、社会的にみて悪いことはしていないという目安になるのですから。

 あくまでも悪い事はしてないというだけで、善行ではありません。

 生きとし生きるものは心を成長させ、愛を向上させるためにに様々な経験をし、そこに試練がついて周り、場面場面で自分の魂に「どうする? 」そう問われていて自由意思で行動し答えを出しているのです。

 マザーテレサは言いました「神様は乗り越えられない試練は与えない」

 赤木館主は無宗教ですが、この言葉通りだけど思います、必ず乗り越えられるのです。

 その行為がこの先の自分に良い答えとしてかえってくるからこそ、幸せになれると思うのです。

つづく
→第27話

第1話 1.プロローグ 2.ここは思念の世界です
第2話 3.物語を進めるにあたって
第3話 作用と反作用-1
第4話 作用と反作用-2
第5話 作用と反作用-3
第6話 概念における作用反作用-1
第7話 概念における作用反作用-2
第8話 心における作用反作用
第9話 思い出すってなんでしょう?-1
第10話 思い出すってなんでしょう?-2
第11話 思い出すってなんでしょう?-3
第12話 思い出すってなんでしょう?-4
第13話 オカルトなお話し-1
第14話 オカルトなお話し-2
第15話 出会い-1
第16話 出会い-2
第17話 魂と脳という臓器-1
第18話 魂と脳という臓器-2
第19話 魂と脳という臓器-3
第20話 魂と脳という臓器-4
第21話 この物語の骨子-1
第22話 この物語の骨子-2
第23話 この物語の骨子-3
第24話 この物語の骨子-4
第25話 善と悪-1

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