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第24話 学芸員古沸妖の妄想宇宙論【実体験×科学×オカルト=ビックバン】いっしょにぶっ飛び!

人はなぜ生きるか?

10.この物語の骨子-4

 まず考えないといけないのは、この親子に身近に接している人々の気持ちであることは間違いありません。

 人それぞれの思いは、どうやって考えても分かりません。でも、一般的に客観的に想像することはできます。

 献身的に接し、一つのミスもなく日々を過ごさないと、小さな命はすぐ失ってしまう状況です、みなさん表面上はきっと明るく振舞いながらも、緊張感ではりつめているかも知れません。

 お医者さんはお医者さんという立場で、科学的な臨床データやお母さんへのヒヤリングをもとに、医療体制とこなすべきスケジュールを立てていくでしょう。

 今までの状況で最も重要だったのは、流動食を問題なく飲み込めるようになったという判断です。

 また、チームに携わっている看護師さんや、介護士さんたちは、娘さんの状態をみながら、お母さんとの距離を縮め、何か気になることがあれば、直ぐにお医者さんに伝達しないといけません。

 そこにあるのは、命の灯を消してはならない、できる事ならば天寿を全うさせてやりたいという強い気持ちがあるからでしょう。

 さて、こういった行為は道徳的に見て、善行とみなせませんか?

 職業で携わているにせよ、そこには善意に伴った行動がみなぎっているのではないでしょうか?

 そうした善行に支えられてお母さんは、娘さんが少しでも長生きできるように願っている、自ら失なおうとした自分の命と娘さんの命を大切に思えている。

 そこに来るまでには、想像だにできない多くの葛藤があったと思いますが。

 しかし、娘さんにしてみれば、善行を善行で返すことができません。

 なにせ自ら行動することができないのですから。

 でも善行の報いは必ず巡り巡って戻ってきます、それがいつなのか、どういう形なのかは、生物が未来を予測できない以上、わかりません。

 ある種の救いかもしれませんし、困った時のお金かもしれませんし、いい事をすれば、必ずいい形で反作用は戻ってくるはずです。

 では娘さんはどうでしょう、何も受け取ってないのでしょうか?

 受け取ってないとすると作用反作用の法則に反することになります、では善行を通じて何をやり取りしている、いやできるか?

 赤木館主は考えました。

 そしてこのシンプルな状況では、一つしかないことに気が付いたのです。

 かかわる人々やお母さんは善行を基盤においた、利他愛を伝えています、そうして、生きているという状況を持続している事で、娘さんも愛を受け取ったという感情を表現しているのではないかと思ったのです。

 その結果、お母さんを含め関係している人々の利他愛が育ち、きっと娘さんは愛を受け取り、自己愛と利他愛を育てている事で釣り合いが取れているのです。

 愛は誰もが感じられながら、不思議と一つの形に言い表すことができません。

 喜怒哀楽といった感情表現の気持ちは、自ら説明、表現でき誰もに伝える事ができる感情ですが、愛だけは個々の形が複雑すぎて、一つで表現できないものでありながら、誰もが感じることができる●●●●●●●●●ものだと思えたからです。

 植物を例にとると、二酸化炭素を分解して光合成で養分をつくり成長すると共に、動物たちに必要な酸素を作っていますよね。

 そして燃料にされて死を迎えたり、家具にされたりと、人間によって本来の生き方とは違う死を迎えても一切文句を言わない。

 これだって利他愛そのものです。

 この世には多様な愛の形がありながらも、究極的には二つに分類されます。

 自己愛と利他愛です。

 自分という存在を愛す形と、他の人や動物、自分以外の生命や物質を愛す形です。愛というものはその二つのバランスによって形成されていると考えたのです。

 複雑な愛の形も自己愛と利他愛に分ける事で愛というものの本来の姿が見えてきます。

 自己愛は自分という存在を慈しむ心、利他愛は自分以外の存在を慈しむ心、そして究極の愛とは、自分と自分以外という垣根を取り払って、全ての存在を同じように慈しむ心ではないのかと。

 そう考えると、娘さんと周囲の人々の、作用反作用と気持ちの上での釣り合いがとれます。

 そうでないと、周りの関係者の一方向の善意だけになってしまいます。ここで言いたいのは、周囲の人々の行動によっての反作用は肉体が動いているという事で釣り合っています。

 でも心、そして魂において、特に娘さんにおける作用反作用はどういう事が起きているのかと考えたのです。

 もちろんそこにはもう一人の主人公、お母さんの思いや、感謝の言葉などが強く影響しているとは思いますが、直接のやりとりは関係者と娘さんです。

 そう考えると善行は、つまり善という行為は、心を育て自ら持っている利他愛を育てる為の、一つの判断基準であり、それに基づく行動と考える事ができるのではないでしょうか?

 つまり、娘さんは、利他愛を学ぶ機会を命をかけて周囲の人々に提供しているだけでなく、自らも利他愛を学んでいるのではないでしょうか?

 心が、魂が…。

 そして、この娘さんのこうした行動の報いは必ず良い形で戻ってくる、それは来世かもしれませんが巡り巡って戻ってくるはずです。

 誰に言われた訳でもなく、落ちていた路上のゴミを拾ってゴミ箱に捨てるのも善行です、自分の為だけでなく公共の場所を、そこを利用する他人の為に綺麗にするという行為で、その背景には利他愛が育っています。

 忘れ物を交番に届けるのも善行です、そこには落とした人の元に忘れ物が届くように思う気持ちがあり、利他愛が育っています。

 昨今はコンビニで募金をする事ができるようになりました、小銭が邪魔で持っていたくないという人が入れる事もありますが、簡単に言えば邪魔ならば捨てれば良いのです、でもわざわざ募金箱に入れるという行為も善行で、やはりそこには困難な生活をしている人に役立てて貰いたいという、利他愛が育っています。

 日常の出来事には善行はまだまだたくさんありますが、善行とは対象があって成り立つもので(それが人とは限りません)、その背景には利他愛を育て、その結果、自分という存在を認め自己愛を育てるという反作用があるのです。

 心を育てる、魂を向上させるという側面にはこういった事の積み重ねもあるのでしょう。

 では悪とはなんでしょう?

つづく
→第25話

第1話 1.プロローグ 2.ここは思念の世界です
第2話 3.物語を進めるにあたって
第3話 作用と反作用-1
第4話 作用と反作用-2
第5話 作用と反作用-3
第6話 概念における作用反作用-1
第7話 概念における作用反作用-2
第8話 心における作用反作用
第9話 思い出すってなんでしょう?-1
第10話 思い出すってなんでしょう?-2
第11話 思い出すってなんでしょう?-3
第12話 思い出すってなんでしょう?-4
第13話 オカルトなお話し-1
第14話 オカルトなお話し-2
第15話 出会い-1
第16話 出会い-2
第17話 魂と脳という臓器-1
第18話 魂と脳という臓器-2
第19話 魂と脳という臓器-3
第20話 魂と脳という臓器-4
第21話 この物語の骨子-1
第22話 この物語の骨子-2
第23話 ここ物語の骨子-3

 

 

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