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「原発事故で町が消える」 --この現実だけは忘れない

日付が変わってしまった。昨日は3・11。もう12年になるとは。やはりこの日に脳裏に浮かんだのは、去年夏に初めて訪れた福島第一原発周辺の地区のショッキングな風景だった。

それを見た時に私が思わず口にしたのは、「こんなの・・・無しだ」という言葉だった。

大熊町では、避難指示が解除された地区でも、まだほとんどの住民が戻らず、失礼ながら文字通りゴーストタウンだった。高線量のため、自転車や歩行者は通れないという国道の看板に慄き、車から降りると、そんなことしても全く意味がないと知りながらも、無意識に息を止めたりしてしまったのを昨日のように思い出す。

被災地は色々体験したが、こんなに心底から恐ろしいと思ったことはなかった。放射線という見えない敵に常に怯えていた。息が苦しかった。

そして町には音が無かった。しかし、私にはキーンという怖い音がするように感じた。例えて言えば、耳栓をした時に、音が無さすぎてキーンという音がするように感じることがある。まさに、あの感覚だ。どこか無人の異次元の世界に迷い込んだような、あの恐怖感は忘れられない。

大熊町のHPを見ると、登録された町民1万人弱のうち、去年8月に町内に居住する人は389人、今年3月1日現在ではそれが426人と、ほんの少しずつではあるが増えてきているようだ。帰還が可能な地区の広がりとともに。

福島第一原発を望む

「原発事故が起こると、町は消える。」私たちはその現実を突きつけられた。いくら再建に立ち上がりたくても、戻れないと、その闘いを始めることすらできない。

原発をめぐる議論。賛成だろうが反対だろうが、”本当は反対だが現実派”であろうが、はたまたよく分からなかろうが、立場の違いに関わらず、まずは、「見えざる敵」によって町がこうなってしまう現実を受け止めること。そして、自分の故郷で起きたらと考えてみる想像力を持つ事。それが議論のスタートだと、いまだに強くそう思う。

ましてや、そういう現実を知らず想像力も働かせず、自分と反対の意見を持つ者に対して、冷笑や嘲笑をすることは、あまりにも悲しい。考え方の違いを超えて、まず現実を共通認識として持ち、議論の土台にすべき。

12回目の3・11に、その思いを新たにした。


(大熊町、さらに東電廃炉資料館の記事、ぜひお読みください!↓↓)

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AJ  😀

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